日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
今季初めての菜の花に魅せられて、久しぶりにカメラを構えてみる。
菜の花の黄色は、なんて優しく輝かしい色なんだろう。
歩きながら、盛りを迎えた梅に目を奪われる。
そこからふと視線を落とすと、水仙がたわわにお花を付けていた。
私の周り、確実に、春の濃さが増している。
もしも絵が描けたなら・・。
パレットに黄色の絵の具を押し出して、あまりのその明るさに、しばらく眺めてしまいそう。
ひとつの絵がずっと私の中から離れない。
髪の長い、女性像。
慈愛に満ちた笑をほんのり浮かべて、わずかに両目を閉じている。
胸の前には小さな白い手が重ねられている。
丸みを帯びたやわらかな輪郭は、外界との境を曖昧にしている。
溶け出し混じり合う。喜びも怒りも悲しみも静かにたたずみ、微動だにしない。
サリドマイド薬害の被害者であるその女性は、描いたその絵について明るく答えていた。
「自分も女性だって言いたい時がある。でもたぶん周りの人が困ってしまうでしょ。
だからそういう時に自分の中の女性像を描くのです。」
ひとりの友達が、私が付けている真珠を見て、「真珠は、『受難の中の真実』って言うのよ。」
と教えてくれた。
そうだ、真珠のように美しい絵なのです。



菜の花の黄色は、なんて優しく輝かしい色なんだろう。
歩きながら、盛りを迎えた梅に目を奪われる。
そこからふと視線を落とすと、水仙がたわわにお花を付けていた。
私の周り、確実に、春の濃さが増している。
もしも絵が描けたなら・・。
パレットに黄色の絵の具を押し出して、あまりのその明るさに、しばらく眺めてしまいそう。
ひとつの絵がずっと私の中から離れない。
髪の長い、女性像。
慈愛に満ちた笑をほんのり浮かべて、わずかに両目を閉じている。
胸の前には小さな白い手が重ねられている。
丸みを帯びたやわらかな輪郭は、外界との境を曖昧にしている。
溶け出し混じり合う。喜びも怒りも悲しみも静かにたたずみ、微動だにしない。
サリドマイド薬害の被害者であるその女性は、描いたその絵について明るく答えていた。
「自分も女性だって言いたい時がある。でもたぶん周りの人が困ってしまうでしょ。
だからそういう時に自分の中の女性像を描くのです。」
ひとりの友達が、私が付けている真珠を見て、「真珠は、『受難の中の真実』って言うのよ。」
と教えてくれた。
そうだ、真珠のように美しい絵なのです。
家族が風邪をひくと私もひく。抵抗力の弱さが目立つ今日この頃。
この時期の風邪はややこしい。どの症状が風邪なのか、花粉症なのかがわからない。
熱がひいた今、鼻水としつこい咳が残っている。
ひっきりなしにかんでいないと、ぽたぽたと落ちそうになる鼻水は、どちらかというと花粉症
か。目の前にあっという間に積み上げられるティッシュの残骸に、罪悪感を感じはじめ、ティ
ッシュを小さくちぎっては両鼻に詰めてみる。普段通りに洗面所へ行き、鏡に映った自分を見て、
その滑稽さにギョッとした。人が見たら「何ふざけてんの~?」と笑われそうだ。
私が子供の頃から、片鼻の脱脂綿は鼻血の応急措置と決まっていた。
片鼻の詰め物は、痛々しさのイメージがある。
でも両鼻は、いけない。印象がガラリと変わってしまうからだ。
本人は真面目に物事を考えていたとしても、とてもそうは見えない。もしかしたらこの両鼻の
詰め物は、「人をおちょくっているのか、それは。」と怒る人を出すくらいの爆発的な力を
持っているかもしれない。なんたって、真剣さとか真面目さとか緊張などを寄せ付けない
勢いがある。どんなにお洒落をしようがおすまししようが、両鼻に詰め物をした時点で
ジ・エンドである。イメージなんてこんなにもろいものなんだ。
バランスとか端正さとか美しさに対して、敏感でありながらも同時に鈍感でありたいと思った。
イメージは真実を隠すのが上手、だと思うから。間違いなく確信犯だ。
この時期の風邪はややこしい。どの症状が風邪なのか、花粉症なのかがわからない。
熱がひいた今、鼻水としつこい咳が残っている。
ひっきりなしにかんでいないと、ぽたぽたと落ちそうになる鼻水は、どちらかというと花粉症
か。目の前にあっという間に積み上げられるティッシュの残骸に、罪悪感を感じはじめ、ティ
ッシュを小さくちぎっては両鼻に詰めてみる。普段通りに洗面所へ行き、鏡に映った自分を見て、
その滑稽さにギョッとした。人が見たら「何ふざけてんの~?」と笑われそうだ。
私が子供の頃から、片鼻の脱脂綿は鼻血の応急措置と決まっていた。
片鼻の詰め物は、痛々しさのイメージがある。
でも両鼻は、いけない。印象がガラリと変わってしまうからだ。
本人は真面目に物事を考えていたとしても、とてもそうは見えない。もしかしたらこの両鼻の
詰め物は、「人をおちょくっているのか、それは。」と怒る人を出すくらいの爆発的な力を
持っているかもしれない。なんたって、真剣さとか真面目さとか緊張などを寄せ付けない
勢いがある。どんなにお洒落をしようがおすまししようが、両鼻に詰め物をした時点で
ジ・エンドである。イメージなんてこんなにもろいものなんだ。
バランスとか端正さとか美しさに対して、敏感でありながらも同時に鈍感でありたいと思った。
イメージは真実を隠すのが上手、だと思うから。間違いなく確信犯だ。
気温が徐々に上がってくると、氷が溶け出すように身体が緩み始める。
緩みが不快につながるのは私だけなのだろうか? この季節のいつもの憂鬱を、例外なく
感じながら毎日過ごしています。
今年に入ってからもうすでに2ヶ月近く過ぎようとしている。
新年を迎える度に、平和と安定を望みながら、今年はちょっと違った趣の一年を・・と期待して
しまうのは私の癖みたいなものだ。
期待そのものが長年の間にマンネリ化して、形だけのものになりつつあった。
でも今年はちょっといつもと違った流れの中に自分がいるのを感じている。
古い友人との再会が極端に増えたのもそのひとつだ。
子育てや仕事で手一杯だった日々が落ち着いてきたからだと思う。何十年ぶりかの旧友との再会
の後、ではこれを機にたまに集まって、お互い死ぬまで一緒に生きて行きましょうかねえ・・
という感じなのである。
人生終盤における友達関係の新たな始まり と、言えるのかもしれない。
「終盤」というのは寂しいけれど、「始まり」でもあるのだから楽しもうと思う。
そういう流れの中で、10日前ほどに大学時代の先輩 まあちゃんに20数年ぶりに会うことが
できた。上野で、水墨画の展覧会に出品しているまあちゃんを、同期のタエとチカで訪ねたか
らだ。
まあちゃんは、昔のまあちゃんのままだった。
違うのは、お弟子さんから「先生」と呼ばれたりして、上品さと落ち着きを備えていたことだ。
大学時代のまあちゃんは、「てめーなあ・・」と後輩の男子をよく小突いていたものだ。
人は地位とか年齢とか環境によって影響を受けやすいということがわかっているからこそ、
中身の素の部分が昔のまあちゃんと全然変わっていないことが私はとても嬉しかった。
結婚してから子供を持つまでの5年間くらい、まあちゃんと毎週のように遊んでいるとき
があった。とても懐かしい。
お弟子さんの前ではしゃきっとしてなくてはならないのでしょうけれど、次回上京した時は、
是非まあちゃんの泥酔状態が見てみたいと思っている私です。
緩みが不快につながるのは私だけなのだろうか? この季節のいつもの憂鬱を、例外なく
感じながら毎日過ごしています。
今年に入ってからもうすでに2ヶ月近く過ぎようとしている。
新年を迎える度に、平和と安定を望みながら、今年はちょっと違った趣の一年を・・と期待して
しまうのは私の癖みたいなものだ。
期待そのものが長年の間にマンネリ化して、形だけのものになりつつあった。
でも今年はちょっといつもと違った流れの中に自分がいるのを感じている。
古い友人との再会が極端に増えたのもそのひとつだ。
子育てや仕事で手一杯だった日々が落ち着いてきたからだと思う。何十年ぶりかの旧友との再会
の後、ではこれを機にたまに集まって、お互い死ぬまで一緒に生きて行きましょうかねえ・・
という感じなのである。
人生終盤における友達関係の新たな始まり と、言えるのかもしれない。
「終盤」というのは寂しいけれど、「始まり」でもあるのだから楽しもうと思う。
そういう流れの中で、10日前ほどに大学時代の先輩 まあちゃんに20数年ぶりに会うことが
できた。上野で、水墨画の展覧会に出品しているまあちゃんを、同期のタエとチカで訪ねたか
らだ。
まあちゃんは、昔のまあちゃんのままだった。
違うのは、お弟子さんから「先生」と呼ばれたりして、上品さと落ち着きを備えていたことだ。
大学時代のまあちゃんは、「てめーなあ・・」と後輩の男子をよく小突いていたものだ。
人は地位とか年齢とか環境によって影響を受けやすいということがわかっているからこそ、
中身の素の部分が昔のまあちゃんと全然変わっていないことが私はとても嬉しかった。
結婚してから子供を持つまでの5年間くらい、まあちゃんと毎週のように遊んでいるとき
があった。とても懐かしい。
お弟子さんの前ではしゃきっとしてなくてはならないのでしょうけれど、次回上京した時は、
是非まあちゃんの泥酔状態が見てみたいと思っている私です。
よほどの悪天候でない限り、平日の朝は、小学校の正門前をハルと一緒に通る。
先生らしき人が門前に立っていて、次々とやって来る生徒たちに「おはようございます。」と
元気な声を立て続けにかけている。先生は通行人への挨拶もないがしろにしない。
最初の頃は言われて返していた私も、最近は殆ど同時にかぶせるように挨拶をするようになった。
それどころか、相手の声の大きさと明瞭さに引きづられ、今では模範的な挨拶ができる大人にな
れたのではないかと思う。早朝大きな声で、「おはようございます!」と明るく言うと、一日が
スムーズに動き出す。
正門を過ぎた所で、向こうからやって来た二人の女の子たちが、すれ違う直前につっと立ち止まった。ひとりの子がもうひとりの子の耳元に、ささやいているのがすれ違いざまに聞こえた。
「2年生になるのは、心配ですか?」
そうか・・6歳か7歳の彼女たちの前に広がる未来は、未知なことだらけで、果てしなく限りない
んだね。予期できる というのは、あらかたの経験があってのことだものね。小学生という初めて
の経験を一年弱やってきた彼女たちの小さな心と頭は、「小学2年生」というまったく未知の世界を想像して、期待と不安でないまぜになっているんだね。
一昨日、偶然にも6才の女の子が主人公の映画、「メイジーの瞳」を観た。
通学中に空を見上げ、電線に引っかかっている凧に気づくと、もう一度振り返って
見てしまうような繊細な女の子、それがメイジー。
でも彼女は、そういう繊細な感情を遮断する方法を、6歳にして覚えてしまっている。
ロックシンガーの母親と美術商の父親が口汚くののしりあい喧嘩を始めると、彼女の表情は
悲しみとか怒りとかではなく、その辛い状況を遠くから客観視するような、何故かな?
ふしぎだな。というような表情になる。
両親の離婚により、メイジーは10日ごとに母親と父親の所を行ったり来たりする生活を
余儀なくされる。10日めごとの移動時に、大人の自分勝手と無責任さから、メイジー
は長い時間ひとりで待たされたり、誰も引き取り手がなく宙ぶらりんになってしまい、見知ら
ぬ人のところで不安な一夜を過ごしたりもするのだ。
それでも、大人に頼って生きていくしかない。彼女は本能的に感じていたに違いない。
母親が再婚した相手、リンカーンが初めて学校にお迎えに来た時も、最初は尻込みするのだが、
いざ一緒に歩き出すと、自分から手を伸ばして手をつなぎ、継父を受け入れるのだ。
父親のビールは、離婚した相手、つまりメイジーの母親であるスザンナがメイジーに送ってきた
花束を、ゴミ箱に捨ててしまう程の子供っぽさ。メイジーはそれに気づいて拾い上げ、クローゼ
ットに隠しておく。しばらくしてビールの再婚相手のマーゴが花束を見つけて尋ねる。
「わからない。」とメイジーは最初嘘をつく。花瓶に生けよう というマーゴに、
「そのまま隠しておいてはだめ?ママからなの。パパが捨てたの。」と事実を話し出す。
「パパはね、お花のアレルギーなの。」と最後にはパパをかばう。
子供は小さな頭をいっぱい使って、大人の混沌を鎮めようとする。
両親のそれぞれの再婚相手だった、リンカーンとマーゴが、メイジーを中心に接近する。
3人で過ごす時間が多くなる。マーゴの膝でうたた寝するメイジーは、何度も薄目を開けて
確かめる。リンカーンとマーゴが仲良く楽しそうに話しているのを。
調和は子供に心の平和を与える。
母親のスザンナが、リンカーンとマーゴのふたりと一緒に暮らしていたメイジーを引取りに
やって来る。
メイジーは、そこで初めて自分の意思を表す。
二人と一緒に居たい。二人と明日ボートに乗るの。
翌日、桟橋を駆け抜けるメイジーの表情には自信と希望がみなぎっていた。
いい映画だったな。メイジー役のオナタアプリールは、衝撃的だった。
演技をしているように見えないのだ。意味がわからない。だってメイジーにしか見えないの
だから。オナタアプリールとしての実生活があることが信じられないのだ。
ちょっと困ったような表情が多かったメイジーが、リンカーンとマーゴと一緒にゲームをしな
がら笑い転げるシーンがある。子供はやはり笑顔が似合う。子供たちは笑顔をたくさん経験する
ように生まれてきているはずなんだ。
子供たちから笑顔を奪うようなことを、大人がするなんて、絶対にあってはならない。
先生らしき人が門前に立っていて、次々とやって来る生徒たちに「おはようございます。」と
元気な声を立て続けにかけている。先生は通行人への挨拶もないがしろにしない。
最初の頃は言われて返していた私も、最近は殆ど同時にかぶせるように挨拶をするようになった。
それどころか、相手の声の大きさと明瞭さに引きづられ、今では模範的な挨拶ができる大人にな
れたのではないかと思う。早朝大きな声で、「おはようございます!」と明るく言うと、一日が
スムーズに動き出す。
正門を過ぎた所で、向こうからやって来た二人の女の子たちが、すれ違う直前につっと立ち止まった。ひとりの子がもうひとりの子の耳元に、ささやいているのがすれ違いざまに聞こえた。
「2年生になるのは、心配ですか?」
そうか・・6歳か7歳の彼女たちの前に広がる未来は、未知なことだらけで、果てしなく限りない
んだね。予期できる というのは、あらかたの経験があってのことだものね。小学生という初めて
の経験を一年弱やってきた彼女たちの小さな心と頭は、「小学2年生」というまったく未知の世界を想像して、期待と不安でないまぜになっているんだね。
一昨日、偶然にも6才の女の子が主人公の映画、「メイジーの瞳」を観た。
通学中に空を見上げ、電線に引っかかっている凧に気づくと、もう一度振り返って
見てしまうような繊細な女の子、それがメイジー。
でも彼女は、そういう繊細な感情を遮断する方法を、6歳にして覚えてしまっている。
ロックシンガーの母親と美術商の父親が口汚くののしりあい喧嘩を始めると、彼女の表情は
悲しみとか怒りとかではなく、その辛い状況を遠くから客観視するような、何故かな?
ふしぎだな。というような表情になる。
両親の離婚により、メイジーは10日ごとに母親と父親の所を行ったり来たりする生活を
余儀なくされる。10日めごとの移動時に、大人の自分勝手と無責任さから、メイジー
は長い時間ひとりで待たされたり、誰も引き取り手がなく宙ぶらりんになってしまい、見知ら
ぬ人のところで不安な一夜を過ごしたりもするのだ。
それでも、大人に頼って生きていくしかない。彼女は本能的に感じていたに違いない。
母親が再婚した相手、リンカーンが初めて学校にお迎えに来た時も、最初は尻込みするのだが、
いざ一緒に歩き出すと、自分から手を伸ばして手をつなぎ、継父を受け入れるのだ。
父親のビールは、離婚した相手、つまりメイジーの母親であるスザンナがメイジーに送ってきた
花束を、ゴミ箱に捨ててしまう程の子供っぽさ。メイジーはそれに気づいて拾い上げ、クローゼ
ットに隠しておく。しばらくしてビールの再婚相手のマーゴが花束を見つけて尋ねる。
「わからない。」とメイジーは最初嘘をつく。花瓶に生けよう というマーゴに、
「そのまま隠しておいてはだめ?ママからなの。パパが捨てたの。」と事実を話し出す。
「パパはね、お花のアレルギーなの。」と最後にはパパをかばう。
子供は小さな頭をいっぱい使って、大人の混沌を鎮めようとする。
両親のそれぞれの再婚相手だった、リンカーンとマーゴが、メイジーを中心に接近する。
3人で過ごす時間が多くなる。マーゴの膝でうたた寝するメイジーは、何度も薄目を開けて
確かめる。リンカーンとマーゴが仲良く楽しそうに話しているのを。
調和は子供に心の平和を与える。
母親のスザンナが、リンカーンとマーゴのふたりと一緒に暮らしていたメイジーを引取りに
やって来る。
メイジーは、そこで初めて自分の意思を表す。
二人と一緒に居たい。二人と明日ボートに乗るの。
翌日、桟橋を駆け抜けるメイジーの表情には自信と希望がみなぎっていた。
いい映画だったな。メイジー役のオナタアプリールは、衝撃的だった。
演技をしているように見えないのだ。意味がわからない。だってメイジーにしか見えないの
だから。オナタアプリールとしての実生活があることが信じられないのだ。
ちょっと困ったような表情が多かったメイジーが、リンカーンとマーゴと一緒にゲームをしな
がら笑い転げるシーンがある。子供はやはり笑顔が似合う。子供たちは笑顔をたくさん経験する
ように生まれてきているはずなんだ。
子供たちから笑顔を奪うようなことを、大人がするなんて、絶対にあってはならない。
「霜柱愛好家・・霜柱踏み人」の私としては、寒さの度合いを、毎朝の散歩途中に踏む霜柱
の感触で判断する。幾分寒さの弱い日の霜柱は、とことん頑張りがきかない。
足を上に乗っけた時点で何の抵抗もなく砂の塊のように崩れ去る。
その逆に、「今日は最低気温ですよ・・。」と天気予報で言っていた日などは、とても頑固な霜柱
に出会うことができる。私の体重ぐらいじゃびくともしなかったりするのだ。
どんな霜柱にも対応可能な私は、こういう時はちょっぴり鬼の面を被って、自分のかかとを鋭利な
ナイフのように地面に突き刺し、いやがおうでも潰してしまう。
ぎりぎり息が白く見えるような日には、理想の霜柱に出会える。
足をそっとのせると心地よい硬さがそこにある。少しずつ体重をかけていくたびに、霜柱は土中
の空胞を音とともにひとつひとつ手放していく。地面と私の足の裏あたりがピタッと平になった
時点で、調和が生まれる。
先週から今週にかけて、「区切り」のつくことがいくつかあった。
区切りをつけた、というのが本当かな。
精神安定のための薬が手放せない彼とのメールが今までも続いていた。
中身がどんどんエスカレートする。・・君は渡辺真知子、僕はエリッククラプトン。
僕はお爺さんになってしまったから、大学時代のサークルに年金を払ってもらいたい
と思うが、どうすればいい? サークルはヤクザに支配されてる。全て解散だ!!
友達に初めて相談した。彼のメールを初めて人に聞かせた。
友達はきっばり答えてくれた。
「すっぱりと切るべきだ。それが彼のためでもある。今彼はあなたを通して大学時代
に執着している。それを切ってあげて、100%専門家の方に向けてあげるほうがいい。」
「自分は大丈夫と思っていても、そういうことって粒子レベルであなたの精神に影響すると
思う。あなたのためにもやめたほうがいい。」
私は目からウロコが落ちた。
彼から「今までの迷惑は全部忘れてくれ。絶対東京に戻って錦を飾る・・」
という最後のメールに、「ごめんね。でももうこれで終わりにします。」と打ち切った。
の感触で判断する。幾分寒さの弱い日の霜柱は、とことん頑張りがきかない。
足を上に乗っけた時点で何の抵抗もなく砂の塊のように崩れ去る。
その逆に、「今日は最低気温ですよ・・。」と天気予報で言っていた日などは、とても頑固な霜柱
に出会うことができる。私の体重ぐらいじゃびくともしなかったりするのだ。
どんな霜柱にも対応可能な私は、こういう時はちょっぴり鬼の面を被って、自分のかかとを鋭利な
ナイフのように地面に突き刺し、いやがおうでも潰してしまう。
ぎりぎり息が白く見えるような日には、理想の霜柱に出会える。
足をそっとのせると心地よい硬さがそこにある。少しずつ体重をかけていくたびに、霜柱は土中
の空胞を音とともにひとつひとつ手放していく。地面と私の足の裏あたりがピタッと平になった
時点で、調和が生まれる。
先週から今週にかけて、「区切り」のつくことがいくつかあった。
区切りをつけた、というのが本当かな。
精神安定のための薬が手放せない彼とのメールが今までも続いていた。
中身がどんどんエスカレートする。・・君は渡辺真知子、僕はエリッククラプトン。
僕はお爺さんになってしまったから、大学時代のサークルに年金を払ってもらいたい
と思うが、どうすればいい? サークルはヤクザに支配されてる。全て解散だ!!
友達に初めて相談した。彼のメールを初めて人に聞かせた。
友達はきっばり答えてくれた。
「すっぱりと切るべきだ。それが彼のためでもある。今彼はあなたを通して大学時代
に執着している。それを切ってあげて、100%専門家の方に向けてあげるほうがいい。」
「自分は大丈夫と思っていても、そういうことって粒子レベルであなたの精神に影響すると
思う。あなたのためにもやめたほうがいい。」
私は目からウロコが落ちた。
彼から「今までの迷惑は全部忘れてくれ。絶対東京に戻って錦を飾る・・」
という最後のメールに、「ごめんね。でももうこれで終わりにします。」と打ち切った。
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