日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
夏場に活躍した半袖のTシャツたちは、今や長い冬眠に入る前の熊のように
のっそりしているように見えて、動かされることが格段に少なくなり、
やがてたたまれたまま、次の季節が巡ってくるまで深い眠りにつくことになる。
セミの声の重なりが、日々一枚一枚はがされて薄くなり行き、かつての賑やかさは
遠い昔にいっぺんにぽーんと遠のき、かすかで頼りなげなものが時折耳に届くだけ。
マンションの外廊下の排水溝で、クロアゲハが羽を広げて黒い光沢紙のようなツヤを
放っていた。風が吹くとその薄っぺらな一枚がそのまんまの形で左右に傾き揺れた。
その揺れは、風に身を寄せたり逆らったりする意志のない、ただの物としての動きで
しかなかく、その何とも無機質な動きが、すでにそこには命がないことを瞬時に悟ら
せるのだ。
また一人大学時代の先輩を失った。
ご冥福を祈ります。
のっそりしているように見えて、動かされることが格段に少なくなり、
やがてたたまれたまま、次の季節が巡ってくるまで深い眠りにつくことになる。
セミの声の重なりが、日々一枚一枚はがされて薄くなり行き、かつての賑やかさは
遠い昔にいっぺんにぽーんと遠のき、かすかで頼りなげなものが時折耳に届くだけ。
マンションの外廊下の排水溝で、クロアゲハが羽を広げて黒い光沢紙のようなツヤを
放っていた。風が吹くとその薄っぺらな一枚がそのまんまの形で左右に傾き揺れた。
その揺れは、風に身を寄せたり逆らったりする意志のない、ただの物としての動きで
しかなかく、その何とも無機質な動きが、すでにそこには命がないことを瞬時に悟ら
せるのだ。
また一人大学時代の先輩を失った。
ご冥福を祈ります。
この所雨続きで、でも「雨天」と一言でおおまかにくくれる程度をはるかに
超えていて、雷、稲妻、土砂降り、場所によっては竜巻となれば、いささか
圧倒され気味である。
どんな種類の雨であろうが、雨が降れば我が家では「ドンパック」が脚光を浴びる。
犬を飼っていない人には一生巡りあわない物だろうから、簡単に説明すると、
わんこのゴム製「う〇ち入れ」で、強力磁石で車の外ボディーにくっつくようにでき
ている。
雨天ではない平日の朝ならば、駅近くでダンナを車から降ろし、ハルとふたりで
「行ってらっしゃい。」と見送った後に、家の近所に戻って散歩をする。
つまりハルのう〇ちはそのまま家に持って帰れる。
でも雨の日は、濡れるのを避けて、帰り途中の東名高速高架下に車を停めて用を
済ますため、家までそれを運ばなくてはならない。
いくら大好きなハルの落し物と言えど、車内が匂いで充満するのは避けたいのだ。
「ドンパック」の存在を知る前は、そういう場合にはスーパーのレジ袋を車の後ろ
ワイパーにひっかけていた。
たぶん犬を飼っていない人なのだろう・・。信号待ちしていると窓をトントンとたたいて
「後ろに荷物をかけっぱなしにしてますよ。」と親切に教えてくれた人がいた。
「犬のう〇ちです。」とはさすがに言い出せず、お礼だけ言った後、不思議なばつの悪さ
を感じていた。
朝起きると雨が降っていた。「今日はドンパックだね。」とハル君に告げる。
「そう、ドンパックだから少なめにしてね。だって裏側が無意味に骨の形にしてあって
あんまり入らないからね。粘土みたいに押し込んで形変えるの正直言うとやなのよ。」と。
ハルはそれを知ってか知らずか、その日はほんとにちょびっとしかしなかった。
私があわてて「変なこと言ってしまったね。ごめんごめん。」と言っていつもより時間を
かけてもダメだった。
私が言ったこと、わかるはずはないけれど、こういう偶然て、やっぱりハルと私の
親密な仲を象徴しているようで、ごめんね・・と思いながら、なぜだかとても嬉しかった。
超えていて、雷、稲妻、土砂降り、場所によっては竜巻となれば、いささか
圧倒され気味である。
どんな種類の雨であろうが、雨が降れば我が家では「ドンパック」が脚光を浴びる。
犬を飼っていない人には一生巡りあわない物だろうから、簡単に説明すると、
わんこのゴム製「う〇ち入れ」で、強力磁石で車の外ボディーにくっつくようにでき
ている。
雨天ではない平日の朝ならば、駅近くでダンナを車から降ろし、ハルとふたりで
「行ってらっしゃい。」と見送った後に、家の近所に戻って散歩をする。
つまりハルのう〇ちはそのまま家に持って帰れる。
でも雨の日は、濡れるのを避けて、帰り途中の東名高速高架下に車を停めて用を
済ますため、家までそれを運ばなくてはならない。
いくら大好きなハルの落し物と言えど、車内が匂いで充満するのは避けたいのだ。
「ドンパック」の存在を知る前は、そういう場合にはスーパーのレジ袋を車の後ろ
ワイパーにひっかけていた。
たぶん犬を飼っていない人なのだろう・・。信号待ちしていると窓をトントンとたたいて
「後ろに荷物をかけっぱなしにしてますよ。」と親切に教えてくれた人がいた。
「犬のう〇ちです。」とはさすがに言い出せず、お礼だけ言った後、不思議なばつの悪さ
を感じていた。
朝起きると雨が降っていた。「今日はドンパックだね。」とハル君に告げる。
「そう、ドンパックだから少なめにしてね。だって裏側が無意味に骨の形にしてあって
あんまり入らないからね。粘土みたいに押し込んで形変えるの正直言うとやなのよ。」と。
ハルはそれを知ってか知らずか、その日はほんとにちょびっとしかしなかった。
私があわてて「変なこと言ってしまったね。ごめんごめん。」と言っていつもより時間を
かけてもダメだった。
私が言ったこと、わかるはずはないけれど、こういう偶然て、やっぱりハルと私の
親密な仲を象徴しているようで、ごめんね・・と思いながら、なぜだかとても嬉しかった。
発端は、伊丹十三さんの言葉だった。
数週間前の番組の中で、当時の伊丹さんが、「人生を生きやすくして
くれた本」として、岸田秀さんの「ものぐさ精神分析」を挙げていた。
自分にとって興味深い人がこれはいいと言っているものを、真似して取り入れる
傾向がある私は、素早く本を手に入れて読み始める。
「ものぐさ・・」と付いているので油断して読み出したのだが、実際はかなり専門的
な事もたくさん書いてあって、あまりに難解なところはすっとばして読み終えた。
本のことはまた後日書くとして・・(特に 「自己嫌悪」に関しての岸田さんの
見解が目からウロコだったので。)
昨日この本を読み終えた私は、とても不思議な夢を見た。
夢の中の私は高校生であった。
しかも彼女は実際の私が持っていなかった資質を持っていた。
「美しさ」である。
彼女は、中身は55歳の私、外見は美しい高校生という
奇怪な存在でありながら、当然のようにその世界に息づいていた。
その時私は、高校へと向かっていた。高校は町田付近にあるようだ。
高校にいかなきゃ。と真剣に思っているのに、その場所が思い出せず、
焦り始める。遅刻どころか二度とそこへたどり着けないのではないかと
いう不安が押し寄せてくる。
町田のはずなのに、丘や崖があって息を切らせながら上ってみたりもするが、
何も見当たらないし何も思い出せない。
「高校生なのにすでに認知症になってしまったんだ。」と私は嘆き、声を上げて泣いて
いたら、優しい母のようなオーラを持つ人が目の前にいた。
何と、女優の樋口可南子さんだった。
あのきれいな人を前にして、「彼女は自分の母親である」と何故か私は思い込んでいて、
やさしく微笑む彼女に「悲しいの。」と訴えていた。
場面が変わって、私は南海キャンディーズの山ちゃんと部屋の中に居た。
山ちゃんが遠慮がちなので、私の方からモーションをかける。
「ね、もっと近づきたいな。」と私が言うと、彼は一瞬戸惑いを見せ、でも決心
したように唇を近づけてきた。
ひんやりと涼しげなキスをした後、彼はお行儀よく私の胸をはだき、私たち二人は
とても自然にひとつになる。でも彼は途中でするりとやめて背を向けてしまう。
「勢いで君の体に負担をかけるようなことはしたくないんだ。」と、彼は荒い息を
抑え込みながら言う。
私は感動していた。なぜだかわからないけれど感動していた。
山ちゃんは、本能的な衝動が渦巻く人間ならではの「欲望」を抑え込み、自我という
行動規範を私のために優先してくれたんだ。(多分に本の影響あり、と思う。)
夢の中の私はそのように思っていた。
そう言えば、南海キャンディーズが売れ始めの頃、ドッキリで相方のしずちゃんが、
「やりたいことがあるので、南海キャンディーズを解散したいの。」と告げた時も、
山ちゃんは彼女の本気さを理解するや否や、「わかったよ。」ときっぱり言っていたなあ。
と思い出し、そこで私は、あふれんばかりの愛しさを持って、山ちゃんの丸い背中を見つ
めていたのだ。
-------------------------------------
何という夢だろう。
現実という名の幻想。
ならば、夢もまた現実であるのかもしれない。
数週間前の番組の中で、当時の伊丹さんが、「人生を生きやすくして
くれた本」として、岸田秀さんの「ものぐさ精神分析」を挙げていた。
自分にとって興味深い人がこれはいいと言っているものを、真似して取り入れる
傾向がある私は、素早く本を手に入れて読み始める。
「ものぐさ・・」と付いているので油断して読み出したのだが、実際はかなり専門的
な事もたくさん書いてあって、あまりに難解なところはすっとばして読み終えた。
本のことはまた後日書くとして・・(特に 「自己嫌悪」に関しての岸田さんの
見解が目からウロコだったので。)
昨日この本を読み終えた私は、とても不思議な夢を見た。
夢の中の私は高校生であった。
しかも彼女は実際の私が持っていなかった資質を持っていた。
「美しさ」である。
彼女は、中身は55歳の私、外見は美しい高校生という
奇怪な存在でありながら、当然のようにその世界に息づいていた。
その時私は、高校へと向かっていた。高校は町田付近にあるようだ。
高校にいかなきゃ。と真剣に思っているのに、その場所が思い出せず、
焦り始める。遅刻どころか二度とそこへたどり着けないのではないかと
いう不安が押し寄せてくる。
町田のはずなのに、丘や崖があって息を切らせながら上ってみたりもするが、
何も見当たらないし何も思い出せない。
「高校生なのにすでに認知症になってしまったんだ。」と私は嘆き、声を上げて泣いて
いたら、優しい母のようなオーラを持つ人が目の前にいた。
何と、女優の樋口可南子さんだった。
あのきれいな人を前にして、「彼女は自分の母親である」と何故か私は思い込んでいて、
やさしく微笑む彼女に「悲しいの。」と訴えていた。
場面が変わって、私は南海キャンディーズの山ちゃんと部屋の中に居た。
山ちゃんが遠慮がちなので、私の方からモーションをかける。
「ね、もっと近づきたいな。」と私が言うと、彼は一瞬戸惑いを見せ、でも決心
したように唇を近づけてきた。
ひんやりと涼しげなキスをした後、彼はお行儀よく私の胸をはだき、私たち二人は
とても自然にひとつになる。でも彼は途中でするりとやめて背を向けてしまう。
「勢いで君の体に負担をかけるようなことはしたくないんだ。」と、彼は荒い息を
抑え込みながら言う。
私は感動していた。なぜだかわからないけれど感動していた。
山ちゃんは、本能的な衝動が渦巻く人間ならではの「欲望」を抑え込み、自我という
行動規範を私のために優先してくれたんだ。(多分に本の影響あり、と思う。)
夢の中の私はそのように思っていた。
そう言えば、南海キャンディーズが売れ始めの頃、ドッキリで相方のしずちゃんが、
「やりたいことがあるので、南海キャンディーズを解散したいの。」と告げた時も、
山ちゃんは彼女の本気さを理解するや否や、「わかったよ。」ときっぱり言っていたなあ。
と思い出し、そこで私は、あふれんばかりの愛しさを持って、山ちゃんの丸い背中を見つ
めていたのだ。
-------------------------------------
何という夢だろう。
現実という名の幻想。
ならば、夢もまた現実であるのかもしれない。
花盛りの鉢植えを買って出窓に置く。
殺風景だった小さな空間が一気に華やぐ。
花々のみずみずしい勢いが、こちらの気持ちも明るくしてしまうの
だから花の力はすごいと思う。
しばらくするとピークが過ぎ去り花はしおれ、枯れる。
葉っぱまでもが生気を失ったように見える。
過去を振り返ると、この状況から私は多くの鉢植えを枯らしてきた。
そんな罪深き私は、ある日決心をする。
どんなにせわしない日々を自分が送っていたとしても、また寝ているしか
いられないほどその日の体調が悪かろうとも、少なくともふたつのことはしよう。
1.日めくりサイコロカレンダーを今日の日付にきっちり合わせる
2.鉢植えたちにお水をたっぷりやる
この暑い夏、このたわいないこと(日によって私にはとてもハードルが高いのだが・・)
だけは休まず実行してきた。あ、でも朝ヨガもそう言えば何とか続けてきているんだワ・・
そうしているうちに、緑一色の鉢植えたちに変化が見え始めた。
天に向かって伸び進むブーゲンビリアのツルの先にピンクの花が咲いた。
葉っぱの数を大幅に減らしてしまったクレマチスも、一回り小さな白い花を
3つもつけてくれた。
ピークの時の花よりは地味だけれど、しみじみと嬉しかった。
昨日バレエに行ったら、友達がゼラニウムの苗木を持ってきてくれた。
土に植えて花が咲いたら、今度はどんな嬉しさを感じられるのだろう。

殺風景だった小さな空間が一気に華やぐ。
花々のみずみずしい勢いが、こちらの気持ちも明るくしてしまうの
だから花の力はすごいと思う。
しばらくするとピークが過ぎ去り花はしおれ、枯れる。
葉っぱまでもが生気を失ったように見える。
過去を振り返ると、この状況から私は多くの鉢植えを枯らしてきた。
そんな罪深き私は、ある日決心をする。
どんなにせわしない日々を自分が送っていたとしても、また寝ているしか
いられないほどその日の体調が悪かろうとも、少なくともふたつのことはしよう。
1.日めくりサイコロカレンダーを今日の日付にきっちり合わせる
2.鉢植えたちにお水をたっぷりやる
この暑い夏、このたわいないこと(日によって私にはとてもハードルが高いのだが・・)
だけは休まず実行してきた。あ、でも朝ヨガもそう言えば何とか続けてきているんだワ・・
そうしているうちに、緑一色の鉢植えたちに変化が見え始めた。
天に向かって伸び進むブーゲンビリアのツルの先にピンクの花が咲いた。
葉っぱの数を大幅に減らしてしまったクレマチスも、一回り小さな白い花を
3つもつけてくれた。
ピークの時の花よりは地味だけれど、しみじみと嬉しかった。
昨日バレエに行ったら、友達がゼラニウムの苗木を持ってきてくれた。
土に植えて花が咲いたら、今度はどんな嬉しさを感じられるのだろう。
20年前にバレエを習い出したその日から、私の「股関節との戦い」は始まっていた。
身体が固くて股関節の可動域が明らかに狭い私は、とことんバレエに向いていなかっ
たのだ。
それなのに、「足の甲高」を先生に褒められて、いい気になっていた。
その後どれだけ股関節で苦しむことになるのかも知らないで。
それでも20年も続けていれば、人にちょっとは驚かれるくらいの柔軟性は身に
つけられるものだ。それは身を持って言える。
苦労してやっとこさある程度の柔軟性を手に入れた私は、人の動きを見るときに
その人の股関節の可動域にどうしても目が行ってしまう。
そして ある日 ミュージカル「100万回生きたねこ」を観た。
満島ひかりちゃん扮する女の子が、絵本からそのまま出てきてしまったような
女の子だったので、「長靴下のピッピみたい・・」と目を奪われていたら、
何の気配も感じさせずに実は本棚の奥に潜んでいた一匹の猫、森山未來くんが突然
舞台に現れた。
果たして私は、未來君ネコの股関節の柔軟さに釘付けになってしまった。
一方向に極端に体を押し出すことで生じる関節と関節の間のひとつの広がりが、
関節の並び順にスムーズに移動し、上下左右斜めに伝わっていく。
そんな波打つように見えるあのネコ特有の背骨の動きを、猫になった未來くんは
それは自然に動きへと組み込み、加えてしなやかな股関節を存分に使って舞台を這い回る。
ミュージカルを観ているという感覚とは少し違った。
少なくとも私が思うミュージカルとは違った。
例えば、「不思議の国のアリス」の、アリスが経験する夢の世界は、少しばかり狂気を
感じるところが私にはあって、それに似た世界に誘われたような感覚が残っている。
色のコントラスト、日常的ナンセンス、執拗に繰り返される動き、間接的な「涙」の表現。
「泣く」という行為は、何と人間的なものであったのか。
100万回生きても泣いたことのなかったトラねこさんは、愛を知り死の悲しみを知ること
で、さめざめと泣き、自らも死を全うする。
後日、NHKのインタビュー番組に出演していた未來君の話で、疑問のすべてに合点が
いった。
まず未來君はダンサーだった。当然だ。
そして舞台の演出振付美術は日本人ではなく、すべてイスラエルの人達によるものだった。
未來君は、10月から一年間日本での俳優業をお休みして、ベルギーやイスラエルの劇団を
拠点に活動を始めるらしい。
「100万回生きたねこ」を観たからというわけではないけれど、「Woman」も
「夫婦善哉」も録画でなく見ることにしている。
身体が固くて股関節の可動域が明らかに狭い私は、とことんバレエに向いていなかっ
たのだ。
それなのに、「足の甲高」を先生に褒められて、いい気になっていた。
その後どれだけ股関節で苦しむことになるのかも知らないで。
それでも20年も続けていれば、人にちょっとは驚かれるくらいの柔軟性は身に
つけられるものだ。それは身を持って言える。
苦労してやっとこさある程度の柔軟性を手に入れた私は、人の動きを見るときに
その人の股関節の可動域にどうしても目が行ってしまう。
そして ある日 ミュージカル「100万回生きたねこ」を観た。
満島ひかりちゃん扮する女の子が、絵本からそのまま出てきてしまったような
女の子だったので、「長靴下のピッピみたい・・」と目を奪われていたら、
何の気配も感じさせずに実は本棚の奥に潜んでいた一匹の猫、森山未來くんが突然
舞台に現れた。
果たして私は、未來君ネコの股関節の柔軟さに釘付けになってしまった。
一方向に極端に体を押し出すことで生じる関節と関節の間のひとつの広がりが、
関節の並び順にスムーズに移動し、上下左右斜めに伝わっていく。
そんな波打つように見えるあのネコ特有の背骨の動きを、猫になった未來くんは
それは自然に動きへと組み込み、加えてしなやかな股関節を存分に使って舞台を這い回る。
ミュージカルを観ているという感覚とは少し違った。
少なくとも私が思うミュージカルとは違った。
例えば、「不思議の国のアリス」の、アリスが経験する夢の世界は、少しばかり狂気を
感じるところが私にはあって、それに似た世界に誘われたような感覚が残っている。
色のコントラスト、日常的ナンセンス、執拗に繰り返される動き、間接的な「涙」の表現。
「泣く」という行為は、何と人間的なものであったのか。
100万回生きても泣いたことのなかったトラねこさんは、愛を知り死の悲しみを知ること
で、さめざめと泣き、自らも死を全うする。
後日、NHKのインタビュー番組に出演していた未來君の話で、疑問のすべてに合点が
いった。
まず未來君はダンサーだった。当然だ。
そして舞台の演出振付美術は日本人ではなく、すべてイスラエルの人達によるものだった。
未來君は、10月から一年間日本での俳優業をお休みして、ベルギーやイスラエルの劇団を
拠点に活動を始めるらしい。
「100万回生きたねこ」を観たからというわけではないけれど、「Woman」も
「夫婦善哉」も録画でなく見ることにしている。
カレンダー
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 14 | 15 | |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |
カテゴリー
フリーエリア
最新CM
[02/03 <a href="https://aclf.ru/">selector casino vojti</a>]
[02/01 JamesDwems]
[01/29 Kophes]
[11/06 https://propranolol-global.github.io/]
[02/01 extiday]
最新TB
ブログ内検索
P R