日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
ちょっとした不運をきっかけに それまで考えもしなかった自身のブログを始めてから、予想外の楽しいおまけが付いてきた。 「写真を撮る。」ということだ。
振り返ると 写真を撮るという経験の集中的な波が、これまでに2~3度あったように思う。
最初の波の始まりは、小学校高学年で初めて手にした家庭用小型カメラ、「オリンパスペン」を、遠足に持って行くのを許されたときだ。
友達や先生の笑顔、景色等を思う存分とって興奮したことを覚えている。もちろんモノクロの時代。
次の大きな波は、子供が生まれた時。
ビデオとカメラをフル稼動して、一ミリの子供の成長も逃したくないという勢いで、それらを構えていたものだ。
そして その後子供が大きくなるに連れて、私のカメラ的 「失われた時代」に突入してしまうのである。
それがだ。去年からブログを始めて日常的にカメラを持つようになり、そうしてみるとなんという楽しい経験であろうか。と思い至る現在。
カメラを持たずに出かけて行って、これ、撮りたい。惜しいな。と思うことがあるって、なんだかわからないけれど良かったな。と思うのだ。
振り返ると 写真を撮るという経験の集中的な波が、これまでに2~3度あったように思う。
最初の波の始まりは、小学校高学年で初めて手にした家庭用小型カメラ、「オリンパスペン」を、遠足に持って行くのを許されたときだ。
友達や先生の笑顔、景色等を思う存分とって興奮したことを覚えている。もちろんモノクロの時代。
次の大きな波は、子供が生まれた時。
ビデオとカメラをフル稼動して、一ミリの子供の成長も逃したくないという勢いで、それらを構えていたものだ。
そして その後子供が大きくなるに連れて、私のカメラ的 「失われた時代」に突入してしまうのである。
それがだ。去年からブログを始めて日常的にカメラを持つようになり、そうしてみるとなんという楽しい経験であろうか。と思い至る現在。
カメラを持たずに出かけて行って、これ、撮りたい。惜しいな。と思うことがあるって、なんだかわからないけれど良かったな。と思うのだ。
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