日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
先々週の日曜日に最終回を迎えたBSドラマ、「昨夜のカレー、明日のパン」の放送がもうない
ことに、寂しさを感じていた。
木皿泉さん脚本のこのドラマは、最近ドラマを観ていて感じることの少なくなった甘酸っぱさ
くすぐったさ ほろ苦さをてんこ盛り私に届けてくれていた。
木皿泉さんが描くドラマ世界には、寡黙に刻まれる時の存在がある。
そこでは過去のシーンが何度でも蘇る。失ってしまった大切な人が過去にだけは存在する。
その過去から現在への時間の流れに、観ている自分も自然と寄り添ってしまっていた。
ちょうど重たい現実の中に生きる主人公と彼女を取り巻く人達が、そのゆっくりとした時の流れ
に身を任せながら、癒されたり立ち直ったり一歩踏み出したりするように。
「昨夜のカレー、明日のパン」では、息子を失った男とその亡くなった息子の嫁との不思議な
同居生活で始まる。嫁の徹子さんは、義父をそのまま「ギフ」と呼ぶ。この二人のやり取りが
妙に滑稽で楽しいのだ。それでも根底には、共通の大切な人を失った同士 という哀しくも
甘やかな絆が常に存在する。
笑顔が作れなくなってCAを辞め、ひきこもり状態になってしまった娘とその家族。
顔面神経麻痺発症後、病院に居られなくなった産婦人科医師。
時々孤独に耐え切れなくなり、何もかも投げ出したくなってしまうギフの義理の妹の歯科医師。
みんなそれぞれ重たい現実の中、それでも懸命に生きている。
そして木皿泉さんの言葉は、すべての登場人物の人達を、そして結果的には私たちを、全面的
に肯定してくれる。
「ここにいてよし。」「誰よりも幸せになってよし。」そう言って肯定してくれるのだ。
今日実は久しぶりに映画館に行って「6才のボクが、大人になるまで。」を観て来た。
「時の流れ」ということにかけては、この映画の監督、リチャード・リンクレーターは、絶対
に手を抜かない。なぜなら、この「6才のボク」が大学に入り巣立つまでの12年間を、同じ主要
キャストを実際12年にわたって毎年集合させては映画を撮り貯め、完成させたのがこの映画だか
らだ。
この監督の「ビフォア・シリーズ」と呼ばれる3部作でも、1部と2部の間に9年、2部と3部にも
数年間の開きが物語の中にあり、それは実際の時間ともちゃんとマッチしている。
つまり登場人物がちゃんと物語の年数分年を取っているということだ。
嬉しいのは、このビフォア・シリーズに出ずっばりのイーサン・ホークが、この「6才のボク」
でも父親役で好演している。イサン・ホーク、好きな俳優さんの一人なので、またこの映画に
ついて、続きをゆっくり書きたいです。
ところで、もうひとつはまっているドラマがあってね。これだけ言っておきたい。
それは「きょうは会社休みます。」
30歳の花笑(綾瀬はるかちゃん)に生まれて初めて出来た彼が9歳年下のイケメン。
ごく単純で、でも魅力的な設定。
会社を私用で休んだことない彼女が、彼と恋をして初めて会社に電話する。
きょうは会社休みます。って。
年下の男性との恋愛とか壁ドンとか、さすがにもう自分の身に起きて欲しいと思ってるわけじゃ
ない。でも観ててニコニコしたりドキドキしたりしている。年を取ったって閉経したってそれは
関係ないみたい。恋愛というのはいつの時でもキラキラしているイメージであり続けるのね。
リアル現実・・を散々経験してきた私なのに、今だにそう思えるってホント凄いことだワ。
あ、最初に戻るけど「昨夜のカレー、明日のパン」で、お嫁さんの徹子さん役をしていた
仲里衣紗ちゃんが「きょう会社休みます。」では、主人公の花笑さんの後輩で今時の女の子
の瞳ちゃんを演じている。
どちらかというと男前で洒落っ気なしの 徹子さん と、ふんわりカールにフレアースカートで
女を全面に押し出している 瞳ちゃん に共通点はまったく見当たらない。
里衣紗ちゃんのこの2役のギャップを一週間の内に味合うのも楽しみだったのに。
あ~、だらだらと長くなりました。ではまた。
ことに、寂しさを感じていた。
木皿泉さん脚本のこのドラマは、最近ドラマを観ていて感じることの少なくなった甘酸っぱさ
くすぐったさ ほろ苦さをてんこ盛り私に届けてくれていた。
木皿泉さんが描くドラマ世界には、寡黙に刻まれる時の存在がある。
そこでは過去のシーンが何度でも蘇る。失ってしまった大切な人が過去にだけは存在する。
その過去から現在への時間の流れに、観ている自分も自然と寄り添ってしまっていた。
ちょうど重たい現実の中に生きる主人公と彼女を取り巻く人達が、そのゆっくりとした時の流れ
に身を任せながら、癒されたり立ち直ったり一歩踏み出したりするように。
「昨夜のカレー、明日のパン」では、息子を失った男とその亡くなった息子の嫁との不思議な
同居生活で始まる。嫁の徹子さんは、義父をそのまま「ギフ」と呼ぶ。この二人のやり取りが
妙に滑稽で楽しいのだ。それでも根底には、共通の大切な人を失った同士 という哀しくも
甘やかな絆が常に存在する。
笑顔が作れなくなってCAを辞め、ひきこもり状態になってしまった娘とその家族。
顔面神経麻痺発症後、病院に居られなくなった産婦人科医師。
時々孤独に耐え切れなくなり、何もかも投げ出したくなってしまうギフの義理の妹の歯科医師。
みんなそれぞれ重たい現実の中、それでも懸命に生きている。
そして木皿泉さんの言葉は、すべての登場人物の人達を、そして結果的には私たちを、全面的
に肯定してくれる。
「ここにいてよし。」「誰よりも幸せになってよし。」そう言って肯定してくれるのだ。
今日実は久しぶりに映画館に行って「6才のボクが、大人になるまで。」を観て来た。
「時の流れ」ということにかけては、この映画の監督、リチャード・リンクレーターは、絶対
に手を抜かない。なぜなら、この「6才のボク」が大学に入り巣立つまでの12年間を、同じ主要
キャストを実際12年にわたって毎年集合させては映画を撮り貯め、完成させたのがこの映画だか
らだ。
この監督の「ビフォア・シリーズ」と呼ばれる3部作でも、1部と2部の間に9年、2部と3部にも
数年間の開きが物語の中にあり、それは実際の時間ともちゃんとマッチしている。
つまり登場人物がちゃんと物語の年数分年を取っているということだ。
嬉しいのは、このビフォア・シリーズに出ずっばりのイーサン・ホークが、この「6才のボク」
でも父親役で好演している。イサン・ホーク、好きな俳優さんの一人なので、またこの映画に
ついて、続きをゆっくり書きたいです。
ところで、もうひとつはまっているドラマがあってね。これだけ言っておきたい。
それは「きょうは会社休みます。」
30歳の花笑(綾瀬はるかちゃん)に生まれて初めて出来た彼が9歳年下のイケメン。
ごく単純で、でも魅力的な設定。
会社を私用で休んだことない彼女が、彼と恋をして初めて会社に電話する。
きょうは会社休みます。って。
年下の男性との恋愛とか壁ドンとか、さすがにもう自分の身に起きて欲しいと思ってるわけじゃ
ない。でも観ててニコニコしたりドキドキしたりしている。年を取ったって閉経したってそれは
関係ないみたい。恋愛というのはいつの時でもキラキラしているイメージであり続けるのね。
リアル現実・・を散々経験してきた私なのに、今だにそう思えるってホント凄いことだワ。
あ、最初に戻るけど「昨夜のカレー、明日のパン」で、お嫁さんの徹子さん役をしていた
仲里衣紗ちゃんが「きょう会社休みます。」では、主人公の花笑さんの後輩で今時の女の子
の瞳ちゃんを演じている。
どちらかというと男前で洒落っ気なしの 徹子さん と、ふんわりカールにフレアースカートで
女を全面に押し出している 瞳ちゃん に共通点はまったく見当たらない。
里衣紗ちゃんのこの2役のギャップを一週間の内に味合うのも楽しみだったのに。
あ~、だらだらと長くなりました。ではまた。
子供の頃からスクリーンや画面でずっと見てきた高倉健さんが亡くなられた。
昭和の大スターをひとり、またひとりと失って行くのは、見慣れていた風景がその都度大きく
削り取られて、でもその欠落部分を新たな息吹で再び埋めることはかなわず、しょうがないから
その不完全な風景をそのまんまいびつな形で受け入れているようなものだ。
純粋な昭和っ子の私は、年々進む、その欠け落ち抜けていく風景に、どこかすがっているところ
があって、背後から迫り来る新しい風にはあまり馴染めないでいる。
健さんが演じる、「人生に不器用な男の人」が好きだった。
たぶん 器用な人が不器用さを演じるのは無理があると思うので、健さん自身も不器用な人だった
のではないかと私は勝手に思っている。
「もっと健さんの映画を観たかったのに・・。」と、昨日家に遊びに来てくれたママ友二人も
健さんの死を心から悼んでいた。我々主婦の、ささやかなランチの話題にも登場する健さんだも
の、ビッグスターであると同時に、大衆に寄り添った俳優さんだったに違いない。
健さんの訃報をきっかけに、昭和にグ~ンと回帰したわけではないけれど、お昼ご飯にミート
ソーススパゲッティーを作ったら、友達がとても喜んでくれた。
手前味噌で申し訳ないが、このミートソース、本当に美味しく出来上がって、友達二人も
「今まで食べた中で一番おいしい!」と絶賛してくれた。
これが残念ながらレシピがないのよね~。でも入れたものは覚えている。
合いびき肉・玉ねぎ・にんにく・トマトホール缶・赤ワイン・テンメンジャン(中華の甘味噌)
クレージイソルト・ドライオレガノ・ドライバジル・ベイリーフ・ウスターソース・醤油・
ケチャップ・塩コショウ・コンソメ・・こんな感じかな。あ、少し小麦粉も使ったはず。
最後に粉チーズも忘れずに。
丁寧に作ってみると、ミートソースは、子供っぽくないちゃんとしたご馳走になることも初めて知った。それにミートソーススパゲッティー、嫌いな人いないよね。
ミートソーススパゲッティーを食べながら、時々振り返っては、友達がお土産に持ってきて
くれた「大人のクリスマスブーツ」を見て私はワクワクしていた。
この意外なお土産を手渡されたとき、私は「ありがとう~!!!」と言って、頬をピンクに
染めて喜んでしまった。
クリスマスブーツなんて、何十年ぶりだろう?
「大人の~」とことわるだけあって、シックな色のブーツの中に、ちょっと洒落たお菓子が
詰まっているのだ。
子供が喜ぶものって、ちょっとアレンジすれば結局大人も喜べるのよね。
いくら普段隠してたって、自分の中に「子供っぽさ」は着実に存在するのだもの。
ま、一応大人になった私たちは、子供の時に馴染んでいたものを大人仕様にアレンジして
もらうことで、安心して楽しめるってことなのかな。
セピア色の景色にしっくりと馴染む、ミートソースもクリスマスブーツもクリスマスツリーも、
また違った形で今の私を十分に楽しませてくれているのだ。

昭和の大スターをひとり、またひとりと失って行くのは、見慣れていた風景がその都度大きく
削り取られて、でもその欠落部分を新たな息吹で再び埋めることはかなわず、しょうがないから
その不完全な風景をそのまんまいびつな形で受け入れているようなものだ。
純粋な昭和っ子の私は、年々進む、その欠け落ち抜けていく風景に、どこかすがっているところ
があって、背後から迫り来る新しい風にはあまり馴染めないでいる。
健さんが演じる、「人生に不器用な男の人」が好きだった。
たぶん 器用な人が不器用さを演じるのは無理があると思うので、健さん自身も不器用な人だった
のではないかと私は勝手に思っている。
「もっと健さんの映画を観たかったのに・・。」と、昨日家に遊びに来てくれたママ友二人も
健さんの死を心から悼んでいた。我々主婦の、ささやかなランチの話題にも登場する健さんだも
の、ビッグスターであると同時に、大衆に寄り添った俳優さんだったに違いない。
健さんの訃報をきっかけに、昭和にグ~ンと回帰したわけではないけれど、お昼ご飯にミート
ソーススパゲッティーを作ったら、友達がとても喜んでくれた。
手前味噌で申し訳ないが、このミートソース、本当に美味しく出来上がって、友達二人も
「今まで食べた中で一番おいしい!」と絶賛してくれた。
これが残念ながらレシピがないのよね~。でも入れたものは覚えている。
合いびき肉・玉ねぎ・にんにく・トマトホール缶・赤ワイン・テンメンジャン(中華の甘味噌)
クレージイソルト・ドライオレガノ・ドライバジル・ベイリーフ・ウスターソース・醤油・
ケチャップ・塩コショウ・コンソメ・・こんな感じかな。あ、少し小麦粉も使ったはず。
最後に粉チーズも忘れずに。
丁寧に作ってみると、ミートソースは、子供っぽくないちゃんとしたご馳走になることも初めて知った。それにミートソーススパゲッティー、嫌いな人いないよね。
ミートソーススパゲッティーを食べながら、時々振り返っては、友達がお土産に持ってきて
くれた「大人のクリスマスブーツ」を見て私はワクワクしていた。
この意外なお土産を手渡されたとき、私は「ありがとう~!!!」と言って、頬をピンクに
染めて喜んでしまった。
クリスマスブーツなんて、何十年ぶりだろう?
「大人の~」とことわるだけあって、シックな色のブーツの中に、ちょっと洒落たお菓子が
詰まっているのだ。
子供が喜ぶものって、ちょっとアレンジすれば結局大人も喜べるのよね。
いくら普段隠してたって、自分の中に「子供っぽさ」は着実に存在するのだもの。
ま、一応大人になった私たちは、子供の時に馴染んでいたものを大人仕様にアレンジして
もらうことで、安心して楽しめるってことなのかな。
セピア色の景色にしっくりと馴染む、ミートソースもクリスマスブーツもクリスマスツリーも、
また違った形で今の私を十分に楽しませてくれているのだ。
年に一度の音楽ライブに、出演者の家族として参加するようになって3度目の今年。
そのライブが、いつものライブハウス ラパンエアロで先週の土曜日に行われた。
いつもとちょっと違ったのは、「Photographerとして参加よろしく。」というライブ主催者
からの依頼メールに反応し、カメラの準備をいつもよりも念入りに行ったことだ。
仕事で写真を撮りなれている娘も その日は休めると言っていたので、助っ人を頼んだ。
ライブ会場で「暗さ対策」のために、娘とおでこを付き合わせながらカメラをいじっている
うちに、彼女のカメラと私のカメラの精度の違いが明白になってきた。
まずびっくりしたのは、最高感度が倍以上違うことだ。
感度をぎりぎりいっぱいあげて、「おっ、けっこう暗くても焦点合うな・・」と悦にいっている
彼女の隣で、四苦八苦している私がいた。
勉強不足の私が、暗がりの中、やっつけにピシッとした写真を撮れるはずがない。そうその場で
観念した私は、娘に正統派写真を託し、自分は「ちょっとぶれてて面白い写真」という姑息な方向
に走ることにした。
出演者やオーディエンスをなんとか一通り撮り終えると、手持ち無沙汰になった私のレンズは
床を這いずりだし、カクンとのけぞっては天井を写し、またそこからの降り際に、偶然キャッチ
したギタリストの手に張り付いてみたりしていた。
音の振動が踊り続けている小さな空間が、ステージ上にはいっぱいあった。
そんな空間的別世界に半身を滑り込ませつつ、現実世界に残した片耳で、奏でられる音楽
を聴いていた。
シャッターを押し続けるってすごい快感。
あとで見てみて、撮った写真のほとんどがわけのわからない粗悪なものばかりでびっくりした
けれど、不思議な感覚が経験できたことで個人的には楽しかった。
ライブの打ち上げ会場で、タブレットに取り込んだ自分の写真をお披露目して、みんなに
褒められ喜ばれている娘がいた。
私はこの瞬間、ちょっとボケてわけわからなくなった私の隣に、着実に娘が立ってくれている
将来の場面が、ちらりと見えた気がしたのだ。



そのライブが、いつものライブハウス ラパンエアロで先週の土曜日に行われた。
いつもとちょっと違ったのは、「Photographerとして参加よろしく。」というライブ主催者
からの依頼メールに反応し、カメラの準備をいつもよりも念入りに行ったことだ。
仕事で写真を撮りなれている娘も その日は休めると言っていたので、助っ人を頼んだ。
ライブ会場で「暗さ対策」のために、娘とおでこを付き合わせながらカメラをいじっている
うちに、彼女のカメラと私のカメラの精度の違いが明白になってきた。
まずびっくりしたのは、最高感度が倍以上違うことだ。
感度をぎりぎりいっぱいあげて、「おっ、けっこう暗くても焦点合うな・・」と悦にいっている
彼女の隣で、四苦八苦している私がいた。
勉強不足の私が、暗がりの中、やっつけにピシッとした写真を撮れるはずがない。そうその場で
観念した私は、娘に正統派写真を託し、自分は「ちょっとぶれてて面白い写真」という姑息な方向
に走ることにした。
出演者やオーディエンスをなんとか一通り撮り終えると、手持ち無沙汰になった私のレンズは
床を這いずりだし、カクンとのけぞっては天井を写し、またそこからの降り際に、偶然キャッチ
したギタリストの手に張り付いてみたりしていた。
音の振動が踊り続けている小さな空間が、ステージ上にはいっぱいあった。
そんな空間的別世界に半身を滑り込ませつつ、現実世界に残した片耳で、奏でられる音楽
を聴いていた。
シャッターを押し続けるってすごい快感。
あとで見てみて、撮った写真のほとんどがわけのわからない粗悪なものばかりでびっくりした
けれど、不思議な感覚が経験できたことで個人的には楽しかった。
ライブの打ち上げ会場で、タブレットに取り込んだ自分の写真をお披露目して、みんなに
褒められ喜ばれている娘がいた。
私はこの瞬間、ちょっとボケてわけわからなくなった私の隣に、着実に娘が立ってくれている
将来の場面が、ちらりと見えた気がしたのだ。
先日表参道で、絵画展とランチを一緒に楽しんだ際に、「じゃ、次はウチに遊びにおいで。」と
言ってくれていたえっちゃんの家に昨日遊びに行って来た。
この際だから他にも声をかけてみよう・・とえっちゃんが連絡してくれた5人も加わり、小さな
クラス会のように輪が広がった。
料理上手のえっちゃんが用意してくれた美味しい食事、清潔で趣味のいいくつろぎの空間、
久々の友達の顔、声。それらにちょっとばかりのアルコールが加わり、私はいつしか心底
くつろいでいた。
特に50を超えてから、友人と会うたび感じることがある。
私は彼らひとりひとりをとても誇らしいと思うのだ。
今ある状況は、その人それぞれであるけれども、お互い何かを押し付けることは全く
しない。相手の立場に敬意を払っているからこそ、それは可能なことなのだと思う。
みんなすごく誠実で賢い。様々な経験を通して得た知恵と柔軟さがある。
昔の彼女達も好きだったけれど、今の彼女達はもっと好きだ。
「今の私たちって、力を合わせたら、かなりすごいことできるんじゃない?」と、私が
言うと、みんなニコニコしながら賛同してくれた。
尽きないおしゃべりの輪の中に居ながら、心地よさの理由がもひとつ別にあることに気づ
かされた。みんなのお喋りの量のバランスが絶妙なのだ。
しゃべり続ける人、それをただ聴くだけの人は、私たちの中に誰ひとりとしていなかった。
みんなが喋り、みんなが人の話に真剣に耳を傾けた。
無言のルールでもあるかのように、バトンが均等に回されていった。
みんなのおしゃべりに、ただうなづいているだけの友達がいると、もうひとりの友達が問い
かける。彼女が話始める。そして私たちが聞く。
会話はキャッチボールだという言い古された言葉があるけれど、私たちの間に、幾重にも
重なった美しい放物線が描かれていたのだ。
言ってくれていたえっちゃんの家に昨日遊びに行って来た。
この際だから他にも声をかけてみよう・・とえっちゃんが連絡してくれた5人も加わり、小さな
クラス会のように輪が広がった。
料理上手のえっちゃんが用意してくれた美味しい食事、清潔で趣味のいいくつろぎの空間、
久々の友達の顔、声。それらにちょっとばかりのアルコールが加わり、私はいつしか心底
くつろいでいた。
特に50を超えてから、友人と会うたび感じることがある。
私は彼らひとりひとりをとても誇らしいと思うのだ。
今ある状況は、その人それぞれであるけれども、お互い何かを押し付けることは全く
しない。相手の立場に敬意を払っているからこそ、それは可能なことなのだと思う。
みんなすごく誠実で賢い。様々な経験を通して得た知恵と柔軟さがある。
昔の彼女達も好きだったけれど、今の彼女達はもっと好きだ。
「今の私たちって、力を合わせたら、かなりすごいことできるんじゃない?」と、私が
言うと、みんなニコニコしながら賛同してくれた。
尽きないおしゃべりの輪の中に居ながら、心地よさの理由がもひとつ別にあることに気づ
かされた。みんなのお喋りの量のバランスが絶妙なのだ。
しゃべり続ける人、それをただ聴くだけの人は、私たちの中に誰ひとりとしていなかった。
みんなが喋り、みんなが人の話に真剣に耳を傾けた。
無言のルールでもあるかのように、バトンが均等に回されていった。
みんなのおしゃべりに、ただうなづいているだけの友達がいると、もうひとりの友達が問い
かける。彼女が話始める。そして私たちが聞く。
会話はキャッチボールだという言い古された言葉があるけれど、私たちの間に、幾重にも
重なった美しい放物線が描かれていたのだ。
インターホンが鳴り、応対してみるとマンションの管理人さんだった。
穏やかな表情をした管理人さんがエントランスホールで、電気自転車のバッテリー を片手にぶらさげて立っている姿がインターホンの画面に映し出されていた。
「こちらでこれ、お預かりしてますから。取りにいらしてください。」
と言う管理人さんに、私は「ありがとうございます。すぐ取りにいきますっ!」と晴れやかに言った。
実は昨日、私にありがちなとんまなドジを、またしてもやってしまったのだ。
マンションの駐輪場で、ちょっと入りづらいな・・と思いながらバッテリーを自転車の
所定位置にがっちり入れ込み、さて開錠しようと思ったら、鍵が合わない。
壊れたの?と一瞬思ったら、自分の自転車じゃなかった。
メーカーもおんなじ。色も茶色系で形もほぼ合同体。
だからと言って、人様の自転車に自分のバッテリーをはめ込んでいいわけない。
当たり前のことだが、はめ込んでしまったら最後、自分の鍵では外れない。
祝日のため管理人さんもお休みだったので、登録帳で自転車の持ち主を調べてもらう
こともできず、メモを書いてサドルに貼り付け電話を待つことにした。
当然のことながら、私はど~~んと落ち込んだ。
入れづらいと思った時点でなぜ気づかない? この不注意この間抜けさ、やっぱり
死ぬまで治らないのか、ほんと情けない。人に迷惑かけないようにね。と子供たちを育てて
きたのに、自分が人に迷惑かけていったいどうする?
昨日は朝5時から起きてさっさと家事を片付けていた。
ダンナは出勤だし、ジムに行こうと思っていたからだ。
ヨガの先生が前回のレッスン中に、「文化の日には特別プログラムとして「サルサ」と
「ピラティス」を担当するから是非来てね。」と言った時になぜか目が合ってしまい、私は
うん。とうなづいてしまった。
急遽予定を変更し、一日中家にいて電話を待っていたのだが、毎日自転車に乗る方では
なかったのだろう、とうとううちの電話は日がな一日押し黙ったままだった。
今朝になって早速勤務中の管理人さんに事情を話し、自転車の持ち主を教えてもらった。
すぐにお宅に伺ったがお留守のようだった。
相手の鍵で外れなかったら、特殊な修理が必要かもしれないな。と覚悟を決めていたら、
「出かけるところのお嬢さんが、自転車のバッテリーに気づき、外して持って来てくれました。」と、管理人さんがインターホン越しに伝えてくれたというわけだ。
それにしても、自分がちょっとしたことですごく落ち込む人間であることを、今回の出来事
で、私は再確認した。昨日はその落ち込みから抜けられず、夜ご飯もちゃんと食べることが
できなかった。それどころか、いとこが先日残していった缶ビールを一気に飲んで、現実逃避
しようとしていた。
そしてその落ち込みを引きずったまま今日になった。
自分のことはおろそかにしても、不思議なことにハルとダンナのためにはいつもの通り動けた。
気づきづらい事だけれど、こういうことってすごくありがたいことなんだと思う。
ものすごい労力とエネルギーを必要とするあの面倒な子育ても、実はさせてもらっていたんだ、
と今なら思える。そう、母親、させてもらっていたんだ。
楽 なのと 楽しい は、同じ字なのにまったく違う。
楽なことで楽しいことって、もしもあったら教えて欲しい。
穏やかな表情をした管理人さんがエントランスホールで、電気自転車のバッテリー を片手にぶらさげて立っている姿がインターホンの画面に映し出されていた。
「こちらでこれ、お預かりしてますから。取りにいらしてください。」
と言う管理人さんに、私は「ありがとうございます。すぐ取りにいきますっ!」と晴れやかに言った。
実は昨日、私にありがちなとんまなドジを、またしてもやってしまったのだ。
マンションの駐輪場で、ちょっと入りづらいな・・と思いながらバッテリーを自転車の
所定位置にがっちり入れ込み、さて開錠しようと思ったら、鍵が合わない。
壊れたの?と一瞬思ったら、自分の自転車じゃなかった。
メーカーもおんなじ。色も茶色系で形もほぼ合同体。
だからと言って、人様の自転車に自分のバッテリーをはめ込んでいいわけない。
当たり前のことだが、はめ込んでしまったら最後、自分の鍵では外れない。
祝日のため管理人さんもお休みだったので、登録帳で自転車の持ち主を調べてもらう
こともできず、メモを書いてサドルに貼り付け電話を待つことにした。
当然のことながら、私はど~~んと落ち込んだ。
入れづらいと思った時点でなぜ気づかない? この不注意この間抜けさ、やっぱり
死ぬまで治らないのか、ほんと情けない。人に迷惑かけないようにね。と子供たちを育てて
きたのに、自分が人に迷惑かけていったいどうする?
昨日は朝5時から起きてさっさと家事を片付けていた。
ダンナは出勤だし、ジムに行こうと思っていたからだ。
ヨガの先生が前回のレッスン中に、「文化の日には特別プログラムとして「サルサ」と
「ピラティス」を担当するから是非来てね。」と言った時になぜか目が合ってしまい、私は
うん。とうなづいてしまった。
急遽予定を変更し、一日中家にいて電話を待っていたのだが、毎日自転車に乗る方では
なかったのだろう、とうとううちの電話は日がな一日押し黙ったままだった。
今朝になって早速勤務中の管理人さんに事情を話し、自転車の持ち主を教えてもらった。
すぐにお宅に伺ったがお留守のようだった。
相手の鍵で外れなかったら、特殊な修理が必要かもしれないな。と覚悟を決めていたら、
「出かけるところのお嬢さんが、自転車のバッテリーに気づき、外して持って来てくれました。」と、管理人さんがインターホン越しに伝えてくれたというわけだ。
それにしても、自分がちょっとしたことですごく落ち込む人間であることを、今回の出来事
で、私は再確認した。昨日はその落ち込みから抜けられず、夜ご飯もちゃんと食べることが
できなかった。それどころか、いとこが先日残していった缶ビールを一気に飲んで、現実逃避
しようとしていた。
そしてその落ち込みを引きずったまま今日になった。
自分のことはおろそかにしても、不思議なことにハルとダンナのためにはいつもの通り動けた。
気づきづらい事だけれど、こういうことってすごくありがたいことなんだと思う。
ものすごい労力とエネルギーを必要とするあの面倒な子育ても、実はさせてもらっていたんだ、
と今なら思える。そう、母親、させてもらっていたんだ。
楽 なのと 楽しい は、同じ字なのにまったく違う。
楽なことで楽しいことって、もしもあったら教えて欲しい。
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