日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
久しぶりの雨で、前のめりに進んでいた汗ばむ季節の到来にブレーキがかかる。
早足で歩いた散歩の後でも肌はサラサラで、どうかすると手のひらで二の腕
あたりをさすってしまうほどひんやりしていた。
車から見る雨の景色は嫌いじゃない。
通学途中の小学生が色とりどりの傘をさして歩いていた。
肩を寄せ合って歩くと傘が重なり合い、ひとかたまりのグループが紫陽花の花
のように見えた。
それにしても、つくづく見ると、「傘」の形はなぜあれほどまでに完璧なフォーム
をしているのだろう。「機能的でかつ美しい。」・・を代表していると思えるほど。
実は私はそんな傘にはまってしまって、気に入ったものを見つける度にためらわずに
買っていたら15本を超えてしまい、置き場にも困ることに気づき自粛した経験がある。
傘をたくさん持っていると、洋服に合わすことができる。
着ている洋服と傘が気持ちよくマッチすると、雨の日に歩くのもまったく苦で
なくなるから不思議だ。雨に唄ってしまいそうな、軽やかな気持ちになれるのだ。
腰の筋肉を痛めて、家に閉じこもっていた2週間に終りを告げて、今日久しぶりに
バレエの稽古に出かけた。先週の今日は、動くたびに「イタ、タ、タタ・・」と
言っていた。実に先がおもいやられることだわ、と思っていたのだけれど、この
一週間の回復ぶりは自分でも驚く程で、今日の稽古では殆ど違和感を感じること
なく時間が過ぎ去り、自分の身体にめちゃくちゃ感謝、である。
閉じこもりの2週間で再確認したことは、結局私は家にいることが本当に好きということ。
いろんな人に「どこにも出かけられないのよ」とか言って、文句混じりの表情を一応は
してみたのだけれど、そう言いながらかすかに頬のあたりが微笑んでしまっていた。
映画とかドラマが見放題の2週間無料トライアル「HULU」に申し込んで、家事の
合間にお目当てのドラマや映画を観たりもしていた。
とりあえず土日は少しゆっくりして、また来週からジムにも復帰しようと思う。
早足で歩いた散歩の後でも肌はサラサラで、どうかすると手のひらで二の腕
あたりをさすってしまうほどひんやりしていた。
車から見る雨の景色は嫌いじゃない。
通学途中の小学生が色とりどりの傘をさして歩いていた。
肩を寄せ合って歩くと傘が重なり合い、ひとかたまりのグループが紫陽花の花
のように見えた。
それにしても、つくづく見ると、「傘」の形はなぜあれほどまでに完璧なフォーム
をしているのだろう。「機能的でかつ美しい。」・・を代表していると思えるほど。
実は私はそんな傘にはまってしまって、気に入ったものを見つける度にためらわずに
買っていたら15本を超えてしまい、置き場にも困ることに気づき自粛した経験がある。
傘をたくさん持っていると、洋服に合わすことができる。
着ている洋服と傘が気持ちよくマッチすると、雨の日に歩くのもまったく苦で
なくなるから不思議だ。雨に唄ってしまいそうな、軽やかな気持ちになれるのだ。
腰の筋肉を痛めて、家に閉じこもっていた2週間に終りを告げて、今日久しぶりに
バレエの稽古に出かけた。先週の今日は、動くたびに「イタ、タ、タタ・・」と
言っていた。実に先がおもいやられることだわ、と思っていたのだけれど、この
一週間の回復ぶりは自分でも驚く程で、今日の稽古では殆ど違和感を感じること
なく時間が過ぎ去り、自分の身体にめちゃくちゃ感謝、である。
閉じこもりの2週間で再確認したことは、結局私は家にいることが本当に好きということ。
いろんな人に「どこにも出かけられないのよ」とか言って、文句混じりの表情を一応は
してみたのだけれど、そう言いながらかすかに頬のあたりが微笑んでしまっていた。
映画とかドラマが見放題の2週間無料トライアル「HULU」に申し込んで、家事の
合間にお目当てのドラマや映画を観たりもしていた。
とりあえず土日は少しゆっくりして、また来週からジムにも復帰しようと思う。
いつもの金曜日なら家を10時に出るので、ハルとの早朝散歩も早歩きが
普通。でも、先週骨盤周りの筋肉を痛め、バレエに行かないから今日は
何も焦る必要がない。
道端に咲いている薄紫色の花をしゃがんで(しゃがめなかったのに、もう
しゃがめるの・・回復早いかも。)楽しんだ後、老人施設の敷地内で
飼われているオウムの巨大な鳥かごに初めて近づいてみる。
オウムは警戒しているのか、鋭い爪で金網に張り付きながらも羽を大きく広げ、
こわばった表情で見下ろし威嚇する。コバルトブルーの羽とレモンイエローの
胴体のコントラストが、眩しいほどに美しい。
ハルはその圧倒的なエネルギーにすぐさま降参してしまい逃げ腰だ。
オウムさん怒らせて悪かったかな・・と、ハルに引っ張られるまますごすごと
その場を去ったら、後ろから聞きなれた声で「おはよー。」と、明るく言ってくれた。
今度は、道路を挟んで斜向かいにある亀の水槽を覗いてみる。
何十匹もいる亀が、石のように動かずにいた。
半数が水に沈んでいて半数が陸地に上がり甲羅干しをしていた。
私が顔を近づけると、目の前にいた亀が、掃除機のコードが機体に収まるような速さで、
ヒュンと頭を甲羅に吸い込んだ。
私、もしかしてウザイ存在になっているのね。とすぐに気づいて、肩をすくめて
その場を去る。
散歩道の中間あたりに、昔ながらの日本の家がある。
植木は端正に整えられ、玄関前はいつ見ても竹ぼうきで掃いたあとが見えそうな
ほどに清められている。
お庭が奥に見える。いつ見てもたくさんの洗濯物が干してあり、風に揺れていた。
時々麦わら帽子をかぶって真っ白な前掛けをしたご婦人が、洗濯物を
干されている最中に出くわすこともあった。
でも、昨日も今日も、物干し竿には洗濯物がひとつもなかった。
どうしたんだろう。喋ったことも視線を交わしたこともないのに、なぜだか
彼女のことが心配になる。
自分の干した洗濯物には何も感じることはないけれど、知らない家の洗濯物が
綺麗に干されていると、それだけで嬉しくなる。
生活がある。そこにある。人が毎日を営んでいる。そこに生きている。
洗濯物の風景が恋しい。
普通。でも、先週骨盤周りの筋肉を痛め、バレエに行かないから今日は
何も焦る必要がない。
道端に咲いている薄紫色の花をしゃがんで(しゃがめなかったのに、もう
しゃがめるの・・回復早いかも。)楽しんだ後、老人施設の敷地内で
飼われているオウムの巨大な鳥かごに初めて近づいてみる。
オウムは警戒しているのか、鋭い爪で金網に張り付きながらも羽を大きく広げ、
こわばった表情で見下ろし威嚇する。コバルトブルーの羽とレモンイエローの
胴体のコントラストが、眩しいほどに美しい。
ハルはその圧倒的なエネルギーにすぐさま降参してしまい逃げ腰だ。
オウムさん怒らせて悪かったかな・・と、ハルに引っ張られるまますごすごと
その場を去ったら、後ろから聞きなれた声で「おはよー。」と、明るく言ってくれた。
今度は、道路を挟んで斜向かいにある亀の水槽を覗いてみる。
何十匹もいる亀が、石のように動かずにいた。
半数が水に沈んでいて半数が陸地に上がり甲羅干しをしていた。
私が顔を近づけると、目の前にいた亀が、掃除機のコードが機体に収まるような速さで、
ヒュンと頭を甲羅に吸い込んだ。
私、もしかしてウザイ存在になっているのね。とすぐに気づいて、肩をすくめて
その場を去る。
散歩道の中間あたりに、昔ながらの日本の家がある。
植木は端正に整えられ、玄関前はいつ見ても竹ぼうきで掃いたあとが見えそうな
ほどに清められている。
お庭が奥に見える。いつ見てもたくさんの洗濯物が干してあり、風に揺れていた。
時々麦わら帽子をかぶって真っ白な前掛けをしたご婦人が、洗濯物を
干されている最中に出くわすこともあった。
でも、昨日も今日も、物干し竿には洗濯物がひとつもなかった。
どうしたんだろう。喋ったことも視線を交わしたこともないのに、なぜだか
彼女のことが心配になる。
自分の干した洗濯物には何も感じることはないけれど、知らない家の洗濯物が
綺麗に干されていると、それだけで嬉しくなる。
生活がある。そこにある。人が毎日を営んでいる。そこに生きている。
洗濯物の風景が恋しい。
唯一、筋肉にだけは自信があった。
丈夫な身体には程遠いけれど、自分の筋肉は柔らかくしなやかで、
だからこそ怪我も少ないと思い込んでいた。
それが金曜日、バレエのお稽古で踊りの練習をしているときに、骨盤周りの筋肉を
ひねってしまった。「フェッテ」という動きで、片脚を高く上げたまま、軸足のつま先
を45度ドリルのように回転させて体の向きをくるっと変えた時、鈍くて気味の悪い音を
聞いた気がした。
寝返りをうつ。ベッドから起き上がる。落ちたものを拾う。車の座席を移動する。
今ではこれら全てに痛さが伴い、その都度、ひっくり返って背中を地面に付けた昆虫のよう
に、手足をばたつかせてはひとつひとつの動きの完成形へとじわじわ近づけていくことが
やっとである。
毎朝の我が家の儀式とも言える、朝食の準備 駅へのお見送り ハルの散歩 だけは、
何とか終えると、ひとつ大きなため息をついて、あとは日がな一日家に閉じこもっている。
何かしても何もしなくてもあっという間に一日は終わる。
時間の経過が傷の癒しを促してくれるのだから。
覚悟を決めてだらだらと時間を過ごすのは、予想外に気楽なものだった。
桜もほとんど散ってしまった今、一週間前に撮った桜の写真を載せようと思う。



丈夫な身体には程遠いけれど、自分の筋肉は柔らかくしなやかで、
だからこそ怪我も少ないと思い込んでいた。
それが金曜日、バレエのお稽古で踊りの練習をしているときに、骨盤周りの筋肉を
ひねってしまった。「フェッテ」という動きで、片脚を高く上げたまま、軸足のつま先
を45度ドリルのように回転させて体の向きをくるっと変えた時、鈍くて気味の悪い音を
聞いた気がした。
寝返りをうつ。ベッドから起き上がる。落ちたものを拾う。車の座席を移動する。
今ではこれら全てに痛さが伴い、その都度、ひっくり返って背中を地面に付けた昆虫のよう
に、手足をばたつかせてはひとつひとつの動きの完成形へとじわじわ近づけていくことが
やっとである。
毎朝の我が家の儀式とも言える、朝食の準備 駅へのお見送り ハルの散歩 だけは、
何とか終えると、ひとつ大きなため息をついて、あとは日がな一日家に閉じこもっている。
何かしても何もしなくてもあっという間に一日は終わる。
時間の経過が傷の癒しを促してくれるのだから。
覚悟を決めてだらだらと時間を過ごすのは、予想外に気楽なものだった。
桜もほとんど散ってしまった今、一週間前に撮った桜の写真を載せようと思う。
満開の桜の上に、雨がしめやかに降り注ぎ、しっぽりと濡れそぼった
花びらたちが怪しげな色気を漂わせている。
晴天の桜は言うまでもなく美しいけれど、雨の桜もまた違った風情が
楽しめる。でもこの桜、週末までもって欲しいな。
いつの間にか4月になってしまった。「お昼」という言葉と隣り合わせの
ような番組「笑っていいとも」が終了してしまって、ひとつの時代が
終わった感が否めない。なんだか寂しい。
自分の娘や息子を見ていて感じることなのだが、今の若い人はテレビをあまり
観ないようだ。理由は単純で、その時間をネットに割いているからなのだろう。
息子は特にテレビに疎くて、AKBの誰かの名前をひとり挙げよ・・ともしも言っ
たとしても、多分一人も出てこないんじゃないかと思う。
彼らには私が今感じている寂しさは、全然わからないんだろうな。
ずっとあるものと思っていたものが突然途切れてしまったあとの欠落感。
始めがあればそりゃ終わりがあるのは当然で、全てに言えることなのに。
私ももうすでにいい歳なのだから、「続くこと」ばかりに目を向けていないで、
「有終の美」ということも視野に入れていかなくては。
そういえば桜だって散り際こそ美しい。
花びらたちが怪しげな色気を漂わせている。
晴天の桜は言うまでもなく美しいけれど、雨の桜もまた違った風情が
楽しめる。でもこの桜、週末までもって欲しいな。
いつの間にか4月になってしまった。「お昼」という言葉と隣り合わせの
ような番組「笑っていいとも」が終了してしまって、ひとつの時代が
終わった感が否めない。なんだか寂しい。
自分の娘や息子を見ていて感じることなのだが、今の若い人はテレビをあまり
観ないようだ。理由は単純で、その時間をネットに割いているからなのだろう。
息子は特にテレビに疎くて、AKBの誰かの名前をひとり挙げよ・・ともしも言っ
たとしても、多分一人も出てこないんじゃないかと思う。
彼らには私が今感じている寂しさは、全然わからないんだろうな。
ずっとあるものと思っていたものが突然途切れてしまったあとの欠落感。
始めがあればそりゃ終わりがあるのは当然で、全てに言えることなのに。
私ももうすでにいい歳なのだから、「続くこと」ばかりに目を向けていないで、
「有終の美」ということも視野に入れていかなくては。
そういえば桜だって散り際こそ美しい。
昨日の朝、車から見る外の景色がいつもと違っていた。
辺りがシーンとしている。
ランドセルを背負った子供たちが消えた。ジャージ姿の中学生も
見当たらない。
あ~、そうか。春休みが始まったんだね。と納得するまでにちょっと
時間がかかってしまった。
そんなこともすっかり忘れて、私は家に帰るとオンラインで映画のチケットを
予約していた。水曜日は映画を1000円で観れる楽しい「レディースデイ」。
心弾んで出かけて行ったら、春休み初日とあって、映画館はお母さんと
お子さんたちで溢れんばかりだった。
でも私の観た映画「それでも夜は明ける」には、さすがに子供さんたちは
居なかった。
この映画は実話に基づいたもので、奴隷制度の残酷さを赤裸々に描いている。
この映画を観た後、私は単純に「人間」、辞めたくなってしまった。
人間の本質を目の当たりにして、自分自身さえも恐ろしくなったのだ。
人間の奥底に組み込まれている残忍性。どうかすると差異を差別化へと大きく
膨らませてしまう嗜好的傾向。ひとりの人間がもうひとりの人間を「物」として
扱う。その「物」が、実は赤い血が流れ、感情があるという事実を生き埋めに
して素知らぬ顔をする。
この映画を観る意味は、たぶん自分たち人間の持っている恐ろしい本質を今一度
認めることであり、と同時に悲惨な出来事を繰り返してはならないとひとりひとり
が心に誓うことであるのだと思う。そのためには、起きたことを事実だと認める作業
が必要で、それはこれまで人間の歴史の中で起きたすべての悲惨な出来ごとにも言える
ことなのだと思う。
残忍とか悲惨とか残酷とか、ネガティブな言葉をたくさん使って気持ちが疲れて
しまったので、ちょっと前に撮った早春の写真を、桜の開花前に載せようと思う。




辺りがシーンとしている。
ランドセルを背負った子供たちが消えた。ジャージ姿の中学生も
見当たらない。
あ~、そうか。春休みが始まったんだね。と納得するまでにちょっと
時間がかかってしまった。
そんなこともすっかり忘れて、私は家に帰るとオンラインで映画のチケットを
予約していた。水曜日は映画を1000円で観れる楽しい「レディースデイ」。
心弾んで出かけて行ったら、春休み初日とあって、映画館はお母さんと
お子さんたちで溢れんばかりだった。
でも私の観た映画「それでも夜は明ける」には、さすがに子供さんたちは
居なかった。
この映画は実話に基づいたもので、奴隷制度の残酷さを赤裸々に描いている。
この映画を観た後、私は単純に「人間」、辞めたくなってしまった。
人間の本質を目の当たりにして、自分自身さえも恐ろしくなったのだ。
人間の奥底に組み込まれている残忍性。どうかすると差異を差別化へと大きく
膨らませてしまう嗜好的傾向。ひとりの人間がもうひとりの人間を「物」として
扱う。その「物」が、実は赤い血が流れ、感情があるという事実を生き埋めに
して素知らぬ顔をする。
この映画を観る意味は、たぶん自分たち人間の持っている恐ろしい本質を今一度
認めることであり、と同時に悲惨な出来事を繰り返してはならないとひとりひとり
が心に誓うことであるのだと思う。そのためには、起きたことを事実だと認める作業
が必要で、それはこれまで人間の歴史の中で起きたすべての悲惨な出来ごとにも言える
ことなのだと思う。
残忍とか悲惨とか残酷とか、ネガティブな言葉をたくさん使って気持ちが疲れて
しまったので、ちょっと前に撮った早春の写真を、桜の開花前に載せようと思う。