日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
真っ赤なもみじが縮れて落ち始めるのを境に、気温がグーン
と下がるのを毎年感じている。
これ以上は赤くなれないギリギリのところで耐え切れなくなって、
熟した葉っぱがその手を離し、空中を舞い、地面に順序よく重なっていく。
「赤い」というだけで興奮する自分がいる。
「赤」を見つけると、思わず駆け足になる。
それは夏のよく熟れたトマトだったり、絵画にのせられたわずかな一点であったり、
農道の彼岸花だったりする。
雪がしんしんと降る北国で、お母さんのねんねこに包まれていた赤ちゃんのほっぺた
も、りんごより赤かった。
血液の色でもある「赤」は、心をざわざわさせる色でもある。
よどみなく流れる血液が生命の証であるならば、「赤」は生命の色だ。
生命の輝きが、その主張が、その鼓動が、私にエネルギーを与えてくれる。
と下がるのを毎年感じている。
これ以上は赤くなれないギリギリのところで耐え切れなくなって、
熟した葉っぱがその手を離し、空中を舞い、地面に順序よく重なっていく。
「赤い」というだけで興奮する自分がいる。
「赤」を見つけると、思わず駆け足になる。
それは夏のよく熟れたトマトだったり、絵画にのせられたわずかな一点であったり、
農道の彼岸花だったりする。
雪がしんしんと降る北国で、お母さんのねんねこに包まれていた赤ちゃんのほっぺた
も、りんごより赤かった。
血液の色でもある「赤」は、心をざわざわさせる色でもある。
よどみなく流れる血液が生命の証であるならば、「赤」は生命の色だ。
生命の輝きが、その主張が、その鼓動が、私にエネルギーを与えてくれる。
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