日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
退屈と思えるほどの日常は、見えないところで 絶妙なバランスが奇跡的に保たれて、やっと成り立っていたなんて。
便利さや効率の上にあぐらをかいている事実に対しても、真剣には考えて来なかったんだ。
奈落の底に突き落とされている人々があふれている状況で、じゃあ私は、ひとまず自分のことを横に置いといて、徹底した利他的な行動をとれるものなのか?・・ また・・もしも危険な原発を減らしていく方向に向かうとしたら、この状況下で今まさに経験しているような、便利さから不便さへの逆行に、永続的に耐えていく自信が私にはあるのだろうか?
自信があるとは言いがたい。
それでも、痛みや不便さを分かち合い、「連帯感」と「幸福感」が気持ちよくセットで存在できるような世界を目指すことでしか、明るい未来はやって来ない気がするのだ。
仙台にいる先輩や同期の友人が無事でいてくれた。
誰だって、友人や家族を思う気持ちにかわりはないはず。
「その思いやりや温かみのある連帯感を少しずつ広げて行くことは、もしかしたら不可能ではないかもしれない。」というわずかな隙間に、私は希望を見出すのだ。
便利さや効率の上にあぐらをかいている事実に対しても、真剣には考えて来なかったんだ。
奈落の底に突き落とされている人々があふれている状況で、じゃあ私は、ひとまず自分のことを横に置いといて、徹底した利他的な行動をとれるものなのか?・・ また・・もしも危険な原発を減らしていく方向に向かうとしたら、この状況下で今まさに経験しているような、便利さから不便さへの逆行に、永続的に耐えていく自信が私にはあるのだろうか?
自信があるとは言いがたい。
それでも、痛みや不便さを分かち合い、「連帯感」と「幸福感」が気持ちよくセットで存在できるような世界を目指すことでしか、明るい未来はやって来ない気がするのだ。
仙台にいる先輩や同期の友人が無事でいてくれた。
誰だって、友人や家族を思う気持ちにかわりはないはず。
「その思いやりや温かみのある連帯感を少しずつ広げて行くことは、もしかしたら不可能ではないかもしれない。」というわずかな隙間に、私は希望を見出すのだ。
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