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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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最愛の娘を失ったばかりの母親の日々を人が想像すると、おそらくずっと泣いたり落ち込ん
だりしている様子を思い浮かべることでしょう。

そうでもないんです。
悲しみは、痛みのない間隔を挟む陣痛のように 普通の生活を挟みながら、急に私を襲い ぐすんぐすんと涙させる。

・・今日チーズケーキ作ろうかな・・早希ちゃんチーズケーキも好きだったけど、紅茶のケーキ
が一番好きだったな・・すごい悲しい もう作っても食べてもらえないんだ。
早希ちゃん もういないから・・
そしてひとしきり泣いた後、涙を拭きながら次には冗談を言って笑っていたりする。

ずっとお休みしていたスカイプの英語授業を早朝に受ける。
フィリピーノの先生が自己紹介の途中で「Chiekoは 子供さん何人いるのですか?」と聞いた。
二人 と私は答える。
私の子供はずっと二人。変わらない。
胸のあたりがきゅーっとして 涙腺がゆるむ。

 娘の病気が再発して、介護や家事手伝いが必要となった一年前から、ほとんど毎日5~10
時間を娘の家で過ごしていた。そして今その時間が全部自分の時間として戻ってきた。

念願のピアノが届いたので毎日1~2時間ピアノを弾くことにあてている。
ずっと行けなかった映画館にだって行く。

先週水曜日は、「いきちゃった」を観に、渋谷のミニシアター ユーロスペースまで行って
きた。優先順位が興行収入に置かれがちな映画界で、常に別の視点で いい映画を提供しよう
と試みるミニシアター系の映画館は、私にとってひとつのオアシスなのだ。

主人公の厚久は、自分の気持ちを 言葉や態度に表すことの苦手な人。
妻の奈津美はそんな彼の愛をそっけなく感じ、信じられずに離れていく。

彼は言う。妻を愛している と。心から愛している と。
彼は泣く。「俺の愛じゃだめだったんだ・・」と。

厚久を見ていて親近感を抱く私。
そうだ、家のダンナだ。家のダンナにどこか似ている。
彼の苦労をずっと一緒に見てきた私。

声の大きい人の意見が通りがちな世の中。
ゆるぎない自分を持ちながらも、言葉少なで遠慮がちな人間の 生きづらさ を彼を通して
経験してきた。

厚久の背中。
首を振る扇風機にたなびく壁に貼られた無邪気な絵。その音の臨場感。
娘と影絵で遊ぶ 陽だまりのようなあったかい空間。
小津安二郎的な構図シーン。

2時間に満たない映画だったけれど、とても満足できました。

私の趣味の方向性として、勝者を扱っている映画やドラマよりも、弱者やマイノリティーを
扱っているものを好む傾向があるようだ。

アメリカドラマも然り。

今観ているのは 発達障害を持った主人公サムの物語「ユニークライフ」。
ネットフリックスで配信されています。

これは自閉症スペクトラムのサムの視線を一緒に経験できるドラマだ。

現実はもっと複雑で大変なのかもしれないけれど、このドラマを通して 障害を持つ人の
傾向性 本人や家族の苦悩 本人や家族の幸せ それぞれの登場人物の価値観をほんの少し
でも知ることができる。

もうひとつ観ているのはアマプラで観られる Enlightened (エンライテンド)。
これは 『痛い人』 が主人公のドラマだ。

彼女のやることはとことん痛い。周りを引かせる。
一生懸命なのに 何かがずれている。
半分ファンタジーの中で生きている彼女はなかなか現実と折り合うことができない。

困った人だな・・と初めは私も思った。
でも途中から取り込まれていっちゃうの。
なんか・・わかるかもって・・ある意味彼女の方がまともなのかも・・・って。

アメリカドラマのすごいところは、ずっと前から多様性をはぐくんでいるところだ。
はぐくむ って適語じゃないな。英語でいうと embrace が私のぴったり言いたい言葉。
ファッショナブルとしてではなく、LGBTが当たり前に存在している。

そんなアメリカでも現実では BLM (ブラック ライブズ マター)問題 とか #metoo
問題とか後を絶たないのが悲しいことだ。


 あれから高校時代の友達がお花を、また私がコーラスをしていたバンド仲間がとてもたくさ
んのお花券を贈ってくれた。シナリオの先生が以前くださったお花券も合わせると、当分早希
に美しいお花を飾ってあげられる。本当にありがたい。

明日はヨッシイと息子と4人で食事をする予定だ。
何回か電話で話したけど、心に大きな穴がぽっかりあいてます・・と穏やかな声で彼は
言っていた。

チタン製の遺骨ペンダントを購入したので、明日少し早希のお骨を入れさせてもらう。
ずっと一緒・・って思いたいのね。

朝起きたら朝日がベッドの横の白壁を照らしていた。
足を上げてみたのね。そしたら影絵のように足が映って。

「いきちゃった」の映画のワンシーンを思い出して、羽のように動かしてみた。
うまくいかなかったけど、気持ちがふんわりあったかくなれたよ。




















一昨日あたりから我が家にお花が届きだし、今 早希の写真は美しいお花に囲まれています。

水曜日 素敵なカフェに連れて行ってくれた じゅんこさん。
犬が縁で親しくなるうちに、娘と中学時代に同級生だった息子さんがいることがわかって
びっくりしたのが12,3年前。
その後 彼女はある時期私のアロマの先生、私は今でも彼女のヨガの先生であって、色んな事が
交差した関係を続けている。

カフェの帰りにハルの顔を見に家に寄ってくれた。
公園でハルと遊んでくれたノーフォークのモカちゃん かりんちゃん ココアちゃんはすでに
じゅんこさんに見守られながら天国へと旅立ってしまっている。
ハルを可愛がるじゅんこさんのまなざしは、限りなく優しく特別なものだった。

早希のためにも美しいお花を持って来て下さったじゅん子さんは、早希の写真の前で
静かに手を合わせてくれた。

大学時代からの主人のバンド仲間 ママ友 ヨガの生徒さんからもお花が送られてきた。
私の場合、主人のバンド仲間が私の友人だったり、ママ友が同時にヨガの生徒さんだったり、
ヨガの生徒さんが、以前私が家庭教師をしていた娘さん息子さんのお母さんであったり と、
ここでも関係性が交錯している。
私のネットワークは一本線では描けない複雑な様相を呈している。

可愛く賢い早希ちゃんを、ずっと忘れません・・とみなさんが言ってくれる。
早希はみなさんの心の中に 永遠に。

美しいお花に囲まれた写真の中の早希がいっそう美しく、幸せそうに見える。
本当に喜んでいるんだと思う。

ね、私も美容に目覚めたよ。
私の命が尽き果ててあの世に行った時、「チエコ、年老いてしわくちゃでチエコってわかり
づらいわ・・」って早希にいじられそうな気がするから。

身体にいいもの食べて ヨガして バーレッスンして 感受性を刺激して 表情筋を豊かに
し・・その時が来たら ちゃんと早希に私だってわかってもらわなくちゃ。そう思って。

素質はあると思うんだ。
早希のお葬式で久しぶりにあったいとこ(小学生時代、弟のように従えて一緒に遊んでた)
むっちゃんが、なかなかすんごい表現で私をほめてくれた。

「ちいちゃん 全然劣化してないねー・・・ほんとすごいなあ・・」
劣化してないって・・そんな・・マンションの壁じゃないんだから。

もうすぐね、エレピが来るの。
プレミアムホワイトメープル調(つまり本当のメープルの木ではない)・・のピアノを迎え入れる
ために部屋をいっぱい掃除した。

ピアノがうまくなったら早希ちゃんが聴きに来てくれると思うから。
ドミナント7th(ブルーノート) とかおしゃれに 粋に 入れられるようになりたい。

そうだ、アメリカドラマのこと書くって言ってたのに、忘れてた。
次にします。
あ、ひとつだけ。ミッドナイトスワンで一果ちゃんのバレエシーンに心を動かされて、
バレエに少しでも興味を持った方がいらしたら、アマゾンプライムで観られる
『Flesh and Bone』がお勧めです。

とにかくバレエの技術が半端ない。素晴らしい。
ストーリーは途中なんか近親相姦的な暗い怪しい感じなんだけど、とにかく踊りが
すごい。練習風景からため息がでてしまう。

私 このシリーズ見てから、ヨガだけでなくバーレッスンも家でするようになったくらい。
そしてやってみるとバーレッスンはすべての理にかなっており その頂点に~美しさ~
がある (拍手)


あ、高校時代の仲良しグループ8人からラインが来た。
明日お花届くって。嬉しい。家 お花屋さんみたいになっちゃう。

そうだ、早希の幼稚園時代の将来の夢は、お花屋さんになることだったんだ。









息を引取った直後から、早希の身体に不思議な変化が生じた。
身体のすべての生の営みが止まったのに 膚が蘇っていくようだった。
きめが整い始め、陶器のような透明感のある肌へと変わっていく様子を 驚きと感動と共に
目撃していた。

表情も、・・もう苦しい呼吸はしないでいいのね・・よかった・・と言っているかのように、
ほっとしたような 安らかなものへと変わっていった。

常にマッサージを施していた彼女の温かい手がひんやりと冷たくなるころには、病気前の
「美しい早希ちゃん」に戻っていた。

「早希ちゃん・・解放されて自由になったんだね。きれいだよ」

        解放       自由 

自分をしっかりと持つ自由な早希を、魂となっても自由にさせてあげたかった。
それが私が彼女にしてあげられる最後のことだと思った。

そこにたどり着くまで、「人を送る」ということの意味や考え方の食い違いを埋めるため
に、時には感情的に 時には冷静に 我々の間でたくさんのやり取りがあった。

相手がだんまりを決めている場合や一方的に話している場合を除いて、会話と言うのは
キャッチボールであるのが基本だ。

でもここでは礼儀上、私の話したことだけを並べていこうと思う。
私の言葉で相手が誰なのか、私の言葉に対してその人がどういうことを返したのか・・・
それは想像してみてください。それぞれ話し相手が違ってます。

それを完成させていくことで、あなたの隠れていた価値観がひょっこり顔をみせることが
あるかもしれませんよ。

・・それは今から2週間ほど前、早希のお式やお墓のことに言及されたことで始まった。
早希のスマホには遺言のようなものが残されていた。

「・・お花に囲まれて送られたい。お墓は樹木葬とか自然なものにしてほしい。同じ
宗教の方々に囲まれるのは窮屈なので、自分の残したお金でできる範囲の小さなもの
にしてほしい。再婚してくれたら安心するけど、もしずっと一人だったら一緒にはいり
たい。何かもめた場合はこれを通してほしい」と。


「お式にお花をひとつも飾らず 葉っぱひとつなんて早希が可哀そうです。
お式は本人を送るためにあるものでしょ? なぜこうでなくてはいけない・・というのが
あるのでしょう。送られる本人が望んでいることをしてあげることが最優先ではないの
ですか?・・決まりだからしょうがない、というのは信者でない私たちには関係ないこと
です。今時お嫁に行かせたのだから嫁ぎ先の言う通りに、なんて通用しません。
古すぎます。私はあなたが大好きなんです。言葉にできないくらい感謝もしています。
でも宗教の話をするあなたは、大嫌いです」

「あなた私にバカヤローと言いましたね。確かにバカなところがあるのは認めます。
でも私がバカヤローなら あなたは私の何十倍何百倍の『大馬鹿野郎』です!」

「あのさ、さっきの電話で言ってくれたじゃん。『自分の立場を人に押し付けることは
人を不幸にします。それはハラスメントです。あなた古臭い考えに縛られるのをやめて
、自分の頭でちゃんと考えたらどうですか?』って・・。本当は無口で争いが嫌いなのに
頑張ってくれてありがとう。すごい感動したよ・・」

「ちょっとの間の我慢だから。単なる脅し文句。可愛いあなたと縁を切るなんてできるはず
がない。落ち着いたら自然に戻るから・・わだかまりがある場合は私が間に入るから」

「ここに来て何ぶれてんの?決心したんじゃなかったの?
早希のことだけ考えるって言ったの あれは嘘だったの?
あなたをぶれさせた相手の言葉は何?言えないの? 
それを言ったら自分たちのことだけ考えてるって私に悟られるからでしょ?
たぶん向こうの言葉は・・このまま行ったら家に大不幸が起きる そんなの困る・・とかで
しょ?お布施をしなかったら不幸になる とか この宗教に入っていなかったらこれから来る大災害で助からない とか、それとおんなじじゃん。宗教って何なの?
ブッダはもともととても自由な人だったのよ。泣いてないでちゃんと説明しなさい!」

「決心してくれてありがとう。今のあなたにできる最高のことをしてくれたと思う。
紙の上だけでのことなのだから、これからも私が生きている限り あなたは変わらず私の義理
の息子だよ。主人が言ってた。喪主になって欲しいって。
あなたの優しさは、ご両親に温かく優しく育てられてきたことが大きく起因していると思う。
早希の介護をあなたほど愛情持ってできる人はいなかったと思うの。
ね、自分でわかってるんだよね、優しさと自分の弱さの表裏一体。ちゃんと親離れして
自分の頭で考えて行ってね。いつか素敵な人に出会って その人と幸せになるために」

 このようなことを予期していたのか、早希は一年前から離婚届を用意して、自分の欄を
きっちり自分の筆跡で埋め、判を押していた。

早希らしいお式だった。
花に囲まれ 早希を愛する人たちに囲まれ 早希の好きなジャズが流れていた。

ダンナがふっと提案した。
「ペットと入れるお墓があるんだよ。早希ちゃん、あとでハル君が来てくれたら寂しくない
よね」
私は自分の顔がカーッと熱くなるくらい興奮した。

それにしよう!
早希の残したお金に 旦那さん と 主人と 私 と 息子 でお金を出し合って、「ペットと
入れるお墓」を購入した。今 ハル君の墓石(ハル、あと5年は生きて・・)に掘るハルの線画
を友達の画家に描いてもらった。

早希の墓石には『 愛 』という字、その左上と右下に流れるように 彼女の好きだった
ブーゲンビリアを彫ってもらうことにした。お墓はぐるりと緑に囲まれた風通しのいい高台に
ある。

シナリオを勉強していた私にとって、現実はフィクションを超えると思った。
半沢直樹最終回よりも ドラマチックであった。

雨の降る金曜日、ミッドナイトスワン を観に行った。
こだわりのない素直な人が 役者に向いているんだなって改めて思った。
この作品がひとつの分岐点になるかもしれないね。

あまりにも絶賛されているので、あえて私は正直な感想をひとつ。

「なんで私だけ? なんで? なんで私だけ・・」を繰り返し凪沙に言わせる場面があった
けど、そこだけは違和感を私は感じた。

ずっと苦悩してきた人はその言葉はすでに通り越しているはず。
もし万が一思っていたとしても、凪沙の表情だけにとどめてほしかった。

私が早希のお葬式で 「なんで私だけだいじな娘を失うことになるの?」と泣き崩れない
のと同じで。

でも映画はいいな。
また少ししたら 浅田家 だっけ? 観に行こうかな?

次は私の好きなアメリカドラマについて書いてみたいなって思ってる。
わかんないけど。




 

娘 早希が、昨日安らかに旅立ちました。

とても自然で美しい最期だった。

この2年間ぴったりと傍にいた私は、彼女の芯の強さに何度も感心させられ、いろいろなことを
考えさせられた。

私の残りの短い人生、彼女の母親であることを誇りに思いながら生きていきます。
彼女に恥じないように生きていかなくちゃ。

最後の最後で色んな事があったけど、今はただ穏やかに時間を過ごしたい。

大好きだったジャズの音源が流れる中で、お花に囲まれて、早希を愛する人たちに囲まれて、
彼女らしくさわやかに送りたい。

早希ちゃん、お疲れ様。よく頑張ったね。
今度はもう少しいい母親になるから、来世でまた私の子供として生まれてきてね。

楽しい時間をありがとう。





アロマオイルの穏やかな香りに包まれながら、私の指が娘の掌をもみほぐす。
体温 呼吸音 わずかに動く指先 時々合う視線 すべてが愛おしい。
わずかに残された彼女の 「生」 を慈しみ ただそこにいる。
悲しくも幸せな 私の時間。

 娘が入院しているときから何度もお見舞いに来てくれている娘の友人、スガ あかりちゃん もっちん の3人が、連休最終日の22日火曜日に来てくれることをその2日前に聞いた。

おかあさんに会いたがってましたよ・・と、その時ヨッシイが笑顔で伝えてくれたので、
これまでは密を避けていたけれど、私も一緒にその場に参加することにした。

小学校 中学時代から知っている彼女たちがとても懐かしく、楽しく会話が進む。
会話に参加できない娘も、いつもより顔色も表情もいい。やっぱり友達に会うことが
嬉しいんだろう。

「あ~、チエコ様と話してるって今感じてます!」
とあかりちゃんが突然言った。
私は娘の一部の友達たちから いじられているのか親しみを込めて言われているのかわからな
いが「チエコ様」と呼ばれている。

娘が高校時代、チエコがああでこうでさ・・とスガに話していたら、傍にいた他の友達が
「チエコってだあれ?」と聞いたらしい。
それにスガがなぜか憤慨して 「よりによってあなたチエコ様を知らないっていうの?」
と言ったのが始まりだとかそうでないとか。

笑いのある会話がひと段落着いたところで、私は彼女たちに真面目なトーンで聞いてみた。

「忙しい中何度も何度も早希に会いに来てくれてほんとにありがとね。だけど・・早希
が少しずつ悪くなっていくのを目の当たりにするのは悲しくて辛くないの?大丈夫?」

するとあかりちゃんが伏目がちに言った。
「そりゃ悲しいけれど・・でも見た目は変わってしまったけれど、ヨッシイから普段の早希
ちゃんの様子を聞いたりして、早希ちゃんはそこにいる。私達の知っている早希ちゃんだ・・
って思える」

彼女たちは早希の中身を感じ、愛おしんでくれているのだ。

31年前 早希がお腹にいた時、私は赤ちゃんに会えるのを楽しみにしながら
色んなものを手作りして時間を過ごしていた。

パッチワークのおくるみ、ベビー服。そしてよくそんなもの作ったな、と今は思うけど、
純白のブロード綿でフリルのついた布団やベッドサイドガード(枠に赤ちゃんがぶつかっても
衝撃が少ないようにぐるりと取り巻く緩衝目的のキルト)まで手作りしていた。

蒲田のユザワヤ(巨大手芸用品店)帰りの目蒲線で、向かいに座っている方の新聞に、巨大な
文字で「昭和天皇ご崩御」と書かれているのを見つけたのは、今にも破裂しそうな大きなお腹
を抱えている、私 妊娠月9か月の時だった。

「私の生まれてくる赤ちゃんは昭和生まれじゃなくなっちゃうんだ・・」と思ったのを
鮮烈に覚えている。

赤ちゃんのための手芸本を何冊か買った私は、その一冊のあるページの赤ちゃんにくぎ付けに
なった。天使のように可愛らしいのだ。

現実の厳しさを知らない夢見がちなプレママは、「こんな可愛らしい赤ちゃんだったら
いいな・・」とため息をつきながらそのページにとどまっていた。

早希が生まれた。
私はびっくりした。だってあの手芸本の可愛らしい赤ちゃんがそのものだったから。

有頂天になりながら、まるで人形遊びをするかのように手作りの服を着せては早希の可愛らし
さを楽しんでいた。

その喜びが不安に変わっていったのは、彼女が思春期に差し掛かったころ。
周りが彼女の外見をほめる。まるで彼女自身が素晴らしいかのように。
それが人間形成に影響するのは必至だろう、そう思ったのだ。

「ねえ、私はコンプレックスで成長したのよ。あなた みんなに外見褒められていい気に
ならないでね。単なる偶然なんだから。勘違いしないでよ」

そういう私に、娘は ウザいな というような表情をした。

そんなことを言っていたくせに、娘が病気になって外見が変化していくことに辛く悲しい
思いを私はしていた。私の早希ちゃんが壊れていく・・彼女の外見を愛していたのは外なら
ぬ私だったのだ。

ある日ダンナが言った。
「早希ちゃんのポヤンとしたあの表情可愛くてね・・・」

今、早希ちゃんが心底可愛いと思える。
この気持ちの深さを自覚できる。

外見を通り越して、その人自身に到達できる愛情を感じられるか、自分にもその愛情を人に
感じてもらえるか・・が、人生の醍醐味ではないかと思える。

それは見た目に限らず、その人の地位 財力、才能さえも 今の私には単なる外見であると
感じてしまう。
それは地位も財力も才能も持っていない人間の嫉妬の裏返しなのでは?と言われればそれも
真実かもしれない。

それでも私は、例えば素晴らしい絵 素晴らしい文章に敬意を表することはあっても、
それを描いた人にその敬意を向けることはまずしない。
なぜならその人の人間性を知らないからだ。

全く利害関係のない関係性、利害関係フリーの純粋な愛情。
私は今、この愛情の深さに包まれていることで、生き続けている。

早希の写真を何枚かあげようかな、と思っている。
それは病気前の写真だ。
早希が存在していたことを人に知らしめたい。
でも同時に早希の内面を知らない人たちには、表面的な美しさだけを提示したい。
その美しさのイメージで記憶に残してもらいたい。

レモンの木が裸になりかけている。
だいぶ前に大きな青虫を見つけた。
そのままにしていたら数日で葉っぱを食べつくされた。

今の私はどんな小さな命もないがしろにできない。
共存 って 永遠の課題だね

ここに来て大きな問題が発生している。
実のお姉さんのように感じていたヨッシイママの「宗教」が再燃焼し始めたからだ。

次はそんなことを書こうかな
ではまた。




焦って貼り付けたら大きすぎて横になってしまった。
もう出かけなければいけないので、後でゆっくり直します。悪しからず






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