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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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 日曜日に兄と待ち合わせて父のお墓参りに行った後、母のいるグループホームを訪ねた。     きみさん、きみさん、ちいちゃんだよ。と言うと、その言葉の内容というよりも声に反応してこちらを振り返る。

 投げかける視線は、特有の、焦点が半ば合ってないようなものでありながら、私たちにはお馴染みの いたずらっぽさは健在だ。

 グループホームのスタッフの方々は、私のことを’ちいちゃん’と呼ぶ。
「きみさん、ちいちゃん来てくれてよかったねぇ。」というふうに。

 きみさんは、私を自分の娘だとは理解できない。
でもいろんな場面できみさんの口から’ちいちゃん’は出てくるらしい。

 以前きみさんに抱き人形をプレゼントしたことがある。
母であった時代を何かの形で呼び戻したのか、きみさんはそのお人形さんに夢中になっていた。  時折呼びかけるときに’ちいちゃん’と呼んでいたことをスタッフの方が教えてくれた。

 何もわからなくなってしまったきみさんをかわいそうに思い、また、生きてくれてはいるものの、コミュニケーションが成り立たない状況に母を失ったような気持ちになり、今までに何度も泣いた。

 「きみさんはね、私がつらいことがあるのを抑えながら気丈にふるまって仕事をしていると、大丈夫よ。とそっと肩を抱いて覗き込んでくれるのよ。」
 
 あるスタッフの方のこの言葉が私を救った。

 現在はその時よりも認知症がすすみ、言葉もほとんど出なくなってしまったが、私たちと違った回路で、何かを感じているにちがいないと思える。

 ソファーにふんわり座っているきみさんの隣に、ぴったりとくっつき、きみさんの手をとる。きみさんの体温が腕から 手のひらから感じられる。

 きみさん。あなたの中にいる’ちいちゃん’は、まだまだ小さいのですか?

 
もしも自分の愛する人が、命にかかわる重病のため緊急手術を要し、高額のお金を工面しなくてはならない状況に直面したとしたら、人はどう行動するのだろう。

 映画「やわらかい手」のマギーは、孫の命を助けるためにやむなく性産業の世界に足を踏み入れる。それまで目覚めさせる必要のなかった”黄金の手”を使って、彼女はその世界で頂点を極め、息子夫婦と孫の 病院までの渡航費用、そして手術代を稼ぎだす。

 そこへ行き着くまでの彼女の葛藤 苦悩 諦観 達観は、それぞれのシーンで彼女の表情や身体からじみ出ている。

 マギーのやっていることは、大きな声で言えるようなことではないのに、彼女を美しいと感じるのはなぜなのだろう。

 それは多分彼女が、いつのときでも大事なものは何かを把握し、それを軸に余計なものをそぎ落としながら潔く生きているからだと思う。

 彼女の魅力は、言葉より多く語るあたたかいまなざしであり、そして時にそれが人間のうわっつらを見通してしまう鋭いまなざしに変わることである。

 人がさげすむようなことを経験したからこそ、またその世界の人たちと人間的なかかわりをもったからこそ、彼女のものの見方がよりゆるぎない焦点をしぼりだす。


 この映画も、今はなき筑紫哲也さんが番組でお勧めの映画としてあげていたもの。
私は、実際のテレビ番組は見損ねて、後々本を読んでいて知ったのだ。

 筑紫さんはどういう解説をしていたんだろう?
 ブログを始めて2ヶ月あまり。
最近自分の脳内に変化が起こっているのを自覚する。

 脳科学者の茂木さんにぜひ検証してもらいたいくらい。

 ここ数年間ひしゃげて錆びついていたアンテナが、よいこらしょと起き出したのだ。何かひっかかるものはないかな、ときょろきょろしている自分がいる。

 年齢とともに 特に更年期に入って、好奇心は目減りする一方だったのに、ここにきて取り返しにきているようだ。

 自分の行動や考えをブログに書くために、いったん客観というフィルターに通すことで、より冷静に自分を見つめる事ができる気がする。

 自分は本当は何が好きで何が嫌いなのかがわかってくる。

 そしてこれが一番不思議なのだが、自分の書いた事柄が 実際の生活をリードしてくれるときがあるのだ。

 何気に始めたブログによって、助けられている自分がいる。
 この年でバレエを続けるのはそりゃ無理があるのはわかっている。
30代半ばで始め、15年近くやってきて、やっと最近わかってきたことがあるのでもう少し続けてみたいのだ。
 
 続けるためには毎日のストレッチと筋トレはかかせない。
ちょっとさぼると形状記憶合金のようにもとの硬い体にもどってしまうからだ。


 私が特に苦労したのは股関節。
バレエが必要とするのは、左右の足の付け根から足全体が外側に回り、両ひざの裏側同士、かかと同士がぴったりと合わさるフォームである。

 典型的な日本人的股関節を持った私は、何もしなければ本当は内股で、直立するとお膝同士が内側に向かってこんにちわ をしてしまう。

 未だに体を矯正中であるという事実に、時折可笑しくなってしまう。

 本格的にバレエ人生を歩んだ人は、とても小さなうちに体を作り上げ、技術の習得、表現力の習得に励みながら舞台で踊りこみ、40代半ば位までに引退する場合が多いのだろう。

 素人はその点あつかましく行ける。特に大人になってから始めた私などは、今なお発展途上なのではないかと思う傾向がある。事実は別として。

 バレエ界の雲の上の人であるベルリン国立バレエ団の中村祥子さんのお話で、とても感動したことがある。

 彼女はもともとO脚で日本人的骨格に悩まされたこともあったそうだ。しかし骨格は変えられないけれど、意識して筋肉を使っていけば、筋肉はその方向に移動するというのだ。ラインは変えられると。

 そういう彼女が出演する”カラヴァッジョ”は、本当に素晴らしい。
彼女の黒髪が 東洋的な顔立ちが、逆にシャープなアクセントになっている。
あの世界屈指のダンサー、ポーリーナにまったく見劣りしない。

 自分の体の欠点を見せない賢さがある。とマラーホフに言わせた祥子さん。
そして直接的な褒め言葉より、そのマラーホフの言葉に感動していた祥子さんに、私は感動する。

 

 
 
 ひとつの食べ物にこんなに執着するなんてこと、今まであったかしら?

 スーパーの果物売り場でたまたま目にした市田柿。「干し柿」と言われてイメージする大きさの ひとまわり小さい長野産の干し柿です。

 毎年この時期目にしていたはずなのに、今年はなぜか私を捉えて離さない。

 売り場の前で、数分の熱い視線を送った後、思い切って十数個入りのプラスチックースをかごの中に入れた。
 
 そそくさと家に帰り、はやる気持ちを抑えながらひと噛みしたとたん、もうこれです。これをもとめていたんです。と一生の友に出会ったような気持ちになった。
  
 干されながら糖分が染み出て乾燥することで、舞台化粧のおしろいのみでそのままほったらかされたような柿たちは、ぱっと見はあまり目を惹く姿かたちではないと思う。

 世の中のイメージも、若さとかけ離れたマイナーな存在 といったところではないかな。

 実際 我が家の他のメンバーは、誰も干し柿を口にしようとはしない。
ということはだ、楽しみにとっておいたものが食べられてしまって 子供じみた悔しがり方をしなくてすむということだ。

 市田柿はいつのときでも、お行儀よく私だけを待っていてくれる。
 
 みんな知ってるのだろうか? 

粉をふいたしわしわな表面のすぐ下に、情熱的な深い橙色が凝縮されていることを。

硬すぎもせず柔らかすぎもしない、理想の弾力がそこに存在することを。

太陽光線とのコラボレーションにより生み出された あの芳醇な味と香りを。

 このようなのめり込みのさなか 本屋で立ち読みしていたら またもや干し柿に出会った。

 本の題名は’免疫力をあげる食べ物 ’。

思い切り納得。そして私は心の中で”素晴らしい!”  とつぶやいた。






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