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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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5年振りに会っても何も変わらないということは、私達ずっとこのままなのでしょう。

昨日は、大学時代の先輩、クリちゃんのライブを観に、蒲田の「ぶらぶら」という
ライブハウスにいた。クリちゃんは、私が1年だった時すでに4年生という大先輩だ。
でもとっても親しみやすくて可愛くて、何よりも優しかった。
大学卒業後も一緒に旅行に行ったりして何かと一緒に遊んでいた。

クリちゃんは当時、もう一人の私の大好きな先輩あいちゃんと「アップルパイ」という
アコースティックギターのデュオを組んでいて、透明かつ美しいハーモニーで私達を
魅了してくれていた。

昨日のバンドの編成は、キーボードを弾きながら歌うクリちゃんと、パーカッション
とウクレレベースの3人で、クリちゃんの素晴らしさをより浮き彫りにしてくれるバンドだった。
クリちゃんのオリジナル曲も素敵で心地よく、ほんとうにいい時間を過ごさせてもらった。

私の一年先輩のイコさんとキーちゃんも客席にいて、帰りに4人で喫茶店に寄った。

この場所にはつらつらと書いてきたけれど、私のこの5年間はまさに悲しい出来事を挟む
年月だった。もちろんみんなそのことを知っている。

「わんこにも死なれて鬱になったのよ・・でもやっと最近薬から抜けられたの」
そういう私にキーちゃんが
「もう新しい犬は飼わないの?」と聞いた。

よく聞かれる質問だから答えはほとんど用意してあるようなもんだ。
「うん飼わない。今からじゃ私達先死んじゃうかもしれないし・・」

ところがね、今回は今までと違うことをふと感じて、そのことをそのまま素直に
言葉に出してみた。

「あのね、私の心には大きな穴が二つあいているの。埋めることのできない位の大きな
穴がね。でもね、辛いけどね、その穴を何かでふさごうとはせずに穴のままがらんと
させておこうと思うの。何かでごまかしたりせずに、その空洞と向き合っていくつもり。
なので私は大きな穴を抱えたまま、死ぬまで生きて行きます!」

後半おちゃらけて言ったので、イコさんとキーちゃんはちょっと切なそうな顔をしなが
らも、笑ってくれた。

人にしゃべるっていいなって思う。なんか覚悟ができた気がする。
そうよ私は満身創痍の女。

それでもその心の大きな穴に、時々風を通してあげようと思う。
季節ごとの風を・・今だったら満開の桜を揺らし、花びらと共にやわらかい曲線を描く
そよ風を。

今日尾根を歩いて、ずっと楽しみにしていた桜スポットにたどり着き、写真をたくさん
撮って来た。


そう言えばクリちゃんのオリジナル曲や他のバンドの歌の歌詞で、私の心に残っている
フレーズがある。

「すれ違いの日々・・分かち合いの日まで」

「時間も場所もない 待ち合わせ」

この世界の中の二人は、果たして会えるのだろうか?








 朝ご飯のおかずに ベーコン、ブロッコリー、生トマトを入れたスクランブルエッグを
作った。

ヴィジュアル的にも 赤いトマトと黄色い卵のコントラストも美しく・・・ブロッコリーの緑も
加わって。酸味がアクセントになる大好きな取り合わせの一つだ。

バターを塗ったトーストの上にサニーレタス、その上にスクランブルエッグをたっぷり載せて
勢いよくかぶりつく。次に起こりそうなことを考慮するよりも、食欲が勝ってしまった。

結果 「ホロホロ」とした卵が「ボロボロ」とテーブルや床に無様に散らばった。

年を取る ってこういうことみたいね。
こういう無様な場面が年と共に一気に増えるってことだ。
スマートな顔なんかとてもじゃないけどしてられない。

高校時代の友人達との会話中に出た「ね、最近むせやすくない?」という質問に、
みんなが全面的な共感の表情で目を丸くして 深く激しく何度もうなづいた。

自分の唾でも時々むせるもん・・とえっちゃんが加えてボソッと言った。

最後に円陣を組むかのごとく「ねー、助け合っていこうね・・」と私たちは絆をより強く
固めた。

バレエやヨガ等、筋肉を使うことをずっとやってきているので、自分の筋肉の変化という
のも痛感してきた。

脳からの指令で筋肉が動くまでの時間が間延びしていること、急な強い動きに耐えきれず、
大きな筋肉を痛めやすいこと、時として自分の筋肉が頼りなく不安になること・・等、
若い時の筋肉とは全然違う。

若い時はマルチタスキングが得意だった。
忙しい中、一度に色んなことを同時進行して効率よく仕事や物事をテキパキと片づけていた。

今はというと、一つのことを丁寧にやるしかない。その方が逆に効率的だからだ。

ネガティブな状況で大きく変われたことは、この「丁寧さ」だ。
相手が物でも人間でも優しく丁寧に接したい、という強い思いだ。

自分の視野の中に自然と「死」が存在する。
そこまでの丁寧な毎日しか私にはない。

だから、あまり好きじゃなかった掃除が今は結構楽しい。
物のメンテナンスに時間を割く。
拭く 磨くという行為が、部屋の明るさを一段も二段明るくしてくれることを知った。

着古した下着やTシャツを捨てずに、15㎝四方に切り刻んで、かごにストックしてある。
その端切れを手にしては何でも磨く。
食器棚の扉のガラス、ガスレンジ、明り取りの窓のサッシ・・なんでも磨く。

「ゴシゴシ」「キュッキュッ」「ツルツル」「ピカピカ」

前回のオノマトペの続き。私の日常のオノマトペだ。

食器に対する愛情も半端ない。

先日ヴィムヴェンダース監督、役所さん主演の映画 「PERFECT DAYS」を劇場に
観に行った。

私はいたく感動して、自分と平山さんの似通った部分を大切に引っ張り上げて、それを
気持ちよく自分の中に展開させていった。

もちろんトイレ掃除が大好きになったのは言うまでもない。

さて、トイレ掃除に一生懸命な私にだれかが聞いたとする。
「あなたは若いころに戻りたいですか?」と。

戻りたくない。今でいいです。

どんなことでも ちゃんと向き合うっていい気持ちです。








「半年続ければ脳内の神経回路の良好状態が定着して、再発する可能性は極端に少ないです。」 心療内科の先生が、私に処方している抗鬱剤の利点をこんな風に説明してくれていた。

だから途中で元気になってはいたけれど、半年は続けなきゃと、私は律儀に薬を飲み続けた。
二月に入り、晴れてその半年が過ぎ去ったこととなり、先生の承諾を得て薬を止めた。

薬をやめた後に出るかもしれない後遺症の説明も受けていたけど、そんなの大したことないだ ろう、と高をくくっていたのだ。

この2週間、飲み続けていた薬が身体から抜けるのに、私は七転八倒していた。 自律神経に影響したのか、絶えず眩暈が私を襲い、うつろな目をしてふらふらゆらゆらの中で やっとこさ生きていた。

つわりのような吐き気に苦しみながらも、本当のつわりみたいに酸っぱいものだけは食べたくて、今回柑橘類には大いに助けられた。

ミカン 伊予柑 デコポン 甘夏 等々、今の時期、ありがたいことに柑橘系の種類は豊富だ。

そして私の大好きな「レモン」もこの時期我が家にはたくさんあった。
ヨガクラスの生徒さんのお庭で、枝がしなるくらいに実がなっている「憧れのレモンの木」で、「レモン狩り」をさせてもらったからだ。

もっとどうぞ もっとどうぞ・・という生徒さんの言葉にのせられて、私は興奮気味に、 眩しく輝くレモンイエローの果実を続けざまにもぎ取り、袋一杯いただいて来た。

吐き気を感じながらも蜂蜜レモンなら飲める。
どんなに眩暈がしててもレモンケーキなら作れるし食べれる。

というわけで、私はレモンの香りに包まれて暮らしていたのだ。

山積みのレモンを前に微笑みながら、私はレモンケーキ屋さんになったのかと思うくらい 来る日も来る日もレモンケーキを焼き、ヨガの生徒さんや友人、ピアノの先生にまでおすそ分け して喜んでもらった。

このレモンケーキ、レモンの果汁だけでなく大量の皮も使うので、酸っぱくてほろ苦くて 甘くて・・とにかくお気に入りです。
皮はもちろん無農薬だから安心です。

まだレモン5個くらい残っているから、レモンジャム 作ろうかなって思ってる。
レモンジャムってなかなかお目にかからないよね。 いいよね。

まだ時々クラクラってするときあるけど、薬から大部抜け出れた気がする。
なんか中毒患者の手記みたい。

鬱になったり、薬を飲んでコントロールされたり、薬をやめて苦しんだり・・ この半年、否が応でも身体と心に向き合ってきた。

どんな状態でもヨガクラスは続けていたので、相まって、すごく深みにはまった経験を したと思う。それがいいのか悪いのかはわからないけど、すごく自分に対して前よりも 客観的です。

なんか色々書きたいこと山ほどあるけど、見たいテレビがもうすぐ始まる。

そうだ、私の好きなオノマトペについて書きたかったんだ。

なんてことないんだけどね、生徒さんにどんなシャンプー使ってるの?って聞かれて、 最近石鹸シャンプー使ってるって答えたら、その生徒さんが、
「石鹸シャンプーってキシキシしませんか?」って。
で、私も「キシキシするよー」って。

キシキシ ってほんと石鹸シャンプーのときしか使わないんじゃないか!って感動したって話。 それだけなの。 あーいついまてーん。 

他に サクサク とか ふがふが とかも好きだけどね。

あ、始まっちゃった。
テレビ見よう。

このブログページを訪れたのは何か月ぶりだろう?

愛犬ハルが、私の腕の中で最後に息を引取ったのが4月の30日だから、 5か月ぶりということになる。

昨日、元バンド仲間のKenから、
「遅ればせながら謹んでハルちゃんのご冥福をお祈り申し上げます。」 というラインをもらって、時々ブログを見てくれてるのかもしれないな、と気づき、心配して下さってる方が一人でもいるのなら、現状だけでもお知らせしておこうと思ったのです。

さかのぼること3年前、娘が亡くなった時に、私はハルに顔をうずめてはよく泣いていた。
ハルはわかってかわかってないのか、私の悲しみを吸い取ってくれるかのように、私が泣き止むのをただじっと待ち、時々私の涙をペロペロと舐めたりしてくれていた。

私が当時精神的に壊れなかったのは、ハルが毎日私の傍にいてくれたからで、ハルのおかげで
何とか日々を過ごして来れたのだ。

そしてこの度ハルが亡くなると・・・ハルを失った悲しみばかりか、3年前の大きな悲しみ
までも 振りかぶり、私のもとに押し寄せて来てしまった。

あ、私、壊れたかもしれない・・ある時ふっと感じた。
そしてすぐに心療内科を訪れ、抗うつ剤を処方してもらった。
薬を飲むと、眠くなりがちで、自分に合う薬や量を調整するのに ひと月かかった。

そして今なお お薬服用中の私です。
なんかね、今の状態はちょっと自分が外側から作られてる感覚がある。操られているような。

薬が脳のホルモンや神経伝達に大きく作用してくれて今の私があるのなら、これは本当の私な
のだろうか?

ハルが闘病してる頃に、アメリカの友達、カーラから連絡が入り、9月末から10月初めに
日本に旅行に来ること を知る。

私はカーラに会える喜びと同時に 大きな心配にさいなまれた。
自分の状態が、人を迎え入れるに十分なキャパがあるだろうか・・という心配だ。

私は自分の当面の目標を、カーラと過ごす日々を元気に楽しいものにするために、自分の体力
や精神を安定させることのみに絞りこんだ。

そして日々は過ぎ去り、その日がやって来た。
実際 カーラ達との日々は夢のようだった。

一日、一万五千歩 以上歩いた。英語もいっぱい喋った。 そして何よりもたくさん笑った。

そして彼女たちの日本滞在10日間はあっという間に過ぎ去り、彼女たちと行った 京都旅行
から帰って来たばかりです。

カーラが言った。「私たちとのこの旅行が、チエコの生活のリズムやペースを変えるきっかけ
になってくれるといいな。」
すごいな。カーラは私のことを、本当にわかってくれてるなって思う。

無理じゃないかとさえ思った今回の旅行で、確かに私の中の何かが 大きく変わった。
できないかもしれない、と自信がなかったことができて、しかも楽しく終わったからだ。

カーラがさらに言ってくれた。
「次はチエコがアメリカにおいで。家に好きなだけ泊まればいい。来年くらいに。 約束だよ。
本気だからね。」

枯れていた私の欲望にほんのり灯りがともった。
来年、カーラの所に行こうかな。

カーラとの馴れ初めは、私が大学生の最後の春休みに一か月間ホームステイした時の英語の先生だった。40年以上経ってもこうして再会を喜び合えるなんて、こんな素晴らしことってなか
なかない。

ダンナも9月末に退職して、私たちの年金高齢者生活が始まりました。
のんびりと 行きます。




 






トイレに座っている目の前の扉を締め切らずに ほんの少しだけ開けておく。
私は用を足しながらその隙間を見つめる。

予測通りのタイミングで、ハルのマズルがニョキリと現れてドアを押し開き、ハルがトイレに
するりと器用に入って来る。

私は用をたしながら、ハルの耳周りや胴体を両掌でわしゅわしゅと撫でまわす。
ハル君来てくれたの~・・ママおしっこしてるんだよ・・それなのに来てくれたの~?

たぶんこれってかなり変わっている行いだってわかってる。 
でも私とハルの間では、お決まり事だった。


29日の明け方3時半頃、ハルは私の腕の中で息を引取った。

ハルが病気になって以来、色んな場面でたくさん泣いてきたけれど、トイレに座っていたら
ふとした拍子に大きな悲しみがドーンと襲って来て、私は用をたしながらしみじみ泣いた。

ハルはもう二度とあの隙間から現れてはくれないんだ。

便座の上でしばらく泣いた私は、カラカラッとトイレットペーパーを引きちぎって、涙を拭き、
鼻をかんだ。


喜 怒 哀 楽 の 怒 以外の三方向で、こんなにも私を揺さぶることができるのは、ハル
だけだ。

煩わしさ や 面倒くささ が幸せの裏返しであることを教えてくれたのも、子供達、そして
ハルだ。

火葬してもらう前に、小さなかごに入ったハルの身体の上に花を散らばせた。
ハルへの思いをつづった手紙もそのかごの中に入れさせてもらった。

その手紙をここに残しておきたいと思う。
ただ思いのままを文にしただけのもの。とても稚拙で感情的な文章だけど、残しておきたい。

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 ハル、宇宙一可愛いハル。心から愛しているよ。
大好きだよ。どうしてそんなに可愛いの? 好き好きだよ。
正確には・・ちゅきちゅき・・だね。

いつもママの傍にいてくれて、ハルにはありがとうしかない。
楽しい時も悲しい時も、パパと喧嘩して怒っている時も、みーくんが思春期で大変だった時も、
さきちゃんが亡くなった時も。本当にいつも一緒にいてくれたね。

どんな時でもハルを抱っこすれば、脳みその中に幸せホルモンが流れ出して心底癒されました。
ハルがいなければママはちゃんと生きてこられなかったと思う。
ハルのくれた愛が、可愛さが、あなたの存在そのものが私の救いでした。

お茶目でくりくりとしたその目で見つめられると、何でも赦せる気がした。

私の太ももやお腹に乗って眠ってくれた時のあなたの小さな重み。
私はそれを愛そのものの重さだと思ってました。

ハルの姿がなくなっても、それら全てをけっして忘れません。

今だって 腕でわっかを作ると そこにハルがいる。
思うだけで そばに 君を 感じるよ。

そうだよ、言ったでしょ?
ずっとずっと一緒だって。

形 とか 存在 とかはるか大きく超えたところで、ハル、君と繋がっている。
だからずっと一緒なんだ。

でも早希ちゃんの所には行ってあげてね。
ずっと待っていてくれたんだもの。

小さい時はべたべたしながら過ごしていても、子供たちは小学校高学年位から少しずつ遠くに
離れて行くような気がしてた。

でもハルとはずっとベタベタで、毎日何回もキスしてハグして抱きしめて・・夢のような世界
でした。ハルが老犬になってもなお、最後までべったり愛情まみれで過ごせたこと・・
こんな宝物みたいなことって他にあるかしら?

君を失った悲しみは大きく深いけれど、その悲しみは大きく深い愛情がくるりとひっくり返った
だけなんだと思う。だから私は今、大きく深い愛情に涙してます。

ずっと一緒 って約束したものね。
ママはハルと一緒に生きて行くよ。

ママの命が尽きる時、早希ちゃんと一緒に迎えに来てね。

それまでハルにもらった 愛 を私の中で大きく育てて、より愛情深い人間になりたいです。
ハル、見ててね。

大好きだよ、ハル。
かわいい。
宇宙一愛してる。

ママは、あなたに出会えたから 大きな愛を知りました。
ちゃんと生きて行くことが、あなたへの呼びかけになると思って生きて行きます。

ハル、愛してる。
ありがとう。           ママより













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