日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
自分に似合わない言葉のひとつ、「バカンス」・・らしきものを
過ごした一週間だった。
もったいぶった言い方でなく、私なりに言い換えれば、単なる
休暇 温泉旅行ということなのだけれど。
個人的に、休暇と呼べる日々が構成するものを挙げてみると・・・
これしなきゃ あれしなきゃ、という日常の雑事から完璧離れ、
緊張を解いてゆっくりと体を休める。
ハルといちゃいちゃする。
好きな本を読む。
おいしいものを食べ 温泉に浸かり きれいな空気もたらふく
吸いこむ。
密度の濃い自然に、体も心もすっかり預けて、好きなだけ
ぼんやりする。そのまま眠たくなったらうとうとしたり、ほんとに
眠っちゃったりする。
ふと目覚めては、今度はテレビ画面を前にして、オリンピックの
観衆の中に溶け込み、握りこぶしに力を入れて声援を送る。
楽しみのオリンピックはまだまだ続くけれど、私の休暇はもう
ほとんど終わり。
家に帰り、少し生き返った気がする今、日常に戻ったとしても、
元気で働き者の自分バージョンで 日常を送れるかもしれない・・
と、ちょっと希望を持ったりしているところだ。




















過ごした一週間だった。
もったいぶった言い方でなく、私なりに言い換えれば、単なる
休暇 温泉旅行ということなのだけれど。
個人的に、休暇と呼べる日々が構成するものを挙げてみると・・・
これしなきゃ あれしなきゃ、という日常の雑事から完璧離れ、
緊張を解いてゆっくりと体を休める。
ハルといちゃいちゃする。
好きな本を読む。
おいしいものを食べ 温泉に浸かり きれいな空気もたらふく
吸いこむ。
密度の濃い自然に、体も心もすっかり預けて、好きなだけ
ぼんやりする。そのまま眠たくなったらうとうとしたり、ほんとに
眠っちゃったりする。
ふと目覚めては、今度はテレビ画面を前にして、オリンピックの
観衆の中に溶け込み、握りこぶしに力を入れて声援を送る。
楽しみのオリンピックはまだまだ続くけれど、私の休暇はもう
ほとんど終わり。
家に帰り、少し生き返った気がする今、日常に戻ったとしても、
元気で働き者の自分バージョンで 日常を送れるかもしれない・・
と、ちょっと希望を持ったりしているところだ。
一見プレーンなチョコレートケーキ。
油断して庖丁入れたら さあ大変!
何しろ断面がすごいのだ。
予想だにしない、”市松模様” が、
突然目の前に現れるのだから。
バレエの友達、ハトちゃんが、この暑い中、
我が家まで遊びに来てくれた。
ハトちゃんは看護婦さん。
日勤 夜勤 准夜勤。
過酷なスケジュールを日々の生活で繰り返しながら、
その合間にバレエに通うスーパーレディー。
そして そのまた合間の、わずかな隙間で、
とてつもなく手のこんだケーキを作っては、
おみやげに持って来たりするのだ。
単純な疑問。 いつ寝てるの? ハトちゃん。
お昼ごはんに作った、’ カシューナッツペーストを隠し味にした ’
チキンカレーを、彼女がとても気に入ってくれたので、
レシピを手渡すと、
「ちえちゃんにも、今度このケーキのレシピ持って来るね・・」
と言う彼女に、「ありがとう。でも私、たぶん作んないと思う・・・。」
見ただけで どれだけ手間がかかるか単純計算し、
早々と結論に到達してしまった。
ハトちゃんの魅力は、彼女の自然な穏やかさである。
ある時 勤め先のお医者さんに言われたそうだ。
「ハトさんは、とても穏やかですね。
それは、どうしてなんですか?」
この質問・・すごいよね?
どうしてなんですか?って言われてもねえ。
医者のくせに面白いこと言うもんだ。
でもそう言いたくなる気持ちもよくわかる。
半世紀近く生きてきて、その間 数多くの避けられない修羅場も
くぐり抜けながら、医療現場に長年勤務して。
にもかかわらず、この ”純粋培養された後に、ぽいっと俗世に放り
出されたばかり” のようなフレッシュなハトちゃん っていったい・・
と、その医者は思ったに違いない。
私も思うけど、深くは考えない。
彼女が彼女であることに、深く感謝。
ハトちゃん、楽しい一日を、ありがとう。






油断して庖丁入れたら さあ大変!
何しろ断面がすごいのだ。
予想だにしない、”市松模様” が、
突然目の前に現れるのだから。
バレエの友達、ハトちゃんが、この暑い中、
我が家まで遊びに来てくれた。
ハトちゃんは看護婦さん。
日勤 夜勤 准夜勤。
過酷なスケジュールを日々の生活で繰り返しながら、
その合間にバレエに通うスーパーレディー。
そして そのまた合間の、わずかな隙間で、
とてつもなく手のこんだケーキを作っては、
おみやげに持って来たりするのだ。
単純な疑問。 いつ寝てるの? ハトちゃん。
お昼ごはんに作った、’ カシューナッツペーストを隠し味にした ’
チキンカレーを、彼女がとても気に入ってくれたので、
レシピを手渡すと、
「ちえちゃんにも、今度このケーキのレシピ持って来るね・・」
と言う彼女に、「ありがとう。でも私、たぶん作んないと思う・・・。」
見ただけで どれだけ手間がかかるか単純計算し、
早々と結論に到達してしまった。
ハトちゃんの魅力は、彼女の自然な穏やかさである。
ある時 勤め先のお医者さんに言われたそうだ。
「ハトさんは、とても穏やかですね。
それは、どうしてなんですか?」
この質問・・すごいよね?
どうしてなんですか?って言われてもねえ。
医者のくせに面白いこと言うもんだ。
でもそう言いたくなる気持ちもよくわかる。
半世紀近く生きてきて、その間 数多くの避けられない修羅場も
くぐり抜けながら、医療現場に長年勤務して。
にもかかわらず、この ”純粋培養された後に、ぽいっと俗世に放り
出されたばかり” のようなフレッシュなハトちゃん っていったい・・
と、その医者は思ったに違いない。
私も思うけど、深くは考えない。
彼女が彼女であることに、深く感謝。
ハトちゃん、楽しい一日を、ありがとう。
ひまわりが咲いているのを見ると、興奮する。
見方によっては グロテスクで派手派手しい あの突出した姿は、
確かに真夏の花だ。
草深い場所でも、頭ひとつ出し、ぎらぎらの太陽光線を、笑顔で
浴びる。
真ん中の、茶色い部分の大小で、ひまわりらしさが決まる。と思ってる。
私の中では、グロテスクでなければ「ひまわり」ではないのだ。
茶色い部分が圧倒的に大きくて、でこぼこともり上がっていたり
すれば、面と向かうのに勇気を要するほどの存在感だ。
夏の終わりと共に、一面に種をぎっしり抱え込む余力を思うと、
なかなかない しぶとい茶色に見えてきた。
ひまわりを後にして、ぶどう畑の横を通ると、収穫直前のぶとうが
ひと房ひと房 紙袋で覆われて垂れ下がっていた。
一粒一粒、ぷちんと取っては、甘がみし、滴る果汁も余すことなく
吸い絞る。 爪を葡萄色に染める、あの夏の夕暮れ。
夏のかけらがひとつずつ集まり始める。
省エネモードの私だけれど、今年も ちゃんと 夏の季節に迎え入れて
もらえるだろうか?










見方によっては グロテスクで派手派手しい あの突出した姿は、
確かに真夏の花だ。
草深い場所でも、頭ひとつ出し、ぎらぎらの太陽光線を、笑顔で
浴びる。
真ん中の、茶色い部分の大小で、ひまわりらしさが決まる。と思ってる。
私の中では、グロテスクでなければ「ひまわり」ではないのだ。
茶色い部分が圧倒的に大きくて、でこぼこともり上がっていたり
すれば、面と向かうのに勇気を要するほどの存在感だ。
夏の終わりと共に、一面に種をぎっしり抱え込む余力を思うと、
なかなかない しぶとい茶色に見えてきた。
ひまわりを後にして、ぶどう畑の横を通ると、収穫直前のぶとうが
ひと房ひと房 紙袋で覆われて垂れ下がっていた。
一粒一粒、ぷちんと取っては、甘がみし、滴る果汁も余すことなく
吸い絞る。 爪を葡萄色に染める、あの夏の夕暮れ。
夏のかけらがひとつずつ集まり始める。
省エネモードの私だけれど、今年も ちゃんと 夏の季節に迎え入れて
もらえるだろうか?
水曜日に書いていた、英語関連のブログを書かなくなってから
ずいぶん経ってしまった。
それに対する理由は、いくらでも探せるけど、無駄だからあえてしないの。
だから、これからも何かあるときは書くようにして、細々と続けていこうと
今思ってます。
英語へのアプローチを、お勉強としてずっと長年やってきてしまった私は、
遅ればせながら今になって、「カチカチの日本人英語から脱したい。」
という気持ちが強くなってきている。
で、どうするかというと、できるだけ英語圏の、しかも最近作られたドラマや
バラエティー番組を観るようにしている。(言葉は生き物なので、やっぱり
旬の言葉ってあるみたいなので。)
つい最近、あるドラマを観ていたら、誰もが知っている・・ほらあのルー大柴
さんの決まり文句で有名な 『together 』が、実に魅力的に使われている場面に
出くわした。
その主人公は、『togetherしようぜ!!』とはもちろん言わないのだが、
しばしば使われる 「一緒に」「協力して」のような副詞としてではなく、
「落ち着いた」「自分をコントロールした」それゆえ・・・「かっこいい」という
ような形容詞として、togetherをおしゃれに使っていたのだ。
そのせりふは・・・いつもクールでやり手で、隙のない女性上司が、恋人の
浮気に動揺し、仕事場での潔さは見るかげもなく、あられもない言葉
や姿を 主人公の前でさらした後、モノローグのようなかたちで主人公
の言葉として出てきたものだった。
A together woman like her can't keep together when it comes to Love.
ここでの 「when it comes to ~」は、本当に便利な表現で、「~のこととなると」
という表現で、when 以下の意味は、「恋愛のこととなると・・・」。
また、keep togetherは 、自分を保つ 冷静でいる というような意味で
使われているんだと思う。
つまり、
「彼女のような冷静で できる女性でさえも 事、恋愛になると、ぐちゃぐちゃに
なっちゃうんだね。」 という感じでしょうか?
together が、2回きれいに使われているのも ひきつけられた要因です。
でも、ルーさんの togetherしようよ!! も、なかなか奥深いしゃれた
言葉だと 思ってるのよ。
ずいぶん経ってしまった。
それに対する理由は、いくらでも探せるけど、無駄だからあえてしないの。
だから、これからも何かあるときは書くようにして、細々と続けていこうと
今思ってます。
英語へのアプローチを、お勉強としてずっと長年やってきてしまった私は、
遅ればせながら今になって、「カチカチの日本人英語から脱したい。」
という気持ちが強くなってきている。
で、どうするかというと、できるだけ英語圏の、しかも最近作られたドラマや
バラエティー番組を観るようにしている。(言葉は生き物なので、やっぱり
旬の言葉ってあるみたいなので。)
つい最近、あるドラマを観ていたら、誰もが知っている・・ほらあのルー大柴
さんの決まり文句で有名な 『together 』が、実に魅力的に使われている場面に
出くわした。
その主人公は、『togetherしようぜ!!』とはもちろん言わないのだが、
しばしば使われる 「一緒に」「協力して」のような副詞としてではなく、
「落ち着いた」「自分をコントロールした」それゆえ・・・「かっこいい」という
ような形容詞として、togetherをおしゃれに使っていたのだ。
そのせりふは・・・いつもクールでやり手で、隙のない女性上司が、恋人の
浮気に動揺し、仕事場での潔さは見るかげもなく、あられもない言葉
や姿を 主人公の前でさらした後、モノローグのようなかたちで主人公
の言葉として出てきたものだった。
A together woman like her can't keep together when it comes to Love.
ここでの 「when it comes to ~」は、本当に便利な表現で、「~のこととなると」
という表現で、when 以下の意味は、「恋愛のこととなると・・・」。
また、keep togetherは 、自分を保つ 冷静でいる というような意味で
使われているんだと思う。
つまり、
「彼女のような冷静で できる女性でさえも 事、恋愛になると、ぐちゃぐちゃに
なっちゃうんだね。」 という感じでしょうか?
together が、2回きれいに使われているのも ひきつけられた要因です。
でも、ルーさんの togetherしようよ!! も、なかなか奥深いしゃれた
言葉だと 思ってるのよ。
金曜日が忙しい。
久しぶりに 一人住まいしている息子が帰ってきた。
「健康だけには気をつけて、それで人に迷惑かけずに生きていてくれれば、
あとはお好きにどうぞ・・・。」というスタンスで、わりとあっさりと接している
つもりなのに、いざ顔をみると、バレエからピューンと帰宅して、お昼ご飯を
いそいそ作って、一緒に食べたりしているのだ。
日の傾く頃、先週に引き続き、電車に揺られて都心に向かった。
大学時代の同期を中心にした集まりに参加するために、渋谷に
向う。
満員電車並みの人混みのハチ公付近は、外気であるはずなのに閉塞感
いっぱいで、見知らぬ人の体温とすえた匂いにうんざりして、でも半歩ずつ、
じれながらスクランブル交差点に近づいていくしかなかった。
やっとこ目的地に着き、お馴染みの細い階段を軽快にかけあがると、
そこには 安心できる 顔 顔 がいた。
途端、いびつによじれていた感覚が、ふっとゆるんで温度を上げ、ビールと
つくね、手羽 も手伝って、にぎやかなおしゃべりに流れ込んでいった。
家でテレビを見たり映画みたりして過ごすのが、私の典型的な「金曜の夜」
なのだが、でも たまにはこういう金曜の夜も いいな。
久しぶりに 一人住まいしている息子が帰ってきた。
「健康だけには気をつけて、それで人に迷惑かけずに生きていてくれれば、
あとはお好きにどうぞ・・・。」というスタンスで、わりとあっさりと接している
つもりなのに、いざ顔をみると、バレエからピューンと帰宅して、お昼ご飯を
いそいそ作って、一緒に食べたりしているのだ。
日の傾く頃、先週に引き続き、電車に揺られて都心に向かった。
大学時代の同期を中心にした集まりに参加するために、渋谷に
向う。
満員電車並みの人混みのハチ公付近は、外気であるはずなのに閉塞感
いっぱいで、見知らぬ人の体温とすえた匂いにうんざりして、でも半歩ずつ、
じれながらスクランブル交差点に近づいていくしかなかった。
やっとこ目的地に着き、お馴染みの細い階段を軽快にかけあがると、
そこには 安心できる 顔 顔 がいた。
途端、いびつによじれていた感覚が、ふっとゆるんで温度を上げ、ビールと
つくね、手羽 も手伝って、にぎやかなおしゃべりに流れ込んでいった。
家でテレビを見たり映画みたりして過ごすのが、私の典型的な「金曜の夜」
なのだが、でも たまにはこういう金曜の夜も いいな。