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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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始まる前に楽しみにしていたのとは違う感じで、今ソチオリンピック
を見ている。

オリンピックに出場するまでに、すべての選手が血のにじむような努力を重ねて来たにも
かかわらず、結果はくっきりと明暗が分かれてしまう。この当たり前のことを、今回の
オリンピックではなぜだか私は楽しめないでいる。自分の精神状態のせいなのかな。

例えばフィギュアスケート。ジャンプの成功ばかりに焦点が当てられているようで
すっきりしない。こちらから見れば、ジャンプは全体の流れ、表現力の一部分であって、
ひとつのツールに過ぎないはずなのに、何よりも大きな顔をしだしてそればっかりに
なっているように思えるからだ。

羽生結弦くんの金メダルを喜びながら、高橋大輔くんのスケートに心を動かされている
自分がいた。彼ほど音楽を身体に響かせて滑るスケーターはいないんじゃないかと思う。
「失敗をしない。」「パーフェクトな演技」に焦点を当てるのではなく、真央ちゃんに
も物語を語るように、そしてそれをそっと手放して私たちに届けるかのように、滑って
欲しい。

ひたむきでまじめなアスリートを追い詰めてしまうのも、いつも私たち大人だ。
喜んで泣く人。悔しくて泣く人。様々な感情のいろんな涙を見てきたけれど、どの涙も
美しい。







体力の低下が激しいいつもの二月。
体力がなくなってくると、自然と自己評価が底辺をさまよい始める。

昨日はすごく嬉しいことがあったのに、そこから抜け出るきっかけにはならなかった。
家庭教師をしていた生徒さんの大学受験が思いのほか(これは失礼かな・・)
うまく行き、いままで受けた5大学全て合格して第一希望の大学に進むことが決まった。
「ありがとうございました。」と生徒のお母様にも何度も言ってもらって、
「本当に良かったですね。」と、私もすごく嬉しくてほっとしたのに、その電話を
切ったあと、ドーンと暗闇に引き戻る。

実の兄の躁鬱の激しさを見るにつけ、私にも少しはその気があってもおかしくないと
思うところもあるのだ。

こういう時期の私の脳みそは、粘っこい半透明の膜が絡みついているような重苦しさが
あって、嬉しいことがあっても、喜び嬉しさに健康的に反応する前に、その膜がそれらを
全て絡みとってしまう。

知人に日頃の感謝の気持ちを表すためにバレンタインの手作りチョコレートケーキを渡し
たら、唖然とするくらい喜んでくれた。「至福の時 幸せ 芸術品 感謝」とその喜びを
あらわすその人を、実はその時私は羨ましくてしょうがなかったんだ。
その元を作ったのは自分なのに。何かが自分の中でつながらない。
体のどこかに絶縁体が潜在しているよう。

ま、いつものことだから・・と諦める努力をしながら、とても非生産的な生活をしていた。

昨日ゴロゴロしながら「Earth」という映画を観た。
野生の動物たちの、生と死の狭間にいるような過酷な日常を目の当たりにした。
普段から「恥ずかしい・・」という気持ちが他の気持ちを圧倒し気味の私の心は、動物
たちの「生への真剣さ 真面目さ」に出会ってより恥ずかしくなった。

ヒョウがガゼルを追う。じわりじわりとその差が詰まっていく。
スローで映し出されるその場面に、不思議と残酷さを感じることはなかった。
ヒョウの爪がガゼルに触れるその時、そこに予想もしない「慈悲と敬意」が見えた。
とても大切なものをあつかうように、前足をガゼルにのせる。
抱きかかえるように押さえ込み、首元を一気に噛む。

長年やってきた家庭教師を一段落させて、これからどっちの方向に向いていくのか
まったくわからない。ちょっとお休みして考えてみようと思う。


ちゃくちゃくと雪景色への完成度が高まる屋外を気にしながら、テレビで冬季オリンピック
を観ていた。

スケボースロープスタイルやスキージャンプなどの選手が空中に勢いよく放り出てから
の数秒間、思わず息を止めてしまっている自分がいる。
人間行動のある限界線を超えると、そこに強烈なインパクトが生じて、時が一瞬止まるの
ではないかとさえ思ってしまう。
例えばこれを、江戸時代の人が目の当たりにしたとしたら、鳥人間の存在に恐れおののくに
違いない。

モーグルの上村愛子選手。過去4回のオリンピックで一段一段順位を上げて、その順番通りに
行けば今回は銅メダルのはずだった。でも、同じ4位でも、4年前の4位と今年の4位では価値
が全く違う。輝かしい感動的な4位だったと思う。

土曜日午前 雪が激しくなる中、重装備でハルを散歩に連れて行く。
だんだんと吹雪がひどくなり、目も開けていられなくなったので、諦めてすごすごと
家へ戻ってきた。

その隙に数枚撮った雪景色の写真を載せようと思います。


































人との関係だったり自分の持病だったり、上手に付き合って行かなくては
ならないものはこの世にたくさんあるけれど、「お金」もその代表的なもの
のひとつだと思う。

 いい具合に距離を保って賢く付き合えば、そこに健全性すら期待できる一方、
欲望の罠にはまり悪魔に魂売り渡すようなことをすれば、それこそ地獄を見るのが
オチだろう。

 お金のことに触れたのは、最近スカイプの英語レッスンで読んだ記事が印象に
残っていたからだ。その記事の見出しは、「高収入が幸福感を減らす?」
という、庶民である私の好奇心を大いにそそるものだった。

お金持ちであることは、ゆとりでありステイタスでもあり、本来、自己欲求を満たす
ことが可能な幸福に一番近い状態 と思われているはずだ。

しかしながらイギリスの経済学者の調査研究によると、年収$36,000が、人生における
満足度が一番高いということになるらしい。
「一体全体、高収入を稼ぐ人が、なぜ人生に対する満足度が低くなりえるのか?」
という誰もが思うであろう単純な疑問に、その経済学者はこう答える。
「ひとつに、収入が増えることで、本人がより多くの可能性 選択肢 機会に恵まれて
しまうため、人生への欲求そのものが不安定になりやすく、その結果、純粋な楽しみや
満足を得られにくくする。」のだそうだ。

 私自身、一つ思えるのは、「買いたいものがすぐ買えない」状態は、不幸ではない
ということ。それどころか見方をちょっと変えれば、幸せの部類に入るかもしれないと
思うのだ。

先日、ディノスカタログの「HOUSE STYLING」に、素敵なカプチーノマシンが載ってる
のを見つけた。わっ、欲しい・・と思い、即座に値段をチェック・・169,524円?
えっ? 16万?・・一桁違うのかと思った。

ちょうどその時戻っていた息子と、重みのある6桁数字の下に書かれているマシンの説明を
細かく読んでは、これはすごい!「優秀なバリスタが自宅にいる感覚」だってよ・・
と大興奮。挙げ句の果てにインターネットのコマーシャル動画を見ては二人でため息をつく。
「ん~・・。何年かして価格ドットコムで10万切ったら考えようかな。」

今使っているコーヒーマシンは、20年モノ。娘や息子が小学校に上がる前から使っている。
お湯が落ちる時「コボコボ」とくぐもった音を出す。我が家の朝の始まりの音だ。
スマートではないけれど、私にとっては「幸せの音」だ。

朝の連ドラ、「ごちそうさん」の歌、「晴れのち~ハレルヤ」の部分を、ダンナが
「金持ち~ハゲるや」に聞こえてしまう・・と言って憤慨していた。
金持ちじゃないのに禿げてしまって、踏んだり蹴ったりだと。

だいじょうぶ。金持ちじゃなくても幸せになれるって、学者さんが言ってるよ。










 
 

毎日のようにメディアで顔を見れるような売れ方をしていないので、今まで3回しか見たこと
のない「がーまるちょば」だけど、3度目にして、彼らの「サイレントコメディー Japan Tour 2014」を、神奈川芸術劇場
まで観に行ってしまった。

始まるやいなやライブ感満載で、のっけからどんどんお客を巻き込んでいく。
腰を折りながら申し訳なさそうに席を探す遅刻入場者がいれば、ピピーっと笛を吹いて
イエローカードを差し出す。そうかと思えば、本人たちは一言も発っすることなく、
魔法のような牽引力で私たちに「言葉の合唱」をさせる。

心地よい温度に温まった会場で、彼らの繰り広げる「言葉のない世界」がどんどん自然に
なってゆく。

ショウ最後の出し物、「サイレントドラマ」は、圧巻だった。
効果音や音楽が加わったパントマイムのみの演劇では、せりふのない分フル稼働した私たちの
想像力が、私たちの眠れる情緒を引き起こしてくれるようだ。

実体のないものをあるように見せるパントマイム。
そのパントマイムの中で、「死」というものが演じられる。
ここではいつものパントマイムの逆を行く。
舞台の上で存在する体が、存在しないかのように演じられる。
つまり、実体のあるものをないように見せるのだ。

死によって体を失っても想いは消えず、女性は愛する男性に会いに行く。
方や、愛する女性を失った悲しみの中に沈む男性。
二人の強い思いが、生と死のラインを超えたとき、オーティスレディングの
「I've been loving too long」が流れる。
これはちょっとズルい・・と思った。オーティスの声はそれだけで、人に涙を流させると
思うからだ。

すべてのプログラム終了後、がーまるちょばのHiro-ponとケッチは、何度もアンコールに
応えてくれた。ケッチが、最後に見えないロープを力いっぱい何度か引いたら、本当に
最後の幕がおりた。

紅潮した頬で劇場を後にして、せっかくなので中華街に戻ってお買い物をした。
がーまるちょばの写真はむやみに出せないので、中華街の色と匂いを閉じ込めた写真を
載せようと思います。

あ、あとね、がーまるちょばにおすぎとピーコのピーコさんがいらしてた。
とても上品な方でした。





































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