日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
歳とともに涙腺が緩んでくると人は言うけれど、私の流す涙の量に関して言えば
以前に比べてそんなに大きな違いがあるとは思わない。
違いがあるとすれば、涙と結びつきやすい感情の種類が、若い時とは
ずいぶん違っているということだ。
若い時は、悲しみだったり怒りだったりと、負の感情でよく泣いたものだ。
悲しくてもあまり泣かず、怒って泣くなど皆無と言える今は、その空きスペース
を埋めるように不思議な涙が増えた気がする。
「かわいい」「愛おしい」という類の形容詞を使う時、人は優しい穏やかな表情
をたたえているに違いない。愛犬の寝顔を目の前にして、平和で、ひとつの塵もない澄み
切った心で、「ハル、かわいいね・・」と私はその時つぶやいていた。
ハルの温かい寝息が私の頬を規則的になでる。その安心しきった小さな寝姿をじっと眺めている
うちに、私の目から温かな涙が流れ落ちた。
「可愛くて泣く」という、とても心地よい涙は、若さを手放したかわりに得ることのできる、
ささやかな特権なのかもしれない。
でも私はわかってるんだ。この涙はそんなに単純なものではないことを。
この涙の背景には、ハルのその無力さと健気さに助けられてきた日々への感謝の思いがある。
そして何よりも、その日々が永遠には続かないことをどこかで覚悟している私が、その
ことに気づかぬふりをして、ただひたすら彼をかわいくいとおしく思って泣くのである。
この文章を書きながら、また私は泣いている。
これだけ私の感情を揺さぶることのできるあの小さな生き物は、いったい何者だろう?
この感情の揺さぶられ加減は、まるで恋愛だ。
恋をすると人が弱点をたくさん抱えるように、ハルは私の弱点そのものです。
かわいい いとおしい は、恐い さみしい と同義語になりえることも、大人になって
から知った不思議な矛盾です。
以前に比べてそんなに大きな違いがあるとは思わない。
違いがあるとすれば、涙と結びつきやすい感情の種類が、若い時とは
ずいぶん違っているということだ。
若い時は、悲しみだったり怒りだったりと、負の感情でよく泣いたものだ。
悲しくてもあまり泣かず、怒って泣くなど皆無と言える今は、その空きスペース
を埋めるように不思議な涙が増えた気がする。
「かわいい」「愛おしい」という類の形容詞を使う時、人は優しい穏やかな表情
をたたえているに違いない。愛犬の寝顔を目の前にして、平和で、ひとつの塵もない澄み
切った心で、「ハル、かわいいね・・」と私はその時つぶやいていた。
ハルの温かい寝息が私の頬を規則的になでる。その安心しきった小さな寝姿をじっと眺めている
うちに、私の目から温かな涙が流れ落ちた。
「可愛くて泣く」という、とても心地よい涙は、若さを手放したかわりに得ることのできる、
ささやかな特権なのかもしれない。
でも私はわかってるんだ。この涙はそんなに単純なものではないことを。
この涙の背景には、ハルのその無力さと健気さに助けられてきた日々への感謝の思いがある。
そして何よりも、その日々が永遠には続かないことをどこかで覚悟している私が、その
ことに気づかぬふりをして、ただひたすら彼をかわいくいとおしく思って泣くのである。
この文章を書きながら、また私は泣いている。
これだけ私の感情を揺さぶることのできるあの小さな生き物は、いったい何者だろう?
この感情の揺さぶられ加減は、まるで恋愛だ。
恋をすると人が弱点をたくさん抱えるように、ハルは私の弱点そのものです。
かわいい いとおしい は、恐い さみしい と同義語になりえることも、大人になって
から知った不思議な矛盾です。
修理の人を呼ぶのが億劫で、不具合に目をつぶって使っていた物の数が片手を
超えたのを機に、やおら受話器を取り、修理の手はずを次々と整えた。
ひとつずつ物が直るたびに、体のどこかに隠れていたストレスが、
個体から液体、液体から気体になって空中へと霧散し、気持ちが軽く
なっていった。
こうなることはわかっていたのだから、早くやればよかったのに・・と一応自分に
言い聞かせてはみるけれど、もうひとつ確かなことは「できないときはできない。」
面倒くさがりやの私が動くには、状況の危機感と自分の向上心がうまい具合にシンク
する必要がある。
切り替えコックを軽くひねれば、浄水が眩しいほどにやかんを満たし、魚を
食べたければ、魚グリルが自信あり気にすぐそこにスタンバイしてくれている。
支障なく家の中で動き回れると、主婦であることが楽しい。
おかしなことに、おくての私は、30年の結婚生活を経験した今になって、一番いい
お母さん、いい妻をしているような気がする。めちゃくちゃ遅すぎるというのはわか
っている。ただ物事を理解するのに、頭の悪い私は30年かかってしまったというだけだ。
若い時は、まだまだ血気盛んで、家族の気持ちや家族の状況に自分の気持ちを
心地よく沿わせることができなかったのだ。今になって自分が鼻息荒くしてきたこと
の数々を思い出しては、ため息をついてしまうことも多々あるけれど、過去はどうにも
変えられないので、現在(いま)を生きていくしかない。
30年近く家計簿をつけることができなかった私が、現代のテクノロジーの力を借りて
今順調につけ続けている。スマホのアプリ、「ReceReco」を使って。
買い物をする。レシートをスマホのカメラで撮影する。それだけであとはアプリが
映像を文字変換してくれて、支出を総計してくれる。自分で食費とか消耗品とか
に区分けすれば、月々のカテゴリーの支出を、一目瞭然の棒グラフで表してくれる。
家計簿を付けることができる奥さんになる夢が、30年の時を経てやっと実現した。
年を取るごとに、より「すっとして」「すっきりと」生きて行くことができる自信が、
ちょっぴりだけど顔をのぞかせた今日この頃です。
超えたのを機に、やおら受話器を取り、修理の手はずを次々と整えた。
ひとつずつ物が直るたびに、体のどこかに隠れていたストレスが、
個体から液体、液体から気体になって空中へと霧散し、気持ちが軽く
なっていった。
こうなることはわかっていたのだから、早くやればよかったのに・・と一応自分に
言い聞かせてはみるけれど、もうひとつ確かなことは「できないときはできない。」
面倒くさがりやの私が動くには、状況の危機感と自分の向上心がうまい具合にシンク
する必要がある。
切り替えコックを軽くひねれば、浄水が眩しいほどにやかんを満たし、魚を
食べたければ、魚グリルが自信あり気にすぐそこにスタンバイしてくれている。
支障なく家の中で動き回れると、主婦であることが楽しい。
おかしなことに、おくての私は、30年の結婚生活を経験した今になって、一番いい
お母さん、いい妻をしているような気がする。めちゃくちゃ遅すぎるというのはわか
っている。ただ物事を理解するのに、頭の悪い私は30年かかってしまったというだけだ。
若い時は、まだまだ血気盛んで、家族の気持ちや家族の状況に自分の気持ちを
心地よく沿わせることができなかったのだ。今になって自分が鼻息荒くしてきたこと
の数々を思い出しては、ため息をついてしまうことも多々あるけれど、過去はどうにも
変えられないので、現在(いま)を生きていくしかない。
30年近く家計簿をつけることができなかった私が、現代のテクノロジーの力を借りて
今順調につけ続けている。スマホのアプリ、「ReceReco」を使って。
買い物をする。レシートをスマホのカメラで撮影する。それだけであとはアプリが
映像を文字変換してくれて、支出を総計してくれる。自分で食費とか消耗品とか
に区分けすれば、月々のカテゴリーの支出を、一目瞭然の棒グラフで表してくれる。
家計簿を付けることができる奥さんになる夢が、30年の時を経てやっと実現した。
年を取るごとに、より「すっとして」「すっきりと」生きて行くことができる自信が、
ちょっぴりだけど顔をのぞかせた今日この頃です。
「あっ悪い、ハゲお願~い・・」
忘れなければ一日二回、これをだんなに向かって私は言う。
念のため、これは髪の毛薄めの彼のことをハゲ呼ばわりしているのではなくて、
医者から処方された薬を、私の頭にできた500円玉ハゲに塗ってくださいな・・
という意味に他ならない。
三面鏡のない我が家で、自分の手先と感覚だけを使って局部にピンポイントで薬を
塗るのは、なかなかむずかしい。
そんなわけで私は、毛づくろいされている猿のように、従順に下向き加減のポーズを
取り、首をほんの少しひねり、ダンナが作業しやすいように精一杯協力する。
わかりにくい場所に薬を塗ってもらう。手の届きにくいところに湿布を貼ってもらう。
なんてことないことだけれど、これは家族の基本なんじゃないかと思う。
人はひとたび家を出れば、多かれ少なかれ、なるべく他人に弱みをみせないように
がんばっているわけで、かくいう私も、周りの毛でハゲを覆って素知らぬ顔して
行動しているのだ。
弱みをさらけ出したり自分のみっともないところをあらわにできるのは、やはり
長年共に暮らしてきた家族に限る。ありがたいことだ。
それにしても私、ここのところ不運続きで、自分の体だけでなく、家の中のものが
いろいろと壊れ始めて止まらなくなった。
コーヒーメーカーのエスプレッソ カプチーノ部分・・これはもう20年も使っている
からしょうがないとして、一年半程前に変えてもらった水栓が調子悪くて、浄水と
水道水の切り替えに使うツマミがゆるくなってすぐにポトンと落ちてしまう。
数日前に魚グリルがスタックして、どんなに頑張って引っ張っても動いてくれない。
車をこする。思い起こせば今年の元旦に、大切なカメラを落として破損させて以来、
降りかかるものを払いのけながら今日まで来た気がする。
降りかかる・・たって、私の不注意が大きな原因になっていることも多く、ただ
不運だと嘆く資格は私にはないことが辛いのだけれど。
そんなまとまりのない日々を送っている私の近くで、そのまんまの私を受け入れて
くれるのも、家族ならではだ。申し訳ない。
昨日、気分転換にドーナッツを作った。今ドーナッツがマイブーム。
先々週はねじりドーナッツを、昨日はリングドーナッツを作った。
自分で作るととっても軽くてさっぱりしていて美味しいので、3つくらいペロリと
簡単に平らげてしまう。やばい。
マイブームと言えば、今テレビ東京で金曜の夜中にやっている「リバースエッジ
大川端探偵事務社」とNHKの「夜の笑っちゃお」にはまっている。
リバースエッジは、私が大好きだった「まほろシリーズ」の大根仁さん脚本演出で、
心地よいゆるさと外れた感覚満載で、毎週楽しみにしている。
「笑っちゃお」は子供番組なのだけれど、お姉さんのキャラが、今まで経験したことの
ないようなおかしみのツボをやんわりと押してくれて、お姉さんを囲む周りの猫や
オナライダーとの会話が、みんながあるべきもの、と決めているラインから2、3本
ずれている感じで、これまた変に心地がいいのだ。
体もココロもすっかり疲れ果ててしまった私は、こんなふうにしてドーナッツを食べ、
不思議な番組をみて、なんとか生き延びています。

忘れなければ一日二回、これをだんなに向かって私は言う。
念のため、これは髪の毛薄めの彼のことをハゲ呼ばわりしているのではなくて、
医者から処方された薬を、私の頭にできた500円玉ハゲに塗ってくださいな・・
という意味に他ならない。
三面鏡のない我が家で、自分の手先と感覚だけを使って局部にピンポイントで薬を
塗るのは、なかなかむずかしい。
そんなわけで私は、毛づくろいされている猿のように、従順に下向き加減のポーズを
取り、首をほんの少しひねり、ダンナが作業しやすいように精一杯協力する。
わかりにくい場所に薬を塗ってもらう。手の届きにくいところに湿布を貼ってもらう。
なんてことないことだけれど、これは家族の基本なんじゃないかと思う。
人はひとたび家を出れば、多かれ少なかれ、なるべく他人に弱みをみせないように
がんばっているわけで、かくいう私も、周りの毛でハゲを覆って素知らぬ顔して
行動しているのだ。
弱みをさらけ出したり自分のみっともないところをあらわにできるのは、やはり
長年共に暮らしてきた家族に限る。ありがたいことだ。
それにしても私、ここのところ不運続きで、自分の体だけでなく、家の中のものが
いろいろと壊れ始めて止まらなくなった。
コーヒーメーカーのエスプレッソ カプチーノ部分・・これはもう20年も使っている
からしょうがないとして、一年半程前に変えてもらった水栓が調子悪くて、浄水と
水道水の切り替えに使うツマミがゆるくなってすぐにポトンと落ちてしまう。
数日前に魚グリルがスタックして、どんなに頑張って引っ張っても動いてくれない。
車をこする。思い起こせば今年の元旦に、大切なカメラを落として破損させて以来、
降りかかるものを払いのけながら今日まで来た気がする。
降りかかる・・たって、私の不注意が大きな原因になっていることも多く、ただ
不運だと嘆く資格は私にはないことが辛いのだけれど。
そんなまとまりのない日々を送っている私の近くで、そのまんまの私を受け入れて
くれるのも、家族ならではだ。申し訳ない。
昨日、気分転換にドーナッツを作った。今ドーナッツがマイブーム。
先々週はねじりドーナッツを、昨日はリングドーナッツを作った。
自分で作るととっても軽くてさっぱりしていて美味しいので、3つくらいペロリと
簡単に平らげてしまう。やばい。
マイブームと言えば、今テレビ東京で金曜の夜中にやっている「リバースエッジ
大川端探偵事務社」とNHKの「夜の笑っちゃお」にはまっている。
リバースエッジは、私が大好きだった「まほろシリーズ」の大根仁さん脚本演出で、
心地よいゆるさと外れた感覚満載で、毎週楽しみにしている。
「笑っちゃお」は子供番組なのだけれど、お姉さんのキャラが、今まで経験したことの
ないようなおかしみのツボをやんわりと押してくれて、お姉さんを囲む周りの猫や
オナライダーとの会話が、みんながあるべきもの、と決めているラインから2、3本
ずれている感じで、これまた変に心地がいいのだ。
体もココロもすっかり疲れ果ててしまった私は、こんなふうにしてドーナッツを食べ、
不思議な番組をみて、なんとか生き延びています。
灰色の雨雲が、そこにあるはずの富士山をすっぽりおおい隠し
、あたりの景色の広がりを妙にだらしなく見せていた。
それでも半日も経つと、その景色のしまりのなさと、首をひねりたくなるような
欠落感にもすっかり慣れてしまったようで、是が非でも富士山を・・と意気込んで
後追いなどすることもなく、どちらかといえば「この次の時はお願いね・・」と
いった具合に聞き分けよく機嫌よく過ごしていた。
嬉しいことに、期せずして翌日目を覚ますと富士がそこにそびえていた。
真っ白な雪におおわれた神々しい富士山が、窓枠を額縁にして、巨大な絵画のように
視界いっぱい迫って来た。
万歳をしたくなるような気持ちと、着替えを両手に抱え込み、露天風呂に向う。
朝の冷気を受けた顔と、温泉につかっている体との温度差が、私の中に鋭さと
穏やかさを混在させる。
太陽が富士のてっぺんをすくい取るように照らす。のんびりと眺めているうちに、
光の当たる場所が裾へ裾へと広がっていく。
富士山を眺めながらの贅沢な朝食を終えてから、ハルも行けるからという至極
単純な理由で、「癒しの里」という所に行ってみる。
そこは、わら葺き屋根の古民家がいくつも連なっていて、その間を通るくねくねと
続く坂道を歩いていると、昔の絵本の中に入り込んでしまったような錯覚に陥る。
ひとつひとつの古民家は、中に入るとそれぞれ独特で、藍染の作品が展示販売されて
いたり、ひょうたんのお店だったりと、なかなか楽しかった。
戸外で一通り遊んだら満足して、最後に仕事が忙しくて休みが取れなかった娘のために、
フジヤマクッキーをお土産に買って帰路についた。
この旅行ではスマホで無料ダウンロードした夏目漱石の「こころ」を読み終えた。
朝日新聞で連載が始まったのを読みだしたら、気持ちが焦れて、いっぺんに
読み通したくなったからだ。
「こころ」の中の登場人物 わたし 先生 K の会話や手紙を読んでいて、
「学問によって得る知識」と「経験によって得る知恵」という、この全く別の
ふたつの重なりとバランスについて考えさせられた。というか今考えているところです。






、あたりの景色の広がりを妙にだらしなく見せていた。
それでも半日も経つと、その景色のしまりのなさと、首をひねりたくなるような
欠落感にもすっかり慣れてしまったようで、是が非でも富士山を・・と意気込んで
後追いなどすることもなく、どちらかといえば「この次の時はお願いね・・」と
いった具合に聞き分けよく機嫌よく過ごしていた。
嬉しいことに、期せずして翌日目を覚ますと富士がそこにそびえていた。
真っ白な雪におおわれた神々しい富士山が、窓枠を額縁にして、巨大な絵画のように
視界いっぱい迫って来た。
万歳をしたくなるような気持ちと、着替えを両手に抱え込み、露天風呂に向う。
朝の冷気を受けた顔と、温泉につかっている体との温度差が、私の中に鋭さと
穏やかさを混在させる。
太陽が富士のてっぺんをすくい取るように照らす。のんびりと眺めているうちに、
光の当たる場所が裾へ裾へと広がっていく。
富士山を眺めながらの贅沢な朝食を終えてから、ハルも行けるからという至極
単純な理由で、「癒しの里」という所に行ってみる。
そこは、わら葺き屋根の古民家がいくつも連なっていて、その間を通るくねくねと
続く坂道を歩いていると、昔の絵本の中に入り込んでしまったような錯覚に陥る。
ひとつひとつの古民家は、中に入るとそれぞれ独特で、藍染の作品が展示販売されて
いたり、ひょうたんのお店だったりと、なかなか楽しかった。
戸外で一通り遊んだら満足して、最後に仕事が忙しくて休みが取れなかった娘のために、
フジヤマクッキーをお土産に買って帰路についた。
この旅行ではスマホで無料ダウンロードした夏目漱石の「こころ」を読み終えた。
朝日新聞で連載が始まったのを読みだしたら、気持ちが焦れて、いっぺんに
読み通したくなったからだ。
「こころ」の中の登場人物 わたし 先生 K の会話や手紙を読んでいて、
「学問によって得る知識」と「経験によって得る知恵」という、この全く別の
ふたつの重なりとバランスについて考えさせられた。というか今考えているところです。
旅行に行くずっと前から分かっていた。
私たちが出かける当日は雨降りの天気で、それもかなり強めの
雨が降るということを。
お天気ばかりは文句を言ったってしょうがない。と早々に観念して、
今回の旅行は、温泉につかり お料理を食べて 本を読んで 眠ってと、
ただ体を休めればいいと思っていた。
それでも、仕方がない・・と諦めるのにちょっぴり努力を要したのが、
富士山が雲隠れして拝めない状況。
真ん前に富士山が見えるホテルをわざわざ選んだのにね。
一日目、今までそこにあるのは知っていたけれど、あまり興味を惹かれずに何度も
前を通り過ぎていたオルゴール館に入館してみた。
これがけっこう意表をついて面白かった。
我が家の単発旅行の歴史の中で、「オルゴール館」への私の理解・印象の程は、
オルゴールの仕組みの説明が何らかの形で毛の生えた程度に行われた後に、オルゴール
ショップでの来場者の購買意欲掻き立てるのが主流であるのだろう。というまぎれも
ない思い込みであった。
実際に体験してみると、何かを見て回るというよりも、音楽のコンサートを聴きに
行った。というほうが近いように思える。
ヒストリーホールで行われた、大きめの洋服ダンス大の、どっしりした「自動演奏楽器」
や「オルゴール」の演奏は、長い年月に深い飴色となったのであろう艶やかな木箱の
板に、音の振動が小気味よくはじかれて、ノスタルジックな音色を私たちの耳に届けて
くれた。
この大きなオルゴール一台、中にはバイオリンも組み込まれてあって、バイオリンの
音色で自動演奏をするのもあるのだが、人々は250年かけてその一台を作り上げたと
いうから気の遠くなる話である。
雨もまんざら悪くないじゃん・・と言い合って、ホテルについて温泉三昧のんびり
三昧して翌日目が覚めたら、目の前に、真っ白な富士山が輝いていた。




私たちが出かける当日は雨降りの天気で、それもかなり強めの
雨が降るということを。
お天気ばかりは文句を言ったってしょうがない。と早々に観念して、
今回の旅行は、温泉につかり お料理を食べて 本を読んで 眠ってと、
ただ体を休めればいいと思っていた。
それでも、仕方がない・・と諦めるのにちょっぴり努力を要したのが、
富士山が雲隠れして拝めない状況。
真ん前に富士山が見えるホテルをわざわざ選んだのにね。
一日目、今までそこにあるのは知っていたけれど、あまり興味を惹かれずに何度も
前を通り過ぎていたオルゴール館に入館してみた。
これがけっこう意表をついて面白かった。
我が家の単発旅行の歴史の中で、「オルゴール館」への私の理解・印象の程は、
オルゴールの仕組みの説明が何らかの形で毛の生えた程度に行われた後に、オルゴール
ショップでの来場者の購買意欲掻き立てるのが主流であるのだろう。というまぎれも
ない思い込みであった。
実際に体験してみると、何かを見て回るというよりも、音楽のコンサートを聴きに
行った。というほうが近いように思える。
ヒストリーホールで行われた、大きめの洋服ダンス大の、どっしりした「自動演奏楽器」
や「オルゴール」の演奏は、長い年月に深い飴色となったのであろう艶やかな木箱の
板に、音の振動が小気味よくはじかれて、ノスタルジックな音色を私たちの耳に届けて
くれた。
この大きなオルゴール一台、中にはバイオリンも組み込まれてあって、バイオリンの
音色で自動演奏をするのもあるのだが、人々は250年かけてその一台を作り上げたと
いうから気の遠くなる話である。
雨もまんざら悪くないじゃん・・と言い合って、ホテルについて温泉三昧のんびり
三昧して翌日目が覚めたら、目の前に、真っ白な富士山が輝いていた。
カレンダー
| 11 | 2025/12 | 01 |
| S | M | T | W | T | F | S |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
| 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 13 | |
| 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 20 | |
| 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
| 28 | 29 | 30 | 31 |
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[07/28 kohara]
[04/01 Stevenurift]
[02/03 <a href="https://aclf.ru/">selector casino vojti</a>]
[02/01 JamesDwems]
[01/29 Kophes]
最新記事
(12/19)
(12/12)
(11/28)
(11/15)
(11/02)
最新TB
ブログ内検索
P R
