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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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 私の枕元の壁には、健康雑誌の 「切り取り付録」 だった 「富士山」 の写真がはってある・・と以前に書いたことがある。 そして今でもその富士山は、私の無防備な寝姿を 毎日見下ろす形をとらされているのだ。

 その写真は、「湖映雪姿」 と枠外に題されてあるだけあって、雪帽子をかぶった富士山の姿が 鏡のように湖に映りこんでいて、山の麓と湖との接線を軸にシンメトリーの美しさを楽しめる、というわけで、つまり 2倍2倍の美しさ。

 早朝散歩をしていたら、公園の小さな池にもシンメトリーを見つけた。
覆い茂る木々が池に映りこんでいるのだが、肉眼で見ると 実際の風景よりもその反映の方が色濃く美しく見えるから不思議だ。

 いや待てよ。映っているもののほうがきれいって・・何よ。鏡に映る自分の顔も実際よりましに映っているのだとしたら・・。つまり・・。 いやいや、そんな微妙な差、ここまで来たら誤差の範疇でしょ。もう。

自分を映している鏡を割ると7年間不運が続く とか、写真を撮られると魂までも持って行かれる とか、そういう風に考えてしまうのってすごくわかる気がする。何故7年間なのかはわからないけれど。

 「映る」もの, 「写る」もの。手を伸ばして触れたとしても、そこには実質実体は存在しない。そんなはかなさに憧れを抱いてしまう。その二次元的実像存在に、思い入れを差し込みたくなってしまう。

 テレビや映画、写真。
そこに存在する人たちにさえも。

その人の、そのときの思いや願いも一諸になって像を結ぶと 思いたいのだ。
 
 



ちょっとした不運をきっかけに それまで考えもしなかった自身のブログを始めてから、予想外の楽しいおまけが付いてきた。 「写真を撮る。」ということだ。

 振り返ると 写真を撮るという経験の集中的な波が、これまでに2~3度あったように思う。

 最初の波の始まりは、小学校高学年で初めて手にした家庭用小型カメラ、「オリンパスペン」を、遠足に持って行くのを許されたときだ。

 友達や先生の笑顔、景色等を思う存分とって興奮したことを覚えている。もちろんモノクロの時代。

 次の大きな波は、子供が生まれた時。
ビデオとカメラをフル稼動して、一ミリの子供の成長も逃したくないという勢いで、それらを構えていたものだ。

 そして その後子供が大きくなるに連れて、私のカメラ的 「失われた時代」に突入してしまうのである。

 それがだ。去年からブログを始めて日常的にカメラを持つようになり、そうしてみるとなんという楽しい経験であろうか。と思い至る現在。

 カメラを持たずに出かけて行って、これ、撮りたい。惜しいな。と思うことがあるって、なんだかわからないけれど良かったな。と思うのだ。













 


 
 
 久々に人を大好きになった。

 詩人の「まどみちお」さんだ。
去年の今頃百歳になられたまどさんの 特集番組の再放送を、幸運にも拝見することができてほんとうによかった!

 どうしてこんなに嬉しいのかというと、お手本ができたから。
こんな風に年をとって行きたい・・という確かなお手本。

 まどさんのまなざしは、小さな生命や勤勉な自然に、ふと偶然のように注がれる。

でもその小ささや広大さを見ていながらも、その大小の器を いれものを とっばらって、生命や自然、何気ない事象そのもののきらめきを見ることのできる人なのだと思う。

 まどさんの目には、アリも地球も雨粒一粒も太平洋も宇宙も、同等に愛するものとして映るんだろうな。

 百歳のまどさんが日常会話の中で ゆっくりと話される言葉は、一語一語が完璧に吟味されたかのように美しく かわいらしく響き、すべてが印象的な詩として聞こえて来てしまう。

 まどさんの心は、誰よりもやわらかい。

 なんという嬉しい事実でしょうか。
人間は百歳になっても、あんなに素敵でいられるということ。

 彼のすごさは、ひとたびその視線を自分自身へと向けるや否や、無限に広がる空間の とある場所を占めている小さな自分の存在を、冷静かつ客観的にみつめることができることでもあると思う。

 悪いと思ったら、素直にきちんとごめんなさいが言える百歳の人。
自分が流す嬉し涙に、虹を見ることのできる百歳の人。

 嬉しいな。大好きな人、見つけた。
 

つらい。きつい。たいへん。もうやだ。

 これらの言葉を登場させるようなネガティブプログをあえて書かないようにはしているという事実。  でもそうなると、前向きなイメージが等身大の私を無視して勝手に一人歩きする危険性もあるはず。

 だからこまごまとお知らせせずに大きなかたまりでどーんと行きます。

 いや、ほんとつらくてイヤなのです。何がイヤって、あのまばゆいばかりの黄色が怖い。外を歩けば必ず出逢う鮮やかな黄色の集団。



 セイタカアワダチ草が土のあるところを埋め尽くしていくにつれ、私の体調が最低ラインを突き抜ける勢いで大きく下降してしまうのは、この時期いつものこと。

 だるさ めまい 食欲減退。でもこれらはゆっくり休んだからといっておさまるものでもないのだ。 9月終わりから10月11月、過ぎ去るのを待つのみ。

 だから、普段と変わりなく過ごすようにするのだけれど、それゆえ毎日が戦いの場となってしまう。

 結果、いろいろぼろぼろ取りこぼしがあって、なんかぐちゃぐちゃした生活をしていることに嫌気がさすのだけれど、そういう時にこそ心落ち着けるために身に着けるものがある。

 それは娘が誕生日に買ってくれた「天才バカボン」の「パパ」の靴下なのだ!

 バカボンのパパは、私がどんなにまぬけでのろまでも、必ず足元から「これでいいのだ。」とふふんと鼻毛をゆらすのだ!

 全面的に肯定されるって、人間たまには必要なことらしいのだ!
だってそれが証拠に「バカボンのパパ」で元気でるもん。いや、出るのだ!

 バカボンのパパの靴下を履いて、バレエの足先のように甲を出してみたら、甲高に引っ張られたバカボンのパパの表情が、ほっこりと笑ったようになったのだ!




 

 
 

 



あのちょっと前の夏の日々に、「さむ~い!」という言葉で始まる日がやってくるなんて、全然考えることができなかったのに。  ほんとに寒くなっちゃって。

 夏の間は、どんなに熱いラブコールを送ろうが、「悪いけど、僕が今できる限りの最高のスキンシップはここどまりだから・・」みたいな ちょっとつれない表情で、ハルは夏がけが掛かった私のお腹の上で丸くなって寝ていたものだ。

 今はというと、懸命に呼び寄せなくてもハルは喜んで布団の中にきてくれるようになった。まごうことなく寒さのおかげ。

 私にとっての冬の幸せは、「ぬくもり」 であったり 「湯気」であったり。冷えてちぢこまってしまった硬さが、温かみでじわりじわりとほどけていくような感覚。

 ハルのぬくもりを感じると、私の体は即座に受け入れ態勢を整えて、彼にとっての心地よい形に変化するようになっている。私の脇の下から肩にかけての部分は、ハルの枕となり、腕はハルの体の曲線に沿ってゆるやかなカーブをなし彼をいとおしく包むために存在すると言っていい。

 とは言っても、人気者のハルは、いつも私のところにきてくれるわけではない。
4倍の競争率をクリアーして抱くハルのぬくもりは、もうちょっと、もうちょっとだけ・・と、私の起床を遅らせてしまう。

 
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