日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
どちらも車の中で信号待ちをしている時だった。
目前で、一秒前にこの世に存在していた命が、一秒後には絶たれていた。
数年前にはお年を召したご婦人が、そして、数日前には小さなかわいい黒猫ちゃんが、それぞれ不注意な対向車と、そしてバイクの犠牲となったのを目撃してしまった。
ところが、あれだけショックを受けた数年前の事故を、今ではほとんど思い出さなくなってしまっている。時々現場を通るときに身を引き締めるくらいの程度に、もはやなってしまったのだ。
数日前の黒猫ちゃんの事故の直後、駐車場の車中で、さんざんぱら泣いて、その日は一日中、思い出してはじめじめと泣いていたのに、今ではひとつの出来事として片付けようとしている自分がいる。
出来事そのものが、日々とともに薄れていくのは、ありがたいことでもあるのだが、その反面 忘れてはいけないんじゃないかという思いもあり、「覚えていて思い出すんだ」と自分に言い聞かせたりもしてみる。
不思議なことに、出来事そのものは、そのように意識的に喚起する必要があるわけなのに、そのとき自分が心にずっしり感じたことは、流れる時間とは無関係に、逆に研ぎ澄まされていく。
当たり前の日常が、一瞬で消え去るという無常観。
他の死にささえられて成り立つ、自分の生 というもの。
手のひらを合わせたときの 両手のぬくもり。
猫ちゃんの分も、ハルをかわいがるんだ。という稚拙な思い。
心で口ずさんだ鎮魂歌。
すべては、自分の血となり肉となり、私の中で生き続けていく。
目前で、一秒前にこの世に存在していた命が、一秒後には絶たれていた。
数年前にはお年を召したご婦人が、そして、数日前には小さなかわいい黒猫ちゃんが、それぞれ不注意な対向車と、そしてバイクの犠牲となったのを目撃してしまった。
ところが、あれだけショックを受けた数年前の事故を、今ではほとんど思い出さなくなってしまっている。時々現場を通るときに身を引き締めるくらいの程度に、もはやなってしまったのだ。
数日前の黒猫ちゃんの事故の直後、駐車場の車中で、さんざんぱら泣いて、その日は一日中、思い出してはじめじめと泣いていたのに、今ではひとつの出来事として片付けようとしている自分がいる。
出来事そのものが、日々とともに薄れていくのは、ありがたいことでもあるのだが、その反面 忘れてはいけないんじゃないかという思いもあり、「覚えていて思い出すんだ」と自分に言い聞かせたりもしてみる。
不思議なことに、出来事そのものは、そのように意識的に喚起する必要があるわけなのに、そのとき自分が心にずっしり感じたことは、流れる時間とは無関係に、逆に研ぎ澄まされていく。
当たり前の日常が、一瞬で消え去るという無常観。
他の死にささえられて成り立つ、自分の生 というもの。
手のひらを合わせたときの 両手のぬくもり。
猫ちゃんの分も、ハルをかわいがるんだ。という稚拙な思い。
心で口ずさんだ鎮魂歌。
すべては、自分の血となり肉となり、私の中で生き続けていく。
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