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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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あくびは不思議だ。
人があくびをしているのを目にすると、感化されやすい私は
必ずと言っていいほどその後に続いてファ~と大口をあけてしまう。
あくびの感染力は人間同士だけで起こりうるものだと思っていたら、
犬と人間でも同じ現象が起こることが最近わかった。
ハルのあくびを見て私が、私のあくびを見てハルが、かわり番子に
あくびをすることがよくある。

それどころか、先日読んでいた本の中に「あくび」という字が出てきただけで、
私はその時大きなあくびをしてしまっていた。どんどん自分が単純化していくようで
笑ってしまう。

今日は人のあくびを見るまでもなく、純粋に眠くてあくびが出る。
サッカーワールドカップ直前の試合、「日本対ザンビア」を観るために、早めに
起床したからだ。

結果は、先に日本が2点失点してその後2点返し同点。
3点目を日本が入れて逆転に大喜びしていたら、また1点返されて同点。
でも最後のゴールを大久保選手が決め、堂々の勝利。

直後のインタビューで、ザッケローニ監督が、内容が良くない試合だった・・と
厳しいコメントをしていたが、サッカーに詳しくない素人の私にとって、今日の試合は
とてもエキサイティングで楽しめるものだった。

それにしても解説者の松木さんは、面白い。
サッカーを解説するというよりも、テレビのこちら側で観ている私たちが思わず
口にしてしまうようなことを、解説席で言っちゃってくれる。

2点失点後に1点を返したことで、軒並み調子づいた日本チームに、「まずは同点へ」
という応援ムードが盛り上がり始めたいなや、ロスタイムが「3分」と告げられた。
そこで松木さんが言ったのが、「いや、5分くらいあったでしょ。」

ザンビア側の度を越したディフェンスに審判がファールをとらないと、
「今ひっかけたでしょ・・PKじゃないの。」

遠藤選手についていたザンビアの選手がイエローカードを取られると、
「審判もね~、遠藤選手みたいにやさしい顔してるのをみると、相手のイエローカード
出しやすいよね・・」などと、わかりにくいけど「言いたいことはなんとなくわかる」
・・部類のことを言っていた。

それにしても、日本の活躍も然ることながら、アフリカ選手の身体能力の高さに
今日は思い切り驚かさせてもらった。バネのような勢いある動き、跳躍力。
長い足。組織化された攻めでじりじりと追い詰めたかと思うと、すごいバネで突破する。
狩猟民族だな~、と思わされた試合だった。

ゴンさんも言っていたけれど、コートジボワール戦の前に、アフリカサッカーを体験
できたことは本当に日本にとってはラッキーだったと思う。

キリンビールの缶に、侍ブルーバージョンがあって、私は久しぶりにビールを買って
飲みました。昔やっぱり缶が欲しくて買ったSMAP缶と一緒に大事にしよう。

でもね。私、ネイマール、好きなんだ。好きというのはおこがましい。だって神々しく
見えるから。あんなに真っ直ぐな混じりけのない表情をする人ってなかなかいない。

とにかくワールドカップ、楽しみです。






いつもと変わらぬいつもの朝、ハルと一緒にいつもの散歩コースを歩いていたら、
いつもの景色にかすかな動きを感じてふと足をとめた。

散歩コースの途中に、住宅街が突然途切れて畑になっているところがある。
まったく建物のない足元レベルの土の広がりは、それでなくとも何かほっと
させるものがある。

その何もない空間をモンシロチョウが7~8匹飛んでいた。
モンシロチョウであると分かるには、かなり距離を狭める必要があった。
なぜならその蝶たちはバラバラに飛んでいるのではなく、小さな群れをなし、
その密集全体が、縦長の楕円になったり平ペったいUFOのような形になったり、次の
瞬間よじれたかと思ったらまたふわっと弛緩して、組んずほぐれつ流動体のように絶えず
形を変えながら空中を移動していたからだ。

何事も人間の尺度で考えるのは愚かしいこととわかってはいるけれど、どうみたって
この蝶ちょたちはお互いのコミニュケーションを楽しんでいるように見えた。

もしも至近距離まで近づけたなら、ぺちゃくちゃと楽しげな蝶ちょのお喋りが聞こえて
きそうだ。「今年の夏はエルニーニョの影響で冷夏らしいわよ・・」「冷夏ねえ・・
いいんだか悪いんだか・・ねえ。」などと他愛のないやりとりが。んなわけないけど。

話は全然違うけれど、私は最近「負け」を認める楽しさを経験し始めている。
特に親子の関係で、自分の子供が何であれ自分の上を行ってくれることに喜ばしさ
を感じるのだ。人はよく、若い人に負けない自信がある。というけれど、私は
本当のことを言うと、負けたいのだ。

息子は料理のプロだから、その包丁さばきや鋭い味覚は、のんびりやってきた主婦
の私とはすでに比べ物にならない。仕事で多量の写真を撮り、たくさんの文章を
書いている娘も、同様だ。実は前回載せたハルの写真は娘が撮ったもの。
ハルの多面的な表情を実にうまく捉えていると思う。私にはできない。

娘がたまにスマホの共有アルバムに写真を送ってくれる。
実にいい写真だな。と思って「いいね」ボタンをクリックする。
なんだかほんのりあったかい気持ちになるのは、ほんの少しでも彼らに手渡せた
ものがあったのかもしれない・・と、どこかで自己満足的に思っているからなの
だろうと思う。







歳とともに涙腺が緩んでくると人は言うけれど、私の流す涙の量に関して言えば
以前に比べてそんなに大きな違いがあるとは思わない。
違いがあるとすれば、涙と結びつきやすい感情の種類が、若い時とは
ずいぶん違っているということだ。

若い時は、悲しみだったり怒りだったりと、負の感情でよく泣いたものだ。
悲しくてもあまり泣かず、怒って泣くなど皆無と言える今は、その空きスペース
を埋めるように不思議な涙が増えた気がする。

「かわいい」「愛おしい」という類の形容詞を使う時、人は優しい穏やかな表情
をたたえているに違いない。愛犬の寝顔を目の前にして、平和で、ひとつの塵もない澄み
切った心で、「ハル、かわいいね・・」と私はその時つぶやいていた。

ハルの温かい寝息が私の頬を規則的になでる。その安心しきった小さな寝姿をじっと眺めている
うちに、私の目から温かな涙が流れ落ちた。

「可愛くて泣く」という、とても心地よい涙は、若さを手放したかわりに得ることのできる、
ささやかな特権なのかもしれない。

でも私はわかってるんだ。この涙はそんなに単純なものではないことを。
この涙の背景には、ハルのその無力さと健気さに助けられてきた日々への感謝の思いがある。
そして何よりも、その日々が永遠には続かないことをどこかで覚悟している私が、その
ことに気づかぬふりをして、ただひたすら彼をかわいくいとおしく思って泣くのである。

この文章を書きながら、また私は泣いている。
これだけ私の感情を揺さぶることのできるあの小さな生き物は、いったい何者だろう?
この感情の揺さぶられ加減は、まるで恋愛だ。

恋をすると人が弱点をたくさん抱えるように、ハルは私の弱点そのものです。
かわいい いとおしい は、恐い さみしい と同義語になりえることも、大人になって
から知った不思議な矛盾です。



















修理の人を呼ぶのが億劫で、不具合に目をつぶって使っていた物の数が片手を
超えたのを機に、やおら受話器を取り、修理の手はずを次々と整えた。

ひとつずつ物が直るたびに、体のどこかに隠れていたストレスが、
個体から液体、液体から気体になって空中へと霧散し、気持ちが軽く
なっていった。

こうなることはわかっていたのだから、早くやればよかったのに・・と一応自分に
言い聞かせてはみるけれど、もうひとつ確かなことは「できないときはできない。」
面倒くさがりやの私が動くには、状況の危機感と自分の向上心がうまい具合にシンク
する必要がある。

切り替えコックを軽くひねれば、浄水が眩しいほどにやかんを満たし、魚を
食べたければ、魚グリルが自信あり気にすぐそこにスタンバイしてくれている。
支障なく家の中で動き回れると、主婦であることが楽しい。

おかしなことに、おくての私は、30年の結婚生活を経験した今になって、一番いい
お母さん、いい妻をしているような気がする。めちゃくちゃ遅すぎるというのはわか
っている。ただ物事を理解するのに、頭の悪い私は30年かかってしまったというだけだ。

若い時は、まだまだ血気盛んで、家族の気持ちや家族の状況に自分の気持ちを
心地よく沿わせることができなかったのだ。今になって自分が鼻息荒くしてきたこと
の数々を思い出しては、ため息をついてしまうことも多々あるけれど、過去はどうにも
変えられないので、現在(いま)を生きていくしかない。

30年近く家計簿をつけることができなかった私が、現代のテクノロジーの力を借りて
今順調につけ続けている。スマホのアプリ、「ReceReco」を使って。

買い物をする。レシートをスマホのカメラで撮影する。それだけであとはアプリが
映像を文字変換してくれて、支出を総計してくれる。自分で食費とか消耗品とか
に区分けすれば、月々のカテゴリーの支出を、一目瞭然の棒グラフで表してくれる。

家計簿を付けることができる奥さんになる夢が、30年の時を経てやっと実現した。

年を取るごとに、より「すっとして」「すっきりと」生きて行くことができる自信が、
ちょっぴりだけど顔をのぞかせた今日この頃です。




「あっ悪い、ハゲお願~い・・」
忘れなければ一日二回、これをだんなに向かって私は言う。

念のため、これは髪の毛薄めの彼のことをハゲ呼ばわりしているのではなくて、
医者から処方された薬を、私の頭にできた500円玉ハゲに塗ってくださいな・・
という意味に他ならない。

三面鏡のない我が家で、自分の手先と感覚だけを使って局部にピンポイントで薬を
塗るのは、なかなかむずかしい。

そんなわけで私は、毛づくろいされている猿のように、従順に下向き加減のポーズを
取り、首をほんの少しひねり、ダンナが作業しやすいように精一杯協力する。

わかりにくい場所に薬を塗ってもらう。手の届きにくいところに湿布を貼ってもらう。
なんてことないことだけれど、これは家族の基本なんじゃないかと思う。

人はひとたび家を出れば、多かれ少なかれ、なるべく他人に弱みをみせないように
がんばっているわけで、かくいう私も、周りの毛でハゲを覆って素知らぬ顔して
行動しているのだ。

弱みをさらけ出したり自分のみっともないところをあらわにできるのは、やはり
長年共に暮らしてきた家族に限る。ありがたいことだ。

それにしても私、ここのところ不運続きで、自分の体だけでなく、家の中のものが
いろいろと壊れ始めて止まらなくなった。

コーヒーメーカーのエスプレッソ カプチーノ部分・・これはもう20年も使っている
からしょうがないとして、一年半程前に変えてもらった水栓が調子悪くて、浄水と
水道水の切り替えに使うツマミがゆるくなってすぐにポトンと落ちてしまう。

数日前に魚グリルがスタックして、どんなに頑張って引っ張っても動いてくれない。
車をこする。思い起こせば今年の元旦に、大切なカメラを落として破損させて以来、
降りかかるものを払いのけながら今日まで来た気がする。

降りかかる・・たって、私の不注意が大きな原因になっていることも多く、ただ
不運だと嘆く資格は私にはないことが辛いのだけれど。

そんなまとまりのない日々を送っている私の近くで、そのまんまの私を受け入れて
くれるのも、家族ならではだ。申し訳ない。

昨日、気分転換にドーナッツを作った。今ドーナッツがマイブーム。
先々週はねじりドーナッツを、昨日はリングドーナッツを作った。

自分で作るととっても軽くてさっぱりしていて美味しいので、3つくらいペロリと
簡単に平らげてしまう。やばい。

マイブームと言えば、今テレビ東京で金曜の夜中にやっている「リバースエッジ
大川端探偵事務社」とNHKの「夜の笑っちゃお」にはまっている。

リバースエッジは、私が大好きだった「まほろシリーズ」の大根仁さん脚本演出で、
心地よいゆるさと外れた感覚満載で、毎週楽しみにしている。
「笑っちゃお」は子供番組なのだけれど、お姉さんのキャラが、今まで経験したことの
ないようなおかしみのツボをやんわりと押してくれて、お姉さんを囲む周りの猫や
オナライダーとの会話が、みんながあるべきもの、と決めているラインから2、3本
ずれている感じで、これまた変に心地がいいのだ。

体もココロもすっかり疲れ果ててしまった私は、こんなふうにしてドーナッツを食べ、
不思議な番組をみて、なんとか生き延びています。























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