日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
前回のスピーチ原稿の続きです。
ブータンは、最終的に 人々の幸福量を増やすことを
目標とする政策を採っている。
経済発展さえも、最終目標である人々の幸せを
成し遂げるためのひとつの道具に過ぎないのである。
であるから、経済発展によって自然環境や伝統文化が脅かさ
れるのであれば、そんな経済発展は認められない。
つまり ブータン人は、もっと大切であると信じているもの
のために、自らの利益を手放す心の用意がある。
続く
Bhutan takes policies that ultimately aim at increasing
the happiness of people.
Professor pointed out that in Bhutan the development of
economy has been positioned as one of tools to achieve
people's happiness.
Therefore they don't accept them if natural environment
or traditional culture should be threatened.
More precisely, they are ready to give up their own
benefits for what they believe is more important.
To be continued...
ブータンは、最終的に 人々の幸福量を増やすことを
目標とする政策を採っている。
経済発展さえも、最終目標である人々の幸せを
成し遂げるためのひとつの道具に過ぎないのである。
であるから、経済発展によって自然環境や伝統文化が脅かさ
れるのであれば、そんな経済発展は認められない。
つまり ブータン人は、もっと大切であると信じているもの
のために、自らの利益を手放す心の用意がある。
続く
Bhutan takes policies that ultimately aim at increasing
the happiness of people.
Professor pointed out that in Bhutan the development of
economy has been positioned as one of tools to achieve
people's happiness.
Therefore they don't accept them if natural environment
or traditional culture should be threatened.
More precisely, they are ready to give up their own
benefits for what they believe is more important.
To be continued...
ご飯を食べる。味がする。おいしい。
この感覚が戻ってくれただけでも、生きるに値すると思える。
インフルとタミフルに苦しめられた私は、その数週間の、非人間
的無感覚から無事によみがえり、今、その極端な格差経験の記憶
によって、すべてのことに対してありがたいと思える心境に至っ
ている。
もちろんこれが長く続くはずはないこともわかっているけれど、
この精神状態はなかなかいい感じ。
外からの刺激に対し、何かを感じることができるというのは、
素晴らしいことだ。それが怒りでも悲しみでも、である。
あの無感覚の大きな殻に閉じ込められ、もしもこのままこれが
続くのであれば、私は生き続けることは無理かもしれないと
思ってしまった。
お茶碗洗っていても楽しい、なんて、ありえないこと。
でも汚れた食器がきれいになっていくのを見ていると
心がうきうきしてくるのだ。
私、もしかして躁病?
でも、人に向かって喋り捲るとか何かを発信したい、
という気持ちは不思議なことに以前よりも落ちているかも
しれない。
現に このブログ更新も一週間ぶりだし。
気持ちが穏やかでいられて、人に優しい気持ちを持てる
余裕があるとき、私は 自分が幸せ と思える。
今は、だから幸せ。
そうだ、ずいぶん前に「続く」・・と書きながら続いて
いない、ブータン王国の幸せについてのスピーチの続きを
後でアップします。
この感覚が戻ってくれただけでも、生きるに値すると思える。
インフルとタミフルに苦しめられた私は、その数週間の、非人間
的無感覚から無事によみがえり、今、その極端な格差経験の記憶
によって、すべてのことに対してありがたいと思える心境に至っ
ている。
もちろんこれが長く続くはずはないこともわかっているけれど、
この精神状態はなかなかいい感じ。
外からの刺激に対し、何かを感じることができるというのは、
素晴らしいことだ。それが怒りでも悲しみでも、である。
あの無感覚の大きな殻に閉じ込められ、もしもこのままこれが
続くのであれば、私は生き続けることは無理かもしれないと
思ってしまった。
お茶碗洗っていても楽しい、なんて、ありえないこと。
でも汚れた食器がきれいになっていくのを見ていると
心がうきうきしてくるのだ。
私、もしかして躁病?
でも、人に向かって喋り捲るとか何かを発信したい、
という気持ちは不思議なことに以前よりも落ちているかも
しれない。
現に このブログ更新も一週間ぶりだし。
気持ちが穏やかでいられて、人に優しい気持ちを持てる
余裕があるとき、私は 自分が幸せ と思える。
今は、だから幸せ。
そうだ、ずいぶん前に「続く」・・と書きながら続いて
いない、ブータン王国の幸せについてのスピーチの続きを
後でアップします。
気がついたら味覚がなくなっていた。
20年振りにインフルエンザにかかり、その忘れていた
辛さに驚く。
できることは、タミフルを服用してひたすら
寝るだけ。ただ、一度に長く寝続けることはできない。
苦しくて何度も目覚めるからだ。
病院で薬を渡されるとき、「10代の人たちの異常行動と
タミフルの因果関係」に触れたものが、50代の私にも
ひとつの注意書きとして渡された。
ふうふう言いながらふとんにうずくまっている私に、
マンションの6階から飛び降りたい衝動・・を発する
ような元気は、ありがたいことに、私にはかけらも
なかった。
異常行動の熟年バージョンとでもいえるのだろうか、
私の五感はひとつまたひとつと役目を投げ出し始め、
何も感じない私は、自分の中に引きこもっていった。
味覚を失うということは、ともに嗅覚も失っていた。
視覚と聴覚は生物学的にはちゃんと生きているようなの
だが、何を見ても何を聞いても、絶縁体がどーんと周りに
あり、すべての事柄が、奥の自分に届くのを大きく阻んでいた。
昨日3月11日、特別番組を見ていたら、石のような私の心に、
ミミズのゼンドウ運動みたいなわずかな動きを わずかながら
感じることができた。
3月12日。
生温かい胎盤とともに、私も今日から生まれ変わります。
20年振りにインフルエンザにかかり、その忘れていた
辛さに驚く。
できることは、タミフルを服用してひたすら
寝るだけ。ただ、一度に長く寝続けることはできない。
苦しくて何度も目覚めるからだ。
病院で薬を渡されるとき、「10代の人たちの異常行動と
タミフルの因果関係」に触れたものが、50代の私にも
ひとつの注意書きとして渡された。
ふうふう言いながらふとんにうずくまっている私に、
マンションの6階から飛び降りたい衝動・・を発する
ような元気は、ありがたいことに、私にはかけらも
なかった。
異常行動の熟年バージョンとでもいえるのだろうか、
私の五感はひとつまたひとつと役目を投げ出し始め、
何も感じない私は、自分の中に引きこもっていった。
味覚を失うということは、ともに嗅覚も失っていた。
視覚と聴覚は生物学的にはちゃんと生きているようなの
だが、何を見ても何を聞いても、絶縁体がどーんと周りに
あり、すべての事柄が、奥の自分に届くのを大きく阻んでいた。
昨日3月11日、特別番組を見ていたら、石のような私の心に、
ミミズのゼンドウ運動みたいなわずかな動きを わずかながら
感じることができた。
3月12日。
生温かい胎盤とともに、私も今日から生まれ変わります。
私の母、貴美さんが亡くなってから、今日で10日が経った。
周りの方々からお悔やみのお言葉をいただいて、そのお返事を
する時に、
「母の身体はなくなってしまいましたが、より身近に母を感じ、
いつも私を見守ってくれている気がします。
ですから、悲しみ・・というよりも、温かさのなかに、今私は
います。」
というようなことを書いてきた。
よくありがちな文句に聞こえるかもしれないが、私の心境を
かなり正確に表している。
私の中に、ある確固たる思いがあるのだ。
身体から解放された母の魂は、脳の障害からも解放されて、
再び記憶を取り戻し、以前の母に戻っているのではないかと
信じたいのだ。そして、私のそばにいてくれていると。
私を娘だとわからなくなったその時に、私は母を一度
失った。
母を二度亡くし、今一度大きく私のもとに 取り戻したのだ。
悲しみの中、着々と葬儀の準備を整えながらも、「今」という時代を
痛感させられることがらを経験した。
お経をお願いする御住職を探すのに、非常識と言われるかもしれないが、
私は 「お坊さん.com」を通して、素晴らしいお坊様にお会いすることが
できたのだ。
出会いは、軽々しいネットでも、一期一会の出会いにはなんら変わりなく、
このご縁を大切に思い、49日にも来て頂くこととなった。
お位牌もネットで探した。
白木の位牌をデジカメで撮って、メールに添付して、情報を送った。
あちらからのメールで、今日にも作業に取り掛かかる予定です。と
テンポのいい反応が返ってきた。
省略してはいけないしきたりを、思い切り省略している感があるのだが、
もともと決まりどおりに動くことの苦手な私は、自分の取った非常識
とも言える行動に、正直スッキリ感を感じているのだ。
貴美さんは、こんな私を眺めながら、苦笑いしているのかもしれないね。
周りの方々からお悔やみのお言葉をいただいて、そのお返事を
する時に、
「母の身体はなくなってしまいましたが、より身近に母を感じ、
いつも私を見守ってくれている気がします。
ですから、悲しみ・・というよりも、温かさのなかに、今私は
います。」
というようなことを書いてきた。
よくありがちな文句に聞こえるかもしれないが、私の心境を
かなり正確に表している。
私の中に、ある確固たる思いがあるのだ。
身体から解放された母の魂は、脳の障害からも解放されて、
再び記憶を取り戻し、以前の母に戻っているのではないかと
信じたいのだ。そして、私のそばにいてくれていると。
私を娘だとわからなくなったその時に、私は母を一度
失った。
母を二度亡くし、今一度大きく私のもとに 取り戻したのだ。
悲しみの中、着々と葬儀の準備を整えながらも、「今」という時代を
痛感させられることがらを経験した。
お経をお願いする御住職を探すのに、非常識と言われるかもしれないが、
私は 「お坊さん.com」を通して、素晴らしいお坊様にお会いすることが
できたのだ。
出会いは、軽々しいネットでも、一期一会の出会いにはなんら変わりなく、
このご縁を大切に思い、49日にも来て頂くこととなった。
お位牌もネットで探した。
白木の位牌をデジカメで撮って、メールに添付して、情報を送った。
あちらからのメールで、今日にも作業に取り掛かかる予定です。と
テンポのいい反応が返ってきた。
省略してはいけないしきたりを、思い切り省略している感があるのだが、
もともと決まりどおりに動くことの苦手な私は、自分の取った非常識
とも言える行動に、正直スッキリ感を感じているのだ。
貴美さんは、こんな私を眺めながら、苦笑いしているのかもしれないね。
三日間、ひとつの物を求めてひたらすら探し続けた。
家中の引き出しをひとつ引っ張り出しては、物と物の間、紙と紙の間、
あらゆる隙間を確かめていった。
私が愛して止まない「母の極上の笑顔」を求めて、ある一枚の写真
を探していたのだ。
月曜日の朝、母が急死してから、葬儀の段取りやグループホームの
後片付けで、悲しむ余裕もないほど、事務的にことを進めていた。
葬儀のお世話人から、御遺影の写真を・・。と言われて、あの写真しか
ない。とすぐに思った。
認知症を長年患い、だんだんと表情の出にくくなる状況で、5~6年
ほど前に、奇跡的な笑顔をカメラにおさめることが出来た。
うれしくて、長い間メモスタンドにはさみ、私のライティング
ビューローの上に置いていた。
それをだいぶ前に大掃除をするときにしまいこんで、行方知れずに
なっていたのだ。
食べる 寝る お風呂に入る トイレに行く それ以外は、ずっと
探し続けて、三日目。
ほとんどあきらめかけて憔悴し、動作も緩慢になっていた。
残るところ 後二つの引き出しを開けたら、娘の成人式の小さな
アルバムが出てきた。
一枚一枚めくると、娘の写真だけではなく、何気なく撮った家族写真、
私のバレエの写真などが現れた。
はやる気持ちを抑えながら、数回ページをめくったそのとき、
貴美さんの、桜が開花したような、満面の笑顔に、再び出会えた。
昨日お通夜で、大量のお花に囲まれて、貴美さんが笑っていた。
お花が大好きだった貴美さんが、お花に囲まれて笑っていた。
お棺の中に、貴美さんが生前に愛着を持っていた お人形などをいれさせて
もらった。
貴美さんのお誕生日に届けようと、前から用意して、とうとう渡せなかった
ベストと下着を貴美さんのお胸のうえに置かせてもらった。
貴美さんが、荼毘にふされる本日。
偶然にも、88回目のお誕生日だったのです。







家中の引き出しをひとつ引っ張り出しては、物と物の間、紙と紙の間、
あらゆる隙間を確かめていった。
私が愛して止まない「母の極上の笑顔」を求めて、ある一枚の写真
を探していたのだ。
月曜日の朝、母が急死してから、葬儀の段取りやグループホームの
後片付けで、悲しむ余裕もないほど、事務的にことを進めていた。
葬儀のお世話人から、御遺影の写真を・・。と言われて、あの写真しか
ない。とすぐに思った。
認知症を長年患い、だんだんと表情の出にくくなる状況で、5~6年
ほど前に、奇跡的な笑顔をカメラにおさめることが出来た。
うれしくて、長い間メモスタンドにはさみ、私のライティング
ビューローの上に置いていた。
それをだいぶ前に大掃除をするときにしまいこんで、行方知れずに
なっていたのだ。
食べる 寝る お風呂に入る トイレに行く それ以外は、ずっと
探し続けて、三日目。
ほとんどあきらめかけて憔悴し、動作も緩慢になっていた。
残るところ 後二つの引き出しを開けたら、娘の成人式の小さな
アルバムが出てきた。
一枚一枚めくると、娘の写真だけではなく、何気なく撮った家族写真、
私のバレエの写真などが現れた。
はやる気持ちを抑えながら、数回ページをめくったそのとき、
貴美さんの、桜が開花したような、満面の笑顔に、再び出会えた。
昨日お通夜で、大量のお花に囲まれて、貴美さんが笑っていた。
お花が大好きだった貴美さんが、お花に囲まれて笑っていた。
お棺の中に、貴美さんが生前に愛着を持っていた お人形などをいれさせて
もらった。
貴美さんのお誕生日に届けようと、前から用意して、とうとう渡せなかった
ベストと下着を貴美さんのお胸のうえに置かせてもらった。
貴美さんが、荼毘にふされる本日。
偶然にも、88回目のお誕生日だったのです。
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