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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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 公園の入り口に、それは見事な くもの巣があった。

あれだけ大きなものは今まで見たことがないかもしれない。

少し離れた木の枝と枝の広い空間に、伸びやかに張られた一級芸術品。
当の本人は、こんな大作を仕上げたくせに、少しもおごりを感じる様子もなく つつましやかに密やかに、ただ生命をつなげている。

 お尻から糸は出せないまでも、私も以前はよく編み物をしていたものだ。

セーター カーディガン 帽子 手袋・・夢中になって編んでいた時期があった。
でも できあがると、「ほら見て見て。」と得意満面。つつましやかのかけらもなく。

自分の命を守るために、次世代にその命をつなげていくために、昆虫や動物がする複雑な仕事のすごさは 私を単純に驚かす。

 地獄に垂れ下がる「蜘蛛の糸」。ぷつりと切れて落ちないために、私はいったいどうして行けばいいんだろう?












街に繰り出すと、行き交う人達のほとんどが長袖を着ていた。

いつになく長引く夏の自己主張に、「常夏の島 日本!」・・も悪くないかもね。と無謀で投げやりな考えが頭をかすめていた。

でもよかった。ちゃんと季節が巡って来てくれて。でも夏が強烈で長かった分、それでなくても控えめな秋は、もうすでにバトンを手渡す準備してるんじゃないかと気がかりだ。

 早朝のやわらかい日差しがくすんだ色に覆われた公園全体を包み、落ち着いた色にも強い意志を見出す。公園にも確実に秋はやって来ているんだ。

 ハルと遊歩道を歩いていると、枯葉がはらはらと 角を取ったジグザグのような動きで目の前に落ちてきた。

水分をまるっきり含まない枯葉の「カサカサ」とか「カサコソ」という音がとても好きだ。
秋に風。は、必要な組み合わせ。

 遊歩道の両端が、苔むした緑のビロードをのせて、またその上を 濃淡の茶色絵の具が点在するかのように枯葉が重なり合い、細長ーい額縁のふち飾りを成していた。

 秋は、食べることも楽しい季節。今日こそ柿の和菓子を買いに行くんだ!

今日の朝食は、作りおきしておいたハンバーグがあったので、バンズらしきものをつくり、ハンバーガーにして食べました。









"





 今日は一日雨のようです。

「雨 雨 降れ 降れ、もっと降れ。」・・と八代亜紀さんの唄を口ずさみたいほどの嬉しい雨。

昨日はものすごく暑かった・・嵐でも来てくれないことには、でしゃばり過ぎた夏の暑さも引っ込みつかないんじゃないの?

 でも昨日のお月様はきれいでしたね。

月を趣のあるものとして鑑賞する日本人。

お月見だんごやすすきを飾る人は、今ではもう少ないのでしょうが、そういう感覚が現代の私たちに根付いているのだとしたら、日本人であることもまんざら捨てたもんじゃない。と、そう思う。

 最近、京都の桂川のほとりにある「桂離宮」の番組をテレビで見たことで、その気持ちを大いに後押ししてもらえた。

 17世紀のお公家さんの別荘であったこの雅やかな建物は、それぞれの部屋から心ゆくまで月を楽しめるように造られているということだ。

 アーチを描く窓のラインは、外の美しい自然を柔らかに切り取り、内側と外側の世界の隔たりを取り払ってしまう。

 それどころか「桂離宮」には、月見台なるものがあって、月が高く昇ると お公家さんたちは、わざわざそこに移動したのだそうだ。「遠い空にかかる月」と、池の水面に映る「もうひとつの月」を楽しむためだという。

 周囲の環境や自然・・と調和することに、美しさの基準を置きながら 日々生活していた昔の日本人に 学ぶべきことはたくさんあると思う。

 もっともっとさかのぼって平安時代。 
光源氏が秋の訪れに思い出した古歌は、

  木の間より 漏り来る月の影見れば 心尽くしの秋は来にけり

木の枝の間から漏れ落ちる月の光を目にすると、物思いにふける秋という季節がやって来たことだなあ。

 雨がやんだら、秋を探しに行こうと思います。


 高級和菓子屋さんの A4サイズの広告を、大切にとっておいた。

どうしても食べてみたい「夢のお菓子」が、季節限定品として載っていたからだ。

思い返すと、去年の秋から冬にかけての私の体は、3分の1「干し柿」でできていた。
それほど「市田柿」にのめりこみ、自分のおこづかいのかなりの割合をそれにつぎ込んでいた。

その「夢のお菓子」は、干し柿の真ん中に白あんが入っていてまわりにケシの実のようなつぶつぶがまぶされてツンとすまし、柿色の品のいい紙製のパッケージでていねいに個包装されている。

さんざん食べてきた干し柿のあの味あの食感に、想像上の白あんを自分なりに加えてみる。
・・だめた。これは食べてみなけりゃ到底わからない。

「一個525円もするけど、どうしても食べてみたいの。」とだんなに言ってみる。

「じゃ、ハルのお散歩の帰りに買いに行こう。」となり、心弾ませ出かけたのだ。

ハルのお散歩を終えて家に帰ってこれを書いている私は、いまだ「夢のお菓子」を追い続けている。 私の「夢」は、きれいさっぱり売り切れていた。

入荷する25日まで、時々「どんなだろう?」って思うのって、結構楽しいことかもしれない。 売り切れていてよかった。

 夢 なんて、そんなものなのかな。


ここ数日は雨天のせいでもあるけれど、ちょっと前からハルとの早朝散歩がめっきり短くなってしまっている。

 ある雨の日を境に、蚊の餌食になる覚悟なしには 公園に行けなくなったからだ。夏の盛りの早朝は、ほとんど蚊に悩まされることのなかった公園なのに。

 ハルが女の(わん)子の残り香(つまりオシッコ)に立ち止まれば、どこからともなくやってきた数匹の蚊が、ハルにしつこくまとわりつく。 

 それを追い払うのに必死になっていたら、私が代わりにたくさん刺されていた。
一個一個腫れちゃって もう痒いの何のって。で、ちょっとおさまるまで公園はやめとこ・・となったのです。

 そうやって緑深き公園から遠のいていると、心のゆとりが縮んで人間がせせこましくなったような気がする。

 これを逆方向で考えると、どれだけ木々や草花や季節ごとの美しい景色が、自分に大きな力を与えていたか。ということになるのではないか。

 修理に出していたデジカメも、修理完了。の電話をさっきもらったし、来週からは「虫除け」でガードを張りながら また公園早朝散歩に復帰しようと思っている。

 物心ついた時には、すでに蚊に刺されており、「蚊は血を吸うもの」と、ずっとあたりまえのこととしてここまで来たけれど、よく考えると「血を吸われる」なんてとんでもないことだとつくづく思う。もっと恐怖心、あっていいんじゃないの?ドラキュラまでとは言わないでも。

 とても勉強のできる同級生の男の子が、中学時代のある日に、「蚊が血を吸っている最中に動かずにじっとしていると、蚊は血を吸い続けるんだ。パンクして自滅するまでね。」って言ってたけど、それ、ただ私をからかっただけなのかな?

 私はずっと信じていたけど、その後約40年、そんな話聞いたこともない。

 蚊がパンクして血が飛び散っても、その血は私自身の血。
しつこい蚊を 両手のひらでたたいたら、横向き横顔の蚊が私の生命線上できれいにつぶれた。血まみれになって。しかもそれは私の血だ。
 

 


 
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