日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
昨日のお稽古が、木金と通っているバレエクラスの今年最終であった。
発表会の時の写真を見ながら、「ちえちゃん、体きれいになってきたし、うまくなったね。」という友達の言葉が私を幸せにしてくれた。彼女は私と違って、小さいときからきちんとお稽古を積んできて、今では子供達の指導もまかされているような人なのだ。
その彼女がそんな風に言ってくれたんだもの、嬉しくないはずがない。
毎年写真が出来上がってくると、心底がっかりするのはいつものこと。
写真とは残酷なもので、軸の引き上げの不十分さも 柔軟性のなさも年齢もすべて、これでもかというほど正直に写し出してくれてしまう。
また時に、「あなたいったい何がしたかったの?」・・と踊っている自分に問いかけてみたくなるような、おおよそバレエとは言いがたい滑稽なポーズで静止している私がいたりする。
でも今年は、消し去りたいものももちろんありつつも、彼女が言ってくれたように、肩から首の線が前より良くなったような気もするし、足の筋肉の向き方も、以前よりターンアウトしてきてるようなのだ。
50過ぎてもまだ進化できるのかもしれない・・・それだったらすごいことだ。
私個人のことだけでなく、上がってきたDVDを見て「大人クラス、悪くない!」・
・とちょっと感動してしまった。
あまりにうまくなった子供達や中高生バレリーナの美しい世界と較べてしまうと、まるで別物の私達・・と、いつもなんだか申し訳ないような気持ちで舞台に立たせてもらっていたのだが、みんなで踊っている映像を見て、「あ、いいな・・」と心底思えたのだ。技術や年齢だけではないところってあるものなのね。
ちょっと恥ずかしいけど、シルエットだけわかる今年のベストショットを載せさせてもらいます。




発表会の時の写真を見ながら、「ちえちゃん、体きれいになってきたし、うまくなったね。」という友達の言葉が私を幸せにしてくれた。彼女は私と違って、小さいときからきちんとお稽古を積んできて、今では子供達の指導もまかされているような人なのだ。
その彼女がそんな風に言ってくれたんだもの、嬉しくないはずがない。
毎年写真が出来上がってくると、心底がっかりするのはいつものこと。
写真とは残酷なもので、軸の引き上げの不十分さも 柔軟性のなさも年齢もすべて、これでもかというほど正直に写し出してくれてしまう。
また時に、「あなたいったい何がしたかったの?」・・と踊っている自分に問いかけてみたくなるような、おおよそバレエとは言いがたい滑稽なポーズで静止している私がいたりする。
でも今年は、消し去りたいものももちろんありつつも、彼女が言ってくれたように、肩から首の線が前より良くなったような気もするし、足の筋肉の向き方も、以前よりターンアウトしてきてるようなのだ。
50過ぎてもまだ進化できるのかもしれない・・・それだったらすごいことだ。
私個人のことだけでなく、上がってきたDVDを見て「大人クラス、悪くない!」・
・とちょっと感動してしまった。
あまりにうまくなった子供達や中高生バレリーナの美しい世界と較べてしまうと、まるで別物の私達・・と、いつもなんだか申し訳ないような気持ちで舞台に立たせてもらっていたのだが、みんなで踊っている映像を見て、「あ、いいな・・」と心底思えたのだ。技術や年齢だけではないところってあるものなのね。
ちょっと恥ずかしいけど、シルエットだけわかる今年のベストショットを載せさせてもらいます。
ここ何日かの私は、「筋肉オタク」になっていたのかもしれない。
自分の筋肉や体の動きが気になってしょうがない。
まだ暗いうちにふと目覚めて、ふーむ。と考え、ストレッチを始めたりして。
暗がりでふとんの上でストレッチ・・正気の沙汰には見えないよね。
この私の異常行動は、数日前に見たテレビの影響であることは間違いない。
クライマーである山野井泰史・妙子夫妻によるグリーンランド岸壁の挑戦を追ったドキュメンタリーの再放送。
観終わったあと、信じられないほどのすがすがしさを感じてしまって。
これはいったい何なんだろうと不思議に思い、泰史さんの著書「垂直の記憶」や 沢木耕太郎さんが彼らのことを書いたノンフィクション「凍」を読み終え、私の中で よりいっそう彼らへの尊敬と憧憬の念が確かなものとなってしまう。
人間のエネルギーや体力も、他の能力と同様個人差がある・・ということを私が思い知ることになるのは、若いとき徹夜できない虚弱な体を自覚したときである。
そんなひ弱な私とは真反対の、潜伏した強靭な体とあふれ出るエネルギーを持って生まれ、その後の人生で、その究極の強さをベースに、ゆるぎない意志と精神力を確立していく泰史さんと妙子さんにとって、普通の生ぬるい生活だけをしていくことこそ苦しいことなのでは、と想像する。
自分にはない彼らの超人間的な強さに憧れるのは当たり前のこと。でも私の日常がちょっと変わってしまうほど心動かされたのは、彼らのクライマーとしてのスタイルであり、人間性なのである。
ふたりとも それぞれが極上の一匹狼なのだ。
このドキュメンタリーは、再生の記録と言えなくもない。彼らは、その5年前に挑んだヒマラヤ高峰ギャチュンカンで登頂、生還したものの、途中雪崩にあい、深刻な身体的負傷を負い、また凍傷によりたくさんの指を失うことになる。
妙子さんにいたっては、手の指を付け根からすべて失ってしまう。
妙子さんは、指がないことも女性であることも年齢のこともけっして言い訳にしない。それどころか「言い訳」・・ということ自体、彼女の思考や感情にかすりもしないのだろう。本当に今ある状況を自然に受け止めて、最大限の努力を積み重ねていく。
強いもの同志がくっついたご夫婦。これが素敵な結びつきでね。
頂点に立ったクライマー同志、尊敬し信頼しあっているのがひしひしと画面から伝わってきた。
泰史さんが「妙子はそこらへんにいる男性クライマーより、ずっと優秀なクライマーなんだ。」と先頭を切って昇っていく妙子さんの様子を見上げながら目を細めて言っていた。
そのときの彼の表情は、自分のことなんてどうでもいいんだよ。っていうくらい、妙子さんのことについて得意げで、誇らしく、また愛情に満ちた表情をしていた。
ま、こういういきさつで、彼らに夢中になり ブログもさぼって 私なりの体作りを始めていたのです。
妙子さんを見ていて、私も言い訳するのはやめたから。
・・・がらっと変わって、今日は水曜なので「やわらかい英文法」あとに続きます。
自分の筋肉や体の動きが気になってしょうがない。
まだ暗いうちにふと目覚めて、ふーむ。と考え、ストレッチを始めたりして。
暗がりでふとんの上でストレッチ・・正気の沙汰には見えないよね。
この私の異常行動は、数日前に見たテレビの影響であることは間違いない。
クライマーである山野井泰史・妙子夫妻によるグリーンランド岸壁の挑戦を追ったドキュメンタリーの再放送。
観終わったあと、信じられないほどのすがすがしさを感じてしまって。
これはいったい何なんだろうと不思議に思い、泰史さんの著書「垂直の記憶」や 沢木耕太郎さんが彼らのことを書いたノンフィクション「凍」を読み終え、私の中で よりいっそう彼らへの尊敬と憧憬の念が確かなものとなってしまう。
人間のエネルギーや体力も、他の能力と同様個人差がある・・ということを私が思い知ることになるのは、若いとき徹夜できない虚弱な体を自覚したときである。
そんなひ弱な私とは真反対の、潜伏した強靭な体とあふれ出るエネルギーを持って生まれ、その後の人生で、その究極の強さをベースに、ゆるぎない意志と精神力を確立していく泰史さんと妙子さんにとって、普通の生ぬるい生活だけをしていくことこそ苦しいことなのでは、と想像する。
自分にはない彼らの超人間的な強さに憧れるのは当たり前のこと。でも私の日常がちょっと変わってしまうほど心動かされたのは、彼らのクライマーとしてのスタイルであり、人間性なのである。
ふたりとも それぞれが極上の一匹狼なのだ。
このドキュメンタリーは、再生の記録と言えなくもない。彼らは、その5年前に挑んだヒマラヤ高峰ギャチュンカンで登頂、生還したものの、途中雪崩にあい、深刻な身体的負傷を負い、また凍傷によりたくさんの指を失うことになる。
妙子さんにいたっては、手の指を付け根からすべて失ってしまう。
妙子さんは、指がないことも女性であることも年齢のこともけっして言い訳にしない。それどころか「言い訳」・・ということ自体、彼女の思考や感情にかすりもしないのだろう。本当に今ある状況を自然に受け止めて、最大限の努力を積み重ねていく。
強いもの同志がくっついたご夫婦。これが素敵な結びつきでね。
頂点に立ったクライマー同志、尊敬し信頼しあっているのがひしひしと画面から伝わってきた。
泰史さんが「妙子はそこらへんにいる男性クライマーより、ずっと優秀なクライマーなんだ。」と先頭を切って昇っていく妙子さんの様子を見上げながら目を細めて言っていた。
そのときの彼の表情は、自分のことなんてどうでもいいんだよ。っていうくらい、妙子さんのことについて得意げで、誇らしく、また愛情に満ちた表情をしていた。
ま、こういういきさつで、彼らに夢中になり ブログもさぼって 私なりの体作りを始めていたのです。
妙子さんを見ていて、私も言い訳するのはやめたから。
・・・がらっと変わって、今日は水曜なので「やわらかい英文法」あとに続きます。
I suddenly remembered happy old days yesterday.
(私は、昨日突然昔の幸せな日々を思い出しました。)
さて先週の復習ですが、これは何文型でしょう?
時間(いつ)や場所(どこで)や様子(どのように)などは、修飾語句であるので、そのひらひらのフリルを取った素の文は I remembered happy old days. (主語 動詞 目的語)の3文型 です。happy old days は、厳密に言うと 形容詞プラス名詞 となってはいますが、全体で一語の名詞と考えて問題ありません。
もっと繊細なことを言いたいときのことを考えてみましょう。
私は、そのチョコレートアイスを口に入れた時、突然昔の幸せな日々を思い出しました。・・・これぐらいまで表現できたらいいと思いませんか?
それには yesterday の代わりに when I put the chocolate ice cream in my mouth を持ってくればいいのです。
この場合の when は、主語 動詞のあるちゃんとした文章の頭について、~が~する時(~した時)のように副詞のかわりができるのです。(日本語では、文章の終わりに 時 がつくけど、英語では 文章の始めに when がつくので慣れが必要ですが・・。
これ使えるようになると、挨拶だけの英語から一歩前進できると思います。
1 I was living in America when I was 5 years old.
(5歳のとき私はアメリカに住んでいました。)
2 I left home when I was twenty.
(私は 二十歳の時に家を出た。)
3 I feel happy when I'm with you.
(私はあなたといると幸せです。)
上記の3文とも when 以下は(長いから大事そうに見えるけど)、副詞のかわりなので、文の主要素としてはカウントしません。
1は1文型、2は3文型、3は2文型 です。
このような 時の副詞 のかわりに 文章を持ってくることのできる when を 時の副詞節 といいます。
副詞節には 時 の他に よく使うものに 理由(because、 as、 since)があります。
I was absent from school yesterday because I didn't feel well.
(昨日具合がよくなかったので 学校を休みました。)
のようにです。
必要そうな場面を思い描いて、時 や 理由 の副詞節を使った文章を自分でつくってみると、より理解が深まると思いますよ。
修飾語句 で脱線しましたが、来週は 5文型の 第4文型 第5文型 に進みたいと思います。
(私は、昨日突然昔の幸せな日々を思い出しました。)
さて先週の復習ですが、これは何文型でしょう?
時間(いつ)や場所(どこで)や様子(どのように)などは、修飾語句であるので、そのひらひらのフリルを取った素の文は I remembered happy old days. (主語 動詞 目的語)の3文型 です。happy old days は、厳密に言うと 形容詞プラス名詞 となってはいますが、全体で一語の名詞と考えて問題ありません。
もっと繊細なことを言いたいときのことを考えてみましょう。
私は、そのチョコレートアイスを口に入れた時、突然昔の幸せな日々を思い出しました。・・・これぐらいまで表現できたらいいと思いませんか?
それには yesterday の代わりに when I put the chocolate ice cream in my mouth を持ってくればいいのです。
この場合の when は、主語 動詞のあるちゃんとした文章の頭について、~が~する時(~した時)のように副詞のかわりができるのです。(日本語では、文章の終わりに 時 がつくけど、英語では 文章の始めに when がつくので慣れが必要ですが・・。
これ使えるようになると、挨拶だけの英語から一歩前進できると思います。
1 I was living in America when I was 5 years old.
(5歳のとき私はアメリカに住んでいました。)
2 I left home when I was twenty.
(私は 二十歳の時に家を出た。)
3 I feel happy when I'm with you.
(私はあなたといると幸せです。)
上記の3文とも when 以下は(長いから大事そうに見えるけど)、副詞のかわりなので、文の主要素としてはカウントしません。
1は1文型、2は3文型、3は2文型 です。
このような 時の副詞 のかわりに 文章を持ってくることのできる when を 時の副詞節 といいます。
副詞節には 時 の他に よく使うものに 理由(because、 as、 since)があります。
I was absent from school yesterday because I didn't feel well.
(昨日具合がよくなかったので 学校を休みました。)
のようにです。
必要そうな場面を思い描いて、時 や 理由 の副詞節を使った文章を自分でつくってみると、より理解が深まると思いますよ。
修飾語句 で脱線しましたが、来週は 5文型の 第4文型 第5文型 に進みたいと思います。
お散歩して 家事して バレエ行って 仕事して・・と、この基本のルーティーンに加えて、外出多めの一週間を過ごした。
水曜日に友達と横浜美術館へ『ドガ』を観に行った。
平日でもかなりの混雑で、自分のペースでひとつひとつの絵を見ていくことが難しかったくらいだ。ドガの代表作『エトワール』の前には人だかりができていて、満員電車さながらの押し合いへしあいでじわじわと近づき、ご対面できるまでに10分以上はかかっただろうか。
絵を観るという環境ではなかったものの、エトワールを目前にするとそのあまりの透明感に、それまでの不快感が一気に吹き飛んだ。
木曜日は、グループホームにいる母のきみさんに会いに行った。
私が行って少しすると、「椅子をまーるく並べましょう。」とスタッフの若いお兄さんがみんなに声をかけ、「体操の時間」が始まった。
お年寄りの筋肉を無理なくほぐしたり鍛えたり、後出しじゃんけんや指示通りに指を動かすことなどで、自然に脳トレを行っていた。途中からはビーチボールも出てきてキャッチボールのあと、最後に「こぎつねこんこん」や「富士山」を合唱してお開きとなった。
何もできないきみさんとコンビをくんで、私も参加させてもらった。
けっこうこれが本気で楽しくて、そのプログラムにも、リードしてくれてるお兄さんにも、心から感心してしまった。
このグループホームには 家の母以外にもうひとり 95歳のきみさん がいるのだが、この最高齢の、きみさんの関節の柔らかさと頭脳明晰な反応には驚かされた。
後出しじゃんけんは、7,8人のお年寄りの中で ひとりパーフェクトで、私もきみさんのすごさに押され気味だった。
「きみさん、200才まで生きるよ。」とお兄さんに半ば本気で言われていた。
家のきみさんは、私のとなりで自分の好きなように空間を占め、好きなように時間を過ごしていた。でもビーチボールがきみさんと私の間に投げられると、ちょっと怖がっていた。
今日はバレエのお稽古のあとに皆さんが作ってくれたおいしいお菓子とコーヒーで
おしゃべりを楽しんだ。
というわけで、少しずつしようと決めていたお掃除は、全然進んでいません。
水曜日に友達と横浜美術館へ『ドガ』を観に行った。
平日でもかなりの混雑で、自分のペースでひとつひとつの絵を見ていくことが難しかったくらいだ。ドガの代表作『エトワール』の前には人だかりができていて、満員電車さながらの押し合いへしあいでじわじわと近づき、ご対面できるまでに10分以上はかかっただろうか。
絵を観るという環境ではなかったものの、エトワールを目前にするとそのあまりの透明感に、それまでの不快感が一気に吹き飛んだ。
木曜日は、グループホームにいる母のきみさんに会いに行った。
私が行って少しすると、「椅子をまーるく並べましょう。」とスタッフの若いお兄さんがみんなに声をかけ、「体操の時間」が始まった。
お年寄りの筋肉を無理なくほぐしたり鍛えたり、後出しじゃんけんや指示通りに指を動かすことなどで、自然に脳トレを行っていた。途中からはビーチボールも出てきてキャッチボールのあと、最後に「こぎつねこんこん」や「富士山」を合唱してお開きとなった。
何もできないきみさんとコンビをくんで、私も参加させてもらった。
けっこうこれが本気で楽しくて、そのプログラムにも、リードしてくれてるお兄さんにも、心から感心してしまった。
このグループホームには 家の母以外にもうひとり 95歳のきみさん がいるのだが、この最高齢の、きみさんの関節の柔らかさと頭脳明晰な反応には驚かされた。
後出しじゃんけんは、7,8人のお年寄りの中で ひとりパーフェクトで、私もきみさんのすごさに押され気味だった。
「きみさん、200才まで生きるよ。」とお兄さんに半ば本気で言われていた。
家のきみさんは、私のとなりで自分の好きなように空間を占め、好きなように時間を過ごしていた。でもビーチボールがきみさんと私の間に投げられると、ちょっと怖がっていた。
今日はバレエのお稽古のあとに皆さんが作ってくれたおいしいお菓子とコーヒーで
おしゃべりを楽しんだ。
というわけで、少しずつしようと決めていたお掃除は、全然進んでいません。
今までの3回で5文型のうちの3文型まで話をしてきましたが、今日は4文型5文型に行く前に、副詞や修飾語句についてお話します。
子供の頃、こういうゲームをしたことありませんか?
紙切れを5~6人に配り、次の項目をそれぞれの人に割り当て、思いついたことを書いてもらうという遊び。 誰が いつ どこで 誰と どんなふうに 何をした。
それらを集めてつなぎ合わせて、偶然にもとんでもなくおもしろい文章ができたりすると、場が盛り上がったりしませんでしたか?
この 「誰が」と「何をした」にあてはめられたものが、例えば
トムが 走った。 Tom ran. だったら、1文型
トムが 英語を勉強した。 Tom studied English. だったら、3文型 ですよね。
日本語の 「何をした」が、動詞だけなのか、それとも目的語をとるかで違ってきますよね。
じゃ、それ以外の『 いつ どこで 誰と どんなふうに 』というのは、何であると考えればいいのでしょう?
これらは 主語でも動詞でも目的語でも補語でもなく、修飾語句なのです。
Tom studied English in the library with me yesterday.
トムは、昨日 私と 図書館で 英語を勉強しました。
この場合、in the library と with me と yesterdayが、場所 時などを表す修飾語句で 文の主要素(主語 動詞 目的語 補語)ではないのです。
何かを人に伝える時に、正確で詳しい情報を・・と考える場合、この『いつ どのように どこで どんなふうに どれくらい』 などが大きい役割を果たすことがわかると思います。
そして、場所 や 時、様態、頻度、程度を一語で表すことのできるものが 副詞 です。
now, yesterday・ 時 here, there・・場所 well, hard ,carefully・・様態 often, sometimes・・頻度 enough ,almost・・ 程度
などが、あります。
来週は 副詞 と 副詞節 について触れて行きたいと思います。
子供の頃、こういうゲームをしたことありませんか?
紙切れを5~6人に配り、次の項目をそれぞれの人に割り当て、思いついたことを書いてもらうという遊び。 誰が いつ どこで 誰と どんなふうに 何をした。
それらを集めてつなぎ合わせて、偶然にもとんでもなくおもしろい文章ができたりすると、場が盛り上がったりしませんでしたか?
この 「誰が」と「何をした」にあてはめられたものが、例えば
トムが 走った。 Tom ran. だったら、1文型
トムが 英語を勉強した。 Tom studied English. だったら、3文型 ですよね。
日本語の 「何をした」が、動詞だけなのか、それとも目的語をとるかで違ってきますよね。
じゃ、それ以外の『 いつ どこで 誰と どんなふうに 』というのは、何であると考えればいいのでしょう?
これらは 主語でも動詞でも目的語でも補語でもなく、修飾語句なのです。
Tom studied English in the library with me yesterday.
トムは、昨日 私と 図書館で 英語を勉強しました。
この場合、in the library と with me と yesterdayが、場所 時などを表す修飾語句で 文の主要素(主語 動詞 目的語 補語)ではないのです。
何かを人に伝える時に、正確で詳しい情報を・・と考える場合、この『いつ どのように どこで どんなふうに どれくらい』 などが大きい役割を果たすことがわかると思います。
そして、場所 や 時、様態、頻度、程度を一語で表すことのできるものが 副詞 です。
now, yesterday・ 時 here, there・・場所 well, hard ,carefully・・様態 often, sometimes・・頻度 enough ,almost・・ 程度
などが、あります。
来週は 副詞 と 副詞節 について触れて行きたいと思います。
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