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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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 英語を長年勉強してきた今、シンプルでやさしい無駄のない表現をすることのむつかしさを痛感している。

文法、読解を通して長年勉強してきてしまうと、話し言葉でネイティブの人がびっくりしてしまうような 大げさな単語を苦し紛れに使ってしまう。

英語の自然な表現に対する憧れが、ああでもないこうでもないと、私に試行錯誤をさせる。

そのうちのひとつに、簡単な動詞をできる限り使ってみる、というのがある。

たとえば take。

日本語で・・・・・お風呂に入る、 電車を利用する、 写真を撮る、 薬を飲む、お休みをとる、言わなかったことにする、 深呼吸をする、 休憩する・・・これらは全部動詞takeで表現できる。

take a bath,  take a train,  take a picture,  take a medicine,  take time off,  take it back,  take a deep breath,  take five のように。

お風呂に入る の 入る と、大学に入る の 入る は、日本語では 同じ動詞を使うけれど、英語でそれをやってしまうと、へんちくりんになってしまう。

そう、だから 違う言語を学ぶということは、こういう ズレ みたいなものを理解して、切り替えていく能力をつけることなのでなないかと思ったりもする。

以前フリーカンバセーションのクラスで、日本語勉強中のジェシカに、「日本語で物を数えるのって、すごく難しくない?  一枚 とか 一本 とか 一台 とか 一匹 とか、限りなくあってぞっとするでしょ?」
と、たずねてみたことがある。

英語はほとんどの場合、数字プラス 名詞の後ろにS をつければいいのに、日本語は ややこしいし、本数数えるに至っては、いっぽん にほん さんぼん と数字によって変化するから泣きたくなるだろうなあ、と思っていたのだ。

ジェシカは、 よくぞわかってくれた!  という表情で、勢いよく早口で言った。

「この前、Izakaya?ってところに行って、串にチキンが刺さっているものを食べたのね。
そしたら、日本人の友達が、その食べ物を5本 とか6本 とか言ってたから、そうか こういうのも ポンカウンターなのかって勉強になったよ。」

笑ってしまった。 かわいくないですか? 「ポンカウンター」って。

昨日テレビで、芦田愛菜ちゃんが マジシャンセロの洗練されたマジックに、可愛いお目めをまんまるくして
驚いていた。

セロが愛菜ちゃんに、5~6色のマジックが入っている箱を差し出して 言った。

「愛菜ちゃん、じゃあ好きな色のマジックを 一枚 取って。」

セロさん、マジックは、ポンカウンター だよ。


 昔よく焼いたロールケーキを、久しぶりに復活させて 機会あるごとに持っていってたら、「ちえちゃんの、あのロールケーキが、またどうしても食べたい。」と、数人の方が言ってくれた。 くすぐったくも嬉しくて、リクエストに応えてしまう。

 娘が、「家で作ったコロッケが食べたい。」と言ったときも、「面倒なことを・・」と言いながら 結局いそいそと作ってしまったように。

「あなたの~が好きなのです。あなたの作った~が食べたい。」は、魔法の言葉。
自分がやりたいからやってることでも、やっぱり人の評価ってモチベーションあげてくれるものなのね。

 で、気をよくした私は、ロールケーキを2本焼いて、昨日 英語仲間の打ち合わせに持ち込み、お茶のお供にしてもらった。

 私が英語のミーティングに行っている間に、だんながクックパットで調べてビーフシチューを作ってくれた。  料理の腕をあげて何でもおいしく作ってしまうだんなに、土日の夕食はほとんど任せてしまっている。 

最近、料理が趣味だ。なんて、宝くじにでも当たったくらいに、私としてはありがたいことだ。

そうやって、ちょっとクリスマスを意識したケーキやシチューを食べてはみるのだが、気分的に、これほどまでに気持ちがまっ平らな年末は、初めてだ。


お正月も、平らなまんま 過ぎていく予感がする。























朝なのに、カーラジオから聞き捨てならない単語が、繰り返し聞こえてきた。

・・・ですから・・こうもん・・は、ちゃんと・・・だいたい・・・こうもんには・・・

まさか、聞き間違いだろうと思い、ボリュームを少し上げると、獣医さんが、犬の肛門について語っていた。

 「肛門線絞り」。  犬を飼っている人ならお馴染みの言葉も、そうでない人にはショッキングであるにちがいない。 

 肛門を絞る? 雑巾みたいに? 冗談じゃなくて?
私もハルを飼い始めた時、初めてその言葉を聞いた。でもこの言葉のせいか、5年経った今もまだまだ「肛門絞り初心者」の域を出きれていない。

あの頃、その意味と実際の方法、その必要性を知って、この世にはまだまだ知らない摩訶不思議なことがあるものだと驚いた。

子犬の飼い方を指導してくれたペットショップのお姉さんは何度もさらりと言っていたけれど、私にとっては、
いまだに強烈な言葉であり続けている、 肛門しぼり 。

時間を気にせず民放のBsチャネルにあわせると、テレビショッピングの番組が延々と流れている時間帯にぶつかってしまう時がある。

すぐさま他の番組にしようとリモコンに触れようとしたら、「・・・バナナのかたち・・・」 という言葉が耳に入り込んできた。

バナナ好きの私としては、スルーできずに、何のこと? と面と向かうと、高繊維質の健康食品の宣伝だった。 どっさり とか 理想的なバナナの形で といのは、じつにそういうことだったのだ。

私の大好きなバナナを・・・何も・・。

きょうは、下の話でまとめてみました。







目が覚めたら、虹色がそこにあった。

何かに反射した朝日が、白壁に虹色玉を映し出していた。

7つの色を帯びた光が、灰色のしこりにゆるみを与えて 穏やかに鎮める気配。

虹色を演出するおしゃれな犯人を探してみたら、出窓にあった香水びんであった。

ちょいちょいっと、耳たぶや首筋、手首などに、強すぎないほどの香水を運んでくれていたあの素晴らしき「棒」が、フタと繫がる根元でポッキリ折れてしまって以来、窓辺の飾り物として静かに存在していたのだ。

丸みを帯びた胴体に、緻密に削られたいくつもの六角形の平面が、ダイヤモンドさながら 光を
取り込み、最高レベルの輝きに変えては そして放つ、なかなか憎いヤツ。

その寡黙な存在感に、十分満足していた矢先に、この 虹球演出 だ。あっぱれ。

今朝、この冬初めての霜柱を踏んだ。 ハルの足跡を見たくて、ハルにもお願いして踏んでもらった。

宮城から、同期会へのお誘いメールが来た。
事務的な文章の後に、「ちえ様、僕もカーネーションにはまっています。」と、書いてあった。

仕事とぶつかって行けないなあ・・としょんぼり返事を書いていたら、次から次へと同期メンバーから
のメール着信音が鳴って、開けてみると、「私もカーネーション見てるよ。」とか、「見れていないけれど 小林薫が好きで。」 と、カーネーションコメントが多くてびっくりした。

でも、あのドラマ、私本当にすごいと思うのよ。

説明過多な場面がいっさいない。 その代わりに役者の表情で複雑な状況を語らせてしまう。
脇をかためている役者さんも素晴らしいしね。

主人公の糸子のお弟子さんの縫い子さんも、魅力的なキャラクターだと思わない?

言ってみれば糸子は、お師匠さんであり雇い主なのに、糸子が気弱になっていたり逆に暴走したりすると、彼女が歯に衣着せずにきっぱりと物申すのだ。力の入らぬ糸子を二階から引き摺り下ろす、というような暴挙に出たこともある。 それをちゃんと、無駄にせず、受け入れる糸子もすごい。
あの二人の関係性も、いろんなヒントを与えてくれる。

戦争をどう描いていくのか、難しいだろうな・・と思ってた。
これは今でも思ってる。

ウィットとユーモアーを、見過ごしてしまうほどのニュアンスで織り込んであるところもすごく好き。

今日のは・・・ちょっと泣いてしまった。
・・・糸子の経営するオハラ洋装店の繁盛ぶりに、根も葉もないひどいうわさが流れてしまう。

そのうわさを気に留めず、糸子に寄り添ってくれる近所の人たちに感謝をしながら、
「うちを信じてくれたこの人たちは、父ちゃんの残してくれた宝物です。」というモノローグがあったのだ。

財産を残す とか 教育を残す じゃなくて、人間関係の温かさを残す。 
なんだかジンときました。

同期会行けないけれど、みんな楽しんでね。
カーネーションの話が出たら、教えてね。
 #1から#26までのプログラムも、今3巡目の後半にさしかかっているFox Bs238 のヨガは、私の日常のルーティーンになりつつある。

 2ヶ月前にはできなかった#26のシヴァ神のポーズもなんとかできるようになった。

「私の朝は、ヨガで始まる。」

 さわやかに聞こえるだろうフレーズが、私の日常をうそ偽りなく表すのは、うれしいことである。

 だからと言って 私の日常がいつもさわやかであるわけがない。


 ウォームアップ と シークエンス、シークエンス と くつろぎと安らぎの時間 の間に、画面に現れる英文がある。

今日のものは、アインシュタインの言葉でした。

Truth is what stands the test of experience.
Albert Einstein
「真実は、経験という試練に耐えるものである。」

先週触れた 関係代名詞 の what が ここでも使われているのです。

動詞の stand は、ここでは stand up 立つ の stand でななく、我慢する 耐える という意味で使われています。

I can't stand it. 私は耐えられません。  というように。

ところで私は、アインシュタインの言葉に、畏れ多くも賛成したいです。

私は頭のいい人ではないので、難しいことが書いてある本はよくわからないし、声高に主張される正論も、万が一わかったとしてもあまり自分の中に残らないことが多い。

私が影響を受けるものは、すべて経験を通して見えてきた視点のみである。
アインシュタインがすごいのは、経験をしなくとも真実が先に見えてしまうところなのでしょう。

後に経験を持ってくることを許されるのは、アインシュタインレベルの天才だけかもしれない。と最近考えたりもしています。 


 


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