Admin / Write / Res
日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
[58]  [59]  [60]  [61]  [62]  [63]  [64]  [65]  [66]  [67]  [68
愛犬ハルと暮らし始めて、いつの間にか8年が経ってしまった。
犬年齢で考えると、彼はすでに立派な中年であり、あと数年で私たちの年齢
を軽く追い越し老齢の域にさしかかる。

奇妙に聞こえるかもしれないが、ハルと一緒に年を取っていくことが今楽しい。
ハルは私と一緒に過ごしたその時間分私を好きになり、理解を示してくれている。
喋らなくてもそれはわかるの。ずっと一緒にいるからね。

だからと言って全面的に私に従うわけではなく、私という愚かな人間との駆け引きを、
あろうことか彼は楽しんでいるように見える時がある。

例えばホットカーペットでの小さな出来事。ハルも私もごろごろしている。ふと目が合う。
私はハルと一旦目が合ったらスキンシップを持たずにはいられない。大抵の場合は、私
が彼のいる場所に移動して、愛いヤツだの~ ともみくちゃにする。

でもその時は、ハルの枕になるように片手を大きく広げて「ハル、ここにおいで・・」
と呼び寄せていた。ハルは、私をじっと見ながら、ちょこんと2~3センチ前進した。
「ハル、ここだってば・・」と、脇の下をトントン叩いてこちらの思いをより強く
投げかけた。ハルはまた数センチこちらに近づく。これを何度も繰り返す間に、ハル
の瞳の中にいたずらっぽい色がちらりと見えた。

「もうヤダ、もういいよ。」と私がスネて言うと、突然顔色を変えて(真っ黒な毛で
覆われているので本当の顔色はわかりませんが・・) キュンキュンと甘える声を
発しながら、すごい勢いで私の腕の中にくるりと収まるが早いか、至近距離で私に
心配そうな視線を送るのだ。
その状況に私はすっかり満足して、「怒ってないよ、大丈夫だよ。」と優しく
言って、しばらく濃密な時間を過ごすのである。

このハルの態度は、私よりずっと穏やかで気のいいだんなに対してより発揮されて、
どう見てもダンナがハルにからかわれているとしか私には見えない状況で、ダンナ
がてんてこ舞いしているのを、私はちょっと離れたところでクスッと笑っているの
である。






自然公園を散歩していようが、また舗装された道路を歩いていようが、美しい葉っぱの
彩に目を奪われるこの季節。

家の近くのイチョウ並木は、延々と続くのかと思われるほど黄色い世界を繰り広げている。
首を伸ばしてその連なりを眺めると、二列の木々がだんだんと呼び合うように互いに
近づきながらその都度一回りずつ小さくなり、その尻すぼみの一番向こう側のわずかな
「点」と成るまで、ぬかりなく丁寧に連なっているのだ。

その一つ一つの木のあふれんばかりのイチョウ葉が、ゆさゆさと風に揺れ、羽ばたく大群の
モンキチョウのように見えるのも、この時期の私の楽しみの一つでもある。

前回書いた昆虫話の続きのつもりはまったくないのだが、最近「ワイルドライフ」という番組
で、コスタリカに生息する「ツノゼミ」を知る。

「ツノゼミ」は擬態の王者で、薔薇のトゲにそっくりの「薔薇のトゲツノゼミ」がいるかと
思えば、何と、鳥や虫のうんちに擬態した「ムシノフンツノゼミ」がいたりする。

他にも、木の新芽 鳥 蜂 蟻などに擬態しては敵から身を守っているのだから、不思議である
事この上ない。 

実は私、この「擬態」、不思議過ぎて超苦手なのです。
私にとって世の中は、実にわからないことだらけで不思議なことも多いけれど、大体のことは
私の頭には難し過ぎて、身震いを起こさせるほどの具体性で私に迫ってくることはないのである。

一方この「擬態」・・ある物に成りすまして敵の目をかわす・・というのはとても単純なことで
しょ? それだけに直接的な身震いを私に起こさせるのだ。

敵を欺くことで身を守る。その目的に向かって進化したというのなら、虫に意思はあるというのか。
それとも敵から身を守るのは本能なのだから、その対応策として、複雑なものに形や色を変えて
似せていく過程に、意志決定の積み重ねは必要ないということか?

とにかく擬態はいつの時でも私に「畏怖」を感じさせるほど不思議なことなのです。

ツノゼミの中には、「枝にしたたる水滴」に擬態したものもあって、この、露にそっくりな可愛い
ツノゼミを見た時ばかりは、擬態の偶然的芸術に感動を覚えた。

そうは言っても、イチョウの葉っぱが時々蝶ちょに見えるのは、擬態とはまったく関係ない、
ただの偶然よね。

















30年以上続けてきた家庭教師の仕事も、今教えている生徒さんの大学受験が
終われば一区切り。そのあとは当分お休みして他のことをしようかなと思っている。

小さい時から昆虫が大好きだったという生徒の部屋には、昆虫のフィギャーが
所狭しと飾られている。それがある時期からフィギャーだけでは飽き足らなくなったようで、
本物のカマキリ、蜘蛛、ヤモリなどを捕獲して飼い始めた。

毎週行くたびに透明ケースの飼育箱が増えるので、一体どこまで?と不安になったが、
全部で5~6ケースほどになると、それ以上は増えなくなった。

それでも教えている2時間の間に、カマキリが何度となく「ガサッ」と音を立てるので、
私はその都度気になって振り向いてしまう。その音に反応するというよりも、「交尾した
あとのオスを助けようと思っていたのに、学校行っている間にメスが食べちゃって・・。」
という生徒の話が随分と影響しているのだと思う。

知識としては知っていたけど、「ほんとに食べちゃったんだ・・だんなさんを・・」という
思いが頭から離れず、メスカマキリのお腹の不気味な膨らみを、正視するに忍びないのである。

「ヤモリが3つ卵を産んだんだ。」「卵が孵った。」「その赤ちゃんヤモリが一匹行方不明。」
「カマキリも蜘蛛も卵を産んだ。」

行くたびに昆虫ニュースは更新され、私はその度にドキドキするのだ。
英語を教えていても、その間赤ちゃんヤモリを踏んでしまわないか気が気でしょうがない。

「え~。蜘蛛も卵孵化させるの? 冗談でしょ? 『蜘蛛の子を散らすように』っていう
表現があるくらいだから、すごい数なんじゃないの?収集つかなくなるんじゃないの?」

私の訴えもさほど効果はなかったようで、膨大な数の新しい生命は、着々と育っているようだ。






秋になると本当にすぐお腹がすいて、読書をするよりも、食べたいものを次から次へと
頭の中に思い描いている。それらを実際全て食べていたら、健康的にも見た目にもよくない
だろうことは疑いようもないので、小腹をその都度満たすために、「こんにゃく」を食べる
ことにした。

こんにゃく大好きの私にとって、「こんにゃく」は、おでんの種で言えば、あの金ピカまん丸
お月様のような「大根」と並んで首位の座に君臨するほど。

ごま油をあっためて、種を取り除いて3つ4つに切った鷹の爪と一緒に一口大のこんにゃくを
音を立ててを炒める。そこに竹輪と今回初めて買った「絹豆腐の厚揚げ」をこれまた一口大に
切って加える。

そこにお酒を放り込み、またその上にひたひたになるくらいのお水を加え、お砂糖を好みの分量
加えた後5分10分煮込む。

あとはお醤油大さじ2~3、塩少々、みりん少々を加え、15分くらい煮込んで出来上がり。
レシピを載せることも蒟蒻のことも、実は二の次で、今日は「絹豆腐の厚揚げ」について
触れたかったんだ。

世の中に真剣な論争があるとしたら、たぶんそのひとつが
「豆腐と言えば 絹派?木綿派?あなたはどちら?」・・であるはずだ。

私のことを言えば、料理の仕方とその時の気分が大きく左右する。
シンプルな冷奴や湯豆腐でさへも、あるときは絹、あるときは木綿が食べたくなるということだ。

でも「厚揚げ」となると、ほとんどの人が木綿の厚揚げに慣れてしまってはいないか。

で、本題は、「一度「絹こしの厚揚」を食べてみて・・。」

とても繊細な食感で、私は昨日感動してしまった。
例えばプリンとかムースの空気に触れる表面の、ちょっとゴワッとしている感じが厚揚げの外側の
カリカリだとしたら、中の絹豆腐は、そのすぐ下にあるなめらかなプリン生地やムース生地だと
言えるかもしれない。

お料理の仕方では、もしかしたらデザート感覚で食べれるかもしれない。

まだ11時半にもなっていないのに、私はすでにお腹がすいている。
食べ物の話を書いていると余計に食欲に拍車をかけるようだ。

昨日のこんにゃくと厚揚げの煮物をまずは食べて、落ち着かせようかと思う。






いつもと趣の違う一週間を過ごしていたら、土曜日がまたやってきた。

たくさんの友人と会うことは、「あの人も、この人も、今この時間をどこかで過ごしている。」
という普段無自覚なことを改めて自覚させてくれて、そのことが私を生きやすくさせてくれる。

水曜日には、横山大観を観に、横浜美術館に行ってきた。
メインの美術鑑賞以外に、観覧車に乗ったりランチを楽しんだりと盛りだくさんで、子供時代の
遠足気分の高揚感覚が、遥かかなたの記憶からひょっこり顔を出した。

その気性から思い切りうなづける、自称「超!晴れ女」のTaeがいてくれていたお陰だろう、
雲ひとつない青空のもと観覧車に乗って横浜全体を見渡せたのは、実に爽快だった。

絵が描けない私が絵を観る・・
私には、どういうのがいい絵でどういうのが悪い絵なのかよくわからないが、無知無能な分野で
あっても、自分の「好き 嫌い」を感じる自由のあることが、どこへでも繰り出していける
所以である。

大観を始め、藤田嗣治 ピカソ、たくさんの偉大な絵を至近距離で体験できた。

翌日、ハルと自然公園を歩いていたら、落ちている葉っぱの色に、シャガールの
絵が見えた。美術館に行った影響である。
恥ずかしながら、私の単純さは、このように発揮するのだ。

才能ある芸術家は、自然に存在する色合いを自らの体に吸収し、あるとき衝動的に彼らの
絵筆から、自分の意思とブレンドしたその色合いをひねり出すことができるのだろうと思った。

絵が描けるって素敵だな。私の永遠の憧れ。

ない袖は振れないので、代わりに写真を撮ることで、私は自然との一体化を楽しんでいこうと
思う。



















カレンダー
02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
フリーエリア
最新CM
[02/03 <a href="https://aclf.ru/">selector casino vojti</a>]
[02/01 JamesDwems]
[01/29 Kophes]
[11/06 https://propranolol-global.github.io/]
[02/01 extiday]
最新TB
プロフィール
HN:
Chie
性別:
女性
職業:
主婦 英語教師
趣味:
バレエ 映画鑑賞 
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(11/15)
(11/16)
(11/19)
(11/21)
(11/24)
P R
Copyright ©  My favorite things All Rights Reserved.
*Material by Pearl Box  * Template by tsukika