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日々の生活から気になる事柄やものたちを、日記を通して紹介していくサイトです。水曜日には「やわらかい英文法」と題して、英語に関することを載せています。(平成23年3月現在)
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この土日は、年月を経ての再会の機会に恵まれた。

土曜日は、4,5年前に所属していた英語のスピーチクラブにゲストとして、
日曜日は、40年ぶりに高校時代のコーラスグループに参加してきた。

可笑しいのは、4年も40年も、もはやそんなに変わりがなかった・・ということである。
だんだんと、時の隔たりに鈍感になっているのかもしれない。

40年振りに顔を合わせて最初誰だかわからなくても、ものの数分で現在のその人を
すんなりと受け入れることができた。高校を卒業してそれぞれの人が様々なことを経験
してきて、その結果今の彼らがあるだろうに、その経験がどんなものだったのか、まったく気に
ならない。

目の前にいるその人を、昔の呼び名で~君 ~さんと呼び、相手は私を旧姓で、~さんと呼ぶ。
そしてただ一緒に歌った。

それぞれのひだに隠れていた記憶のかけらは、その場で温められて、しだいに柔軟性を取り戻し、
吸い寄せられてひとっ所にくっ付きだして蓮の花を咲かせた。

最近の私は、時間そのものにあまり意味を見出さない。

このまま行ったら、永遠 という時間も怖くなくなるのかな?
そうだといいな。
箱根旅行の前日、天気予報はすべて雪マークだった。
幹事をやっていたので、交通が完全麻痺という最悪の場合を考えて、お宿に一本電話を
入れた。

「公共の交通手段がすべて麻痺したらキャンセル料はいただきませんが、遠回りでも
動いているものがあれば、それで来ていただくことになります。」というお言葉。
お宿側としては尤もな言い分でしょう。

さて、私がそのことを私以外の6人に伝えると、面白い反応が返ってきた。
「あのさ、根拠は何もないんだけど大丈夫な気がする・・」
「え?全然心配してなかった。今お宿のホームページ見てワクワクしてたの。あらどうしましょ。」
と、みんなこんな感じ。さすが私の友達。やっぱり『類は友を呼ぶ』というのは本当らしい。

当日朝起きて、そおっとカーテンをめくって外の様子を見てみる。雪がない!全然ない!
雨だってそんなに降っていない! にんまりとしながらみんなにメールを送る。

「ひとかけらの雪も見当たりません。私たちの勝利です!!」

あのね、私たち、卒業してから40年経っているのね。その40年はどこに行っちゃったん
だろう?あの頃のままそのまんま過ぎて、ほんと笑ってしまう・・何の違和感も感じること
なく、楽しく心底リラックスした時間でした。

お宿を7人いっぺんに泊まれる大きなお部屋のある環翠楼にして正解だった。
400年の歴史があるお宿で、私たちが泊まったお部屋は一番古いお部屋で、でもあらゆるものが
ピカピカに磨かれていて、お掃除が行き届いていてお料理もとてもおいしかった。
内風呂の温泉がもう少し広かったらもっと良かったかな・・でも露天風呂は最高だった。

浴衣で卓球して騒いで、冷蔵庫の中のビールやお酒全部飲んじゃって、みんなそれぞれ眠くなっ
たら布団にはいり寝た。

誰もせかせかする人がいなくて、のーんびり流れに任せ、曲線をたどったような旅でした。

次は世田谷線散策っていうのをやろうかなってみんなで言ってるの。


























今年になってヨガのクラスが二つ増え、念願だったバレエストレッチのクラスと英会話の
クラスも持つことになって、がらりと生活が変わりました。
昨日の段階でやっと一息つけたかな、とあたりを見回したら、もう一月も終わろうとしているの
でびっくりポンです。

ここ一二か月で、30人以上の人との新しい出会いがありました。
私は中学生や高校生の家庭教師の経験は長かったのですが、大人の人たちに何かを教えるのは
今回が初めてです。今20代から80代までの生徒さん達にヨガや英語を教えさせてもらって
感激することがあります。みなさんがとっても真面目で取り組み方が真剣なのです。

大人になるということは、時間やお金の大切さをきちんと知ることであったり、限りある命の時間
を自覚することなのでしょう。そのような環境の中で、私は教えている側ではありながら、皆さん
からたくさんパワーをもらってます。ありがたいです。

つい数日前のことですが、高校一年の時のクラスメイトが私に電話をしてきてくれました。
彼女は6年前に大学生の息子さんを突然亡くしました。
6年前に、お線香をあげに彼女のお宅に伺った時の帰り際、「ずっと一緒に生きて行こうね。」
と私は彼女に言いました。それから一年に数回、連絡を取っては会っていたのです。

でも今回はちょっと違いました。彼女の方から連絡してきてくれたのです。
受話器から聞こえる彼女の声を聞くや否や、「電話してきてくれたのね・・」と思わず言って
しまいました。・・・おいしいお茶があったから送った・・二月になったら会いましょう・・
話が弾みました。私は嬉しくて嬉しくて仕方がなかったのです。

上品な甘みのある日本茶が、その日の夕方に届き、すぐにお礼のメールを送りました。
そのメールの返事の最後に、「いっしょに、なが~くゆっくり歩いて行こうね。」と書いて
ありました。私はそれを、何度も何度も読みかえしました。

 あさってから高校3年の時のクラスメイト7人で箱根へお泊り遠足に行きます。
去年あたりから鎌倉遠足、小江戸遠足と、このメンバーで楽しいひと時をシェアしてきました。
今回は初のお泊りです。
いろいろ調べて、みんないっぺんに泊まれる大きなお部屋のある温泉旅館をチョイスしました。

修学旅行以来の「みんなでお泊り。」ワクワクします。
だってロマンスカーに乗るのよ。
酔っぱらったまま、そのまま寝ちゃってもいいのよ。
寄木細工体験もするのよ・・・アラカンでもこんなにワクワクするんだ。

明日はバレエがお休みなので、シナリオを書いて過ごそうかと思います。
最近は、以前に書いた物のspin offを描くのが楽しい。
主役じゃない人を主役に持ってきて書く。そしたらまた別の脇の人が出てきて次は
その人を書きたくなる・・と言う具合にどんどんつながっていきます。
シナリオを書いた日は、そのあとほとんどぼんやりと過ごすします。
旅行の準備をしてから書き始めた方がよさそうです。


昨日から普通の生活に戻り、今朝もハルの散歩を終えた後、お決まりの6階までの
階段のぼりをしていたら、ほとんどのお家の玄関からお正月飾りが消えていた。

そうだ今日は初七日を過ぎた8日なのだから当たり前のことなのだろうが、時に
細かいことまで行き届かない私の愚鈍な神経が、お正月飾りの日の光が当たる時間を、
普通より長くしてしまう。

家にたどり着いたらすぐにはずそうと思いながら、ハルを抱えて階段を一歩一歩上る。
階ごとの踊り場に行き着くたびに、見える範囲のドア玄関にお正月飾りを探す。
私の同士はいないかと探さんばかりに。

ひとつふたつのお正月飾りを見出して、ちょっとばかし階段上りが軽快に。
自分はそういうズサンなところのある人間だけれど、世の中の人たちがそういった
地道さと誠実さを持っていることが私は誇らしく、少しでもそういう人種の仲間に
入りたいと日々努力中。

お正月は、充実していたという意味ではとてもいいお正月だった。
家族全員が集まるというありがたい状況で、私は普段ではとても出ないような体力と気力を発揮
して、めちゃくちゃ働いた・・と思う。独立してしまっている子供たちに、母親業をさせて
もらえる数少ない機会なので。

特筆すべきは、今年は料理人の息子が、中華おせちを作ることを買って出てくれたので、
お正月のお膳がいつもとまったく違った雰囲気で、研ぎ澄まされた隙を見せないような心地よい
緊張感さえ漂っていた。

ちょっと頑張りすぎた私は、4日前くらいから外耳炎になってしまった。
痛いな・・と思いながら、夜もうつらうつらしながら眠っていた。

おととい、とうとう これはだめだ と観念し、お医者さんに行くことに。
でも水曜日は耳鼻科が休診日のところが多く、20年前に子供たちを連れて行って、たくさん
たくさん泣いた、あのS耳鼻科しか空いておらず、しょうがないからそこに行った。

待合室にいると、子供たちの泣き叫ぶ声がずっと聞こえていた。
赤ちゃんを連れた若いお母さんが診察室から出てこられた。
こちらに歩きながら、なぜか助けを求めるような目で私を見ているので、視線をはずすことも
できず、少しおどおどしていたら、彼女が口を開いた。「こちら初めてですか?」

「えっと、初めてみたいなもので・・子供たちが小さいときに来たことがあって、20年くらい
前に・・」
すると彼女が「私はこちら初めてで・・私もうびっくりしてしまいました。ほかの耳鼻科では
小さい子にはガラスのチューブで軽く鼻水を取るのに、ここでは長い金属を赤ん坊の鼻の奥
まで入れるんですよ。私もされたんですが、私だって痛かったのに・・。」と言って涙目に。

あ~、まだあのやり方でやってるんだ。20年間も変えずに・・と私はあきれながら
「かわいそうにねえ・・赤ちゃん、頑張ってえらかったねえ・・でもそんなんじゃお医者嫌い
になっちゃうよねえ・・」と会話した。

会計を終えて帰り支度を整えた彼女が私のほうを再度向いて、「ずいぶん待ちますね」
と声をかけてくれたので、「ええ。お大事にね。」と言って後姿を見送った。

さて私の名前が呼ばれ、先生と20年ぶりの再会を果たした。

先生はあの頃の大きさの三分の二くらいに小さくなっていた。
外ですれ違ったとしても、絶対に気づかないだろう。
でも雰囲気はあの頃のままだった。
ひょろんとして存在感が薄く、話す言葉も平板で人間味の薄いトーンだった。
逆の意味で私は、うわ~懐かし!と思った。

私は言いたい。私は大人だし、多少痛くたってそんなに看護士さんにがっちり頭をつかまれ
なくとも逃げません。口で言ってくださればその通りにしますよ・・と。

看護士さんは泣きじゃくる子供の頭も大人の頭も、必死に抑える。それが使命と言わんばかりに。
そうしなきゃ、治療できないだろう。って、先生に怒られるのだろう。

私の子供たちが幼児から大人になる約20年もの間、毎日毎日こういう治療を続けてきたんだ。
あんなに子供たちに金切り声をあげさせて毎日過ごし、いまだに人間でいられるということが
私には驚きだ。もしかしたらサイボーグになっちゃったのかもしれない。
人と話して、こんなに人と話した感じがしない人はめずらしい。

サイボーグが金曜日にもう一度来てください。と私に言った。
私は「はい」と言ったが、心の中で、私、嘘ついている・・と思っていた。

今日はその金曜日。私は今ブログを書いている。
これ終わったら、シナリオセンターに出かけよう。












指をこすると、カサカサと音が聞こえそうな程、指先がぼろぼろになってしまった。
季節がら、いつもより多い水仕事とこまめな手入れを怠った私の怠惰によるものなのだが、
それに加えて、12月後半からとりつかれたように物を磨き続けた勲章とも言える。

ずっとずっと「磨く」という動作が嫌いだった。
指先や手首が疲れるし、ムキになって続けていると、体のあちこちまでコリが広がるからだ。
だから溜まった汚れを見ないようにして来た。見なくても知ってるのだから本当の意味ですっきり
はできない。そのすっきりしない感じが、私そのものだと感じていた。

じゃあ何故今年からのめり込む程「磨く」ことが好きになったのか・・と言えば、
それは、自分の体のことを去年よりたくさん知ったからだと思う。
こっちの方向で動けば余計な力はあまり必要ないかな・・と、姿勢や力の入れる場所、力を抜く所
を考えながら物を磨いていた。私はムキになって何かをすることがなくなったようだ。
言ってみればヨガのアサナの完成ポーズを目指すような感じである。
こういうのを生活ヨガというのだろうか?

もう30日なので、今年を振り返ってしまおうか。
今年は私にとって、とても変化に富んだ一年だった。
たくさんのことを始めたし、たくさんの人に出会って、たくさんの友達と交友を深めた。
何が私に起こっているのだろう?・・と何度も思った一年だった。

昨日箱根一泊旅行から戻ってきた。
今年は、年末大忙しの娘以外の、3人プラス一匹。

いつもとちょっと違ったのは、昨日のお昼に沼津漁港に寄って、お魚三昧してきたことだ。
私は無難に海鮮丼を食べて、もちろんとても新鮮でおいしかったのだが、息子が食べた限定食、
「ブリのとろかま焼き定食とアラ汁」が・・ちょっともらったのだが・・目ん玉飛び出るほど
おいしかった。やっぱり料理人が食べるものを真似しておくべきだった。

来年は・・今年始めたことを誠実に楽しく続けていきたい。
「磨く」ことがやっと好きになった私は、やっと自分自身も磨き始めることができるかもしれ
ないと、期待してしまっている。



































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